7月2日の読売新聞に、「子供の偏食」に関する興味深い記事が掲載されていました。(「元気なう-偏食と好き嫌い(1)」)
記事によれば、「野菜を食べない」「魚が嫌い」など、子育ての悩みとして子供の食べ物の好き嫌いを挙げる親は多いということです。
玩具メーカーの「バンダイ」が2010年に3~12歳の子供を持つ親1500人を対象に行った調査では、子供が嫌いな野菜の(ぶっちぎりの)1位はピーマンで405人が挙げています。(慣れてしまえばどうということもないのですが)ピーマンの持つ独特の苦みが、実に4分の1以上の子どもたちから嫌われていることが判ります。
続いてトマトが195人、ナスが184人、キノコが117人など、香りが微妙で、さらに食感が「ぐにゅぐにゅ」しているような野菜が嫌われる傾向が強いようです。
せっかく「良かれ」と思って作ったのに、「美味しくない」と料理を残されるお母さん方の(残念な)気持ちはよく分かります。しかし、フーズ&ヘルス研究所を主宰する管理栄養士の幕内秀夫氏は、保護者が抱く子供の偏食の悩みに関し「偏食という言葉が安易に使われすぎている。子供の好き嫌いはほとんど気にしなくて良い。順調に成長しているなら心配ない。」と話しているということです。
数種類の嫌いな野菜を(わざわざ)食べさせなくても、ほかの食品からビタミンやミネラルなどの栄養は採れるもの。例えピーマンやナスが嫌いでも、白米やイモ、トウモロコシなどを食べない子供は少ないと幕内氏は言います。子供の時期は(何を置いても)、空腹を満たすものを食べることが大切だということです。
氏は、特に緑黄色野菜を子供たちが嫌うのは、これらの食物は苦みや酸味、えぐみなどが強いからだとしています。そういう意味では、嫌いな野菜の多い子供は、それだけ味覚に敏感(な才能の持ち主)と言えるかもしれません。
子供の鋭敏な味覚では、こうした(刺激的な味は)美味しいとは感じられないということです。最近、ニンジン嫌いの子供が減っているのは、ニンジンが品種改良によって甘くなったためだと幕内氏は説明しています。
氏によれば、そもそも、動物は自分の身体に合わない食べ物を避ける能力を(生まれながらに)備えているということです。毒の多くには苦みがあり、腐った食べ物はすっぱくなる。子供は敏感にそれを察知し、体に必要ないから食べないのだということです。
そうした中で、嫌いなものを強制していては楽しいはずの食事が台無しになってしまう。子供にとっては(まずは)楽しく食欲を満たすことが大切で、嫌いならば、食べられるようになるまで待てばよいと幕内氏は話しているということです。
確かに、子供のころは見向きもしなかったお酒や苦いばかりのビールを、気が付けば多くの大人が喜んで飲んでいます。「嫌い」と決めつけさえしなければ、時間が解決する場合が多い。味覚というのは、そうした「移ろいやすい」感覚だということなのかもしれません。
さて、岡山大学附属病院で小児歯科医をされている岡崎好秀氏のブログ「ドクター岡崎のおもしろ歯学」に、子供と食事に関連して興味深いレポートが掲載されているので併せて(ここで)紹介しておきます。
岡崎氏によれば、ある幼稚園で昼食時の食事場面と園での生活状態について先生に観察していただいたところ、面白い結果が得られたということです。
まず、食べることに意欲のある園児は、(1)積極的である、(2)休み時間みんなと遊ぶ、(3)友達が多い、(4)健康である、(5)椅子に座る姿勢が良い、(6).規則を守る、(7)運動能力が高、いなど、園での生活面においてすべての項目で好ましい傾向にあったということです。
一方で、食べることへの意欲の乏しい園児は、(これと相反する)さまざまな問題がみられたとされています。
どうしてこのような結果になったのか?
広く知られる「マズローの欲求5段解説」では、人間には5段階の欲求があるとされています。
第1段階は、睡眠・食べること・排泄などの「生理的欲求」です。これに第2段階の「安全の欲求」、第3段階は「愛と所属の欲求」が続きます。さらに、4段階は他者からの「承認(他者から認められること・尊敬されること)の欲求」があり、最後に「自己実現の欲求」が生まれるということです。
マズローはこれらの欲求について、まず下位の欲求が満たされた時、初めて次の欲求が生まれるとされています。
言うまでもなく「食べること」は、これらの中でも最も基礎的な欲求に位置付けられているものです。つまり、食欲があって、それが満たされなければ愛の欲求や自己実現の欲求も生まれてこないということになります。
現在の子ども達の食生活環境を振り返って、現在の(日本中の)子ども達は便利で豊かな生活を享受されている反面、遊ぶ時間と場所、加えて「空腹感」を奪われているのではないかと岡崎氏はこのレポートで指摘しています。空腹感の欠如が、「食べる」ことに対する積極的な姿勢を奪い、そのことがひいては他者や物事に対する関心や積極性を奪っているのではないかということです。
生き物としての人間にとって、空腹感に耐えることが生きるための活力となってきたのではないかと岡崎氏は言います。
食べ物があり余り、空腹感を経験したことのない子ども達はどう育っていくのだろうか?(子供の発達という観点で見れば)子どもにはもっと空腹感を与えることが必要だと思うとこのレポートを結ぶ岡崎氏の指摘を、私も大変興味深く読んだところです。
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