先日、公立学校の教員の固定割増賃金、給特法に関する高裁判決があり、予想通り合憲合法で請求棄却とされた。
教職員の労働時間の多さが社会問題なのはもちろんで改善していかなくてはならない問題である。
しかし教員は、例えば自分が宿題を出せば、採点にそれだけ労働時間は必要になってくる。
自分が一定割合の業務量を差配でき、また教材研究とか労働時間が把握しにくい面はある。
割増賃金(労基法37条)の趣旨は、①時間外労働の抑制②労働時間法令(一週間40時間)の遵守③労働者への補償にある。
(医療法人康心会事件、最判平29.7.7)
使用者側に対して時間外労働の抑制を求める趣旨もある以上、それは使用者の指揮命令があることが前提であって、そもそも「労働時間」(労基法32条以下)とは「使用者の指揮命令下に置かれ」ている時間をいう。
(三菱重工業長崎造船所事件、最判平12.3.9)
そうすると、時間に比例する割増賃金を保障するとなると、校長や教頭、主任から教師に対して持つ業務内容や労働時間の指揮命令権は、強めざるを得ないのではないか。
教育内容の自由、決定権と、指揮命令権は、ある程度トレードオフの関係になる気がする。
一方で、旭川学テ事件(最判昭51.5.21)は、「普通教育における教師に完全な教授の自由」は認められないとして大学における教授の自由とは異なるものの「教師の教授の自由も限られた一定の範囲において」肯定されるとしている。
これは各教員の教育内容について一定の判断の幅、裁量を認め、憲法26条の学問の自由の一部として、普通教育における各教員の教授の自由を尊重しているように読める。
ちなみに憲法26条「学問の 自由はこれを 保障する」は、5・7・5の俳句調ということも相まって人気が高い憲法条文である(笑)
9条ばかり話題になるが、これとか表現の自由など対国家防御権としての人権にも興味が向いてほしいところである。
話を戻すと、時間に比例した割増賃金にするには、校長や教頭から教員に
対する指揮命令権を強くせざるを得ないと思われるのに、各教員の教授の自由も憲法上尊重されるべき権利なのである。
その教育内容の決定権と、時間に比例する割増賃金の適用とのバランスは、裁判所がとることは難しい。
立法によるしかないと思われる。
しかし例えば、教育内容の決定に関して裁量がなく全時間、指揮命令に従って労働することを立証したらどうなるか。
担任の指揮命令に完全に従う補助教員はどうか。
以上は、割増賃金制度の趣旨からして違法になる可能性はありうると思う。
それが何に反して違法なのか、はたまた違憲なのかは悩ましい。
給特法自体が法令違憲というより、その人に適用することが違憲?違法になるのだろう。
違憲として何条だよ労働条件の明確化を求めた27条?だろうか。
固定残業代と考えれば27条か。
特別法としての給特法を適用するに値しない労働者として、労基法37条を適用して時間に比例する割増賃金を認めることもありうるかもしれない。
裁判を通して社会や世間に政策論議を呼びかける政策形成訴訟という意味合いもあるのだろうが、司法による解決が難しい問題である。