毎年、4月の下旬から5月の上旬にかけて、全国各地で「藤まつり」が開かれます。
ゴールデンウィークの汗ばむような陽気の中、藤棚の下で光と影が織りなす薄紫色のシャワーを浴び、ほんのり甘い香りを楽しむのはとても気分の良いものです。
そんな時、垂れ下がった藤の花房の周りを「ブンブン」と音を立てて飛び回る(黒と黄色のコントラストが目立つ)大きな蜂をしばしば見かけることがあります。
「熊蜂=クマ(ン)バチ」という怖そうな名前もあって、彼らの登場は藤まつりの見物客にはたいそう不評のようです。子供たちは怖がり、お年寄りは頭を抱えて藤棚から逃げ出したりしています。
しかし、彼らの風貌は(いわゆる「スズメバチ」とは異なり)ずんぐりむっくりで毛むくじゃら。小さな羽を一生懸命に動かしヘリコプターのようにせわしなく飛び回る姿は(よく見ると)案外愛嬌のあるものです。
本州でよく見かけるクマバチは、正式には「キムネクマバチ」と呼ばれる種類だそうです。成虫の活動期間は晩春から中秋頃まで。寿命は1年程度で、その年生まれの新成虫は越冬して翌年に繁殖活動に参加するということです。
クマバチは国内では最大級のハチの仲間であり、その大きさと印象的な羽音により獰猛な種類と誤解されがちですが、実のところ徹底した花蜜・花粉食で性質はきわめて温厚とされています。ひたすら花から花を飛び回り、人間に関心を示すことはほとんど無いということです。
また、毒針を持つのはメスのみであり、巣があることを知らずに近づいたりしない限り攻撃してくることはなく、たとえ刺されても重症に至ることは少ないとされています。
5月29日の日本経済新聞のコラム「日曜に考える」では、国立精神・神経医療研究センター認知行動療法センター所長の大野裕(おおの・ゆたか)氏が、専門家の目には「飛べるはずがない」と映ってきたクマバチやマルハナバチが、現実に空を飛べる理由(ワケ)について語っています。
因みに、マルハナバチはクマバチと同じ「ハナバチ」の仲間で、クマバチよりもやや小ぶりながら、その形態や(花を求めて飛び回る)生態がきわめて似かよった(モコモコ系の)かわいらしい蜂の種類です。
ずんぐりした体形や大きなお尻とは対照的に羽が極端に小さいマルハナバチや(前述の)クマバチは、止まっている姿を見る限り確かに重くて空を飛べそうもありません。実際、航空力学の世界では、ごく最近までこうした形態のハチが(論理的に見て)「飛べるはずがない」と考えられていたということです。
大野氏によれば、理論上飛べるはずのない彼らが初夏のそよ風の下でいかにも機敏に飛び回われるのは、彼ら自身が「自分は飛べる」と信じているからだと、専門家の間でも(冗談混じりに)言われてきたということです。
もしもクマバチやマルハナバチが航空力学の理論を知っていて「自分は空を飛べない」と考えていたら、決して空を飛ぼうとも思わなかったことだろう。逆に言えば、彼らは航空力学の理論を知らなかったからこそ空を飛ぼうとしたし、実際に飛ぶこともできたのだということです。
余談ではありますが、最近では、なぜ昆虫があれほど機敏な動きが出来るのかという研究も進み、ハチたちが飛行機とはずいぶん違った原理で飛んでいる理屈も解明されつつあるようです。
実は、(人や飛行機のような)大きなサイズの物体にとってはサラサラと「粘度」を感じさせない1気圧の大気中も、(虫のような)小さなサイズの物体にとっては(例えば)水のような大きな粘度を持つ環境とみなされるということです。そして、マルハナバチやクマバチはこうした環境を利用して、「はばたき」によって上手に空気の渦を作り出し、その渦に乗って垂直上昇や下降をしているということです。
虫たちにとって、空気はもっと(ある意味)粘っこいものであり、それを羽根でかき分け、かき回すことによって空中に浮かんでいるということになるのでしょう。
さて、それはそれとして。
こうしたことからクマバチは、「不可能を可能にする」象徴的な存在として、しばしば会社やスポーツチームのシンボルマークとして使われているということです。
ハチたちが小さな頭で何を意識しているかは別にしても、大きな頭を持つ私たち人間は、その頭脳ゆえに「思い込み」によって本来ならできることをできないと考え、せっかくの可能性をつぶしてしまうことがよくあるのではないかと、このコラムで大野氏は述懐しています
氏によれば、思い込みの怖さは、すぐにわかるいくつもの違いに気が付かないまま全く違う物差しで判断して、結論を決めつけてしまっているところにあるということです。
「型にはめる」という言葉がありますが、大野氏が指摘するように、社会の中でたくさんの役割を演じている私たちは、気が付けばいつの間にかそのフィクションに縛られ、また、限られた知識を縁(よすが)とした予断の中で、自由な発想ができなくなってしまっているところがあるかもしれません。
一方的な思い込みから解放されれば、私たちも(クマバチのように)本来の力を発揮できるようになるとするこのコラムにおける大野氏の指摘を、無心にせっせと蜜を集める彼らの姿を思い浮かべながら、私も興味深く読んだところです。
昨日,娘と一緒に行った仕事先の庭木にクマバチの巣がありました。
たくさんの木屑が巣穴の下に小山になっていて忙しく出入りしている姿は“デザイナー”(創造者)の存在を改めて確信しました。
国立精神・神経医療研究センター認知行動療法センター所長の大野裕(おおの・ゆたか)氏
「思い込みの怖さは、すぐにわかるいくつもの違いに気が付かないまま全く違う物差しで判断して、結論を決めつけてしまっているところにある」
のくだりを読んで聖書のローマ人への手紙1:20を思い出しました。こうあります。
「神の見えない性質は,世界の創造以来明らかです。造られた物を見れば,神が永遠に力を持っていて,確かに神であるということが分かります。ですから,彼らは言い訳ができません。」
進化論を退けるようになった各界の学者さんも多くおられますね。
https://www.jw.org/ja/聖書の教え/科学/生命の起源に対する見方/
宜しければご覧ください。
#1364 無謬性と可謬性19/05/21
も興味深く拝見しました。
可謬性を是とする組織に39年程属して来たクリスチャン