MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯1156 差別主義を克服するために

2018年09月04日 | 社会・経済


 先日(6月12日)、作家の橘玲(たちばな・あきら)氏の筆による「朝日ぎらい」という本が(ここがまたポイントなのですが)朝日新書から出版されました。

 著者の橘氏によれば、この本を著したのは決して「朝日」の論調や体質自体を批判したりあるいは擁護したりすることが目的ではなく、その論点はインターネットを中心に急速に広がる「朝日ぎらい」という社会現象を掘り下げるためのものだということです。

 橘氏はこの著書の前書きにおいて、本書のテーマは「リベラル化」と「アイデンティティ化」にあるとしています。

 一般には「リベラルが退潮して日本は右傾化した」と当たり前のように言われる状況にありますが、「私はこれには懐疑的だ」と橘氏はこの著書で主張しています。

 世界でも、日本でも、人々の価値観は確実にリベラルになっている。(にもかかわらず)リベラルが退潮しているように見えるのは、朝日新聞に代表される日本の「リベラリズム(戦後民主主義)」が、グローバルスタンダードのリベラリズムから脱落しつつあるからだというのが本書における橘氏の立ち位置です。

 氏によれば、日本の「右傾化」の象徴としていわゆる「ネトウヨ(ネット右翼)」が取り上げられることが多いが、彼らのイデオロギーは「保守=伝統主義」とは基本的に関係がないということです。

 ネトウヨが守ろうとしているのは日本の伝統や文化ではなく、「日本人」という(属性に関する)脆弱なアイデンティティに過ぎない。「嫌韓」「反中」と結びつかない保守派としての言論は、実は彼らにとってはどうでもいいものだという指摘です。

 そこで興味深いのは、「朝日ぎらい」が日本だけの現象ではないことにあると橘氏は続けます。

 アイデンティティをめぐる衝突は(日本国内ばかりでなく)欧米を中心に世界中で起きており、その最大の戦場はトランプ大統領を生み出したアメリカと、移民問題で「極右」の台頭に揺れるヨーロッパだということです。

 確かに、1990年代以降の移民の急増に対峙したヨーロッパ(特に西ヨーロッパ諸国)では、21世紀初頭から自国優先主義や大衆迎合主義(ポピュリズム)が台頭し、これに呼応するように「リベラルぎらい」の嵐が吹き荒れています。

 世界史的な視点に立てば、日本は欧米から半周遅れで同じ体験をしているということになるだろうと橘氏も指摘しているところです。

 確かに、日本においても2010年代に入って活発化した(特に中国人や韓国人などの)外国人を対象とした「ヘイト(憎悪)」と呼ばれる動きが絶える気配がありません。

 権力の側にもナショナリズムの回帰に近い動きが広がる中、不寛容による多様性の否定が反知性的で暴力的な感情と結びつき、ナショナル・レイシズムとも呼ぶべき差別的な動きが(生活に苦しむ)市井の人々の間に広がっていると見る向きも少なくありません。

 こうした問題に対し、神戸女学院大学名誉教授で思想家の内田樹(うちだ・たつる)氏は6月7日の自身のブログ(「内田樹の研究室」)において、現代社会がナショナリズム・レイシズムを克服することは原理的に困難だと指摘しています。

 氏によれば、それは、人間が精神の安定を得るためには、ある種の集団に深く帰属しているという政治的「幻想」をつねに必要としているから。人間のこの本質的な「弱さ」を受け容れた上でしか、ナショナリズム・レイシズムの批判は始まらないだろうということです。

 内田氏はこの論考に、今、世界中でナショナリズム・レイシズムが亢進しているのは、どこの国でも人々が「ある種の共同体に深く帰属している」という実感を持ちにくくなっているからではないかと記しています。

 家族も地域共同体も、疑似家族としての企業共同体も、すべてが解体のプロセスにある。その中で原子化、砂粒化した個人が、「国家」や「人種」という最後の幻想に必死にしがみついている姿がそこには認められるということです。

 世界的な潮流として現れているこうした問題を解決に向かわせるためには、(結局のところ)現代社会において分断されたひとりひとりの個人が、「帰属」できる共同体、特に相互扶助的な手触りのたしかな共同体を国民国家の内部にもう一度構築するほか手立てはないのではないか内田氏はここで指摘しています。

 寛容は安心から生まれ、多様性はしっかりしたアイデンティティと共同体意識があってこそ育まれるということでしょうか。

 「○○ファースト」という耳触りの良い言葉の元、社会の分断がすすむ国際社会ですが、(一見、迂回的に見える)自らが属する共同体や社会をまずは(自分たちの手で)しっかりと立て直していくことこそが、内部の差別主義を排除していく最も早い近道なのではないかと、私も改めて考えさせられたところです。



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