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えむえむありすの メモ日記

何度目の救急車

退職して、ちょっとホッとして友達とランチをして帰った夜。夫とカキフライと白ワインを楽しんでご機嫌でテレビを見ていたら電話に母の施設の番号📞

時間は夜の10時前
この時間の施設の電話は悪い知らせしかない。

胸部痛と血圧低下、酸素飽和度の低下で救急要請して、もう乗っています。病院は救急隊から連絡が行きます。近くの病院はすでに、断られた!と。

はー、ちょっと待て!お酒飲んじゃった!やばい。えーと、タクシーを呼ばないといけないが夜間なので、来てくれるのか。
横で夫がイライラしながら、どこでもあるやろう!と声を荒げる。あのね、不安なのは私の方!と強めに返事したら怒って風呂場に行ってしまった。お風呂に入るの?わかりましたよ!私は1人で行きます!

と思ったら戻ってきた。身支度をしている。
改めてタクシー会社を検索して大手のそして、この近くの会社を見つけたので電話したらすぐ出てくれて、5分で行きます!と。あ、良かった。

そうこうしているうちに、救急隊から電話。慌てずに戸締りしてから来てくださいね。何で来られますか?患者との関係は?住所はと聞かれて、では病院に報告して1時間以内に到着と伝えます、と。

毎度のことだが、救急車はなかなか希望の病院には運んでくれない。連絡を待つ。どこへ行くのー?そしたら、施設から車で20分はどの隣の市の病院に行くと。タクシーでまっしぐらにそちらに。

行ってみると、母はとりあえず意識はあって、話はできるようだった。ただ、血液検査の結果から心筋梗塞を起こしているのがわかり、結局色々手続きをして、母が病室に行くのを見送って。
すでに夜中の2時を回っている。はー、くたびれた。でも、母が無事で良かった。病院には夜間でも来てくれるタクシー会社の直通電話があり、すぐ参ります!と言ってくれた。守衛さんが、来たら声かけてくれるから中で座っててくださいね、と言ってくれる。真っ暗な病院のなか、救急外来の待合だけが灯りがついている。

隣のベッドの方はうちより後に救急車で来られたが、お医者さまがベッドを囲んでいた。看護士さんが、ちょっと重症の方なので、ごめんね、待ってね、と謝っていた。程なくして、悲鳴が上がる。家族が、おかあさん!おかあさん!いややー、なんでー!

看護士さんが、ごめんね、びっくりするよね、ごめんね、と。

お医者さまが説明をしている声が聞こえる。どうもお風呂で倒れたよう。
お倒れになった時に心停止になっており、色々頑張りましたが、戻られませんでした。
ああ、気の毒に。うちはスタッフがすぐ具合が悪いことに気づいてくれて助かったけど。

ああ言う時って、大変よね。しばらくしたら、お隣のベッドに看護士さんが、お身体を(ご遺体とは言わない)おうちに帰るために、綺麗にしましょうか?と聞く。
娘さん、いや、結構です!そのままで。
あの、失禁もされていて、病院の浴衣とかありますよ。
いえ、そのまままで!
(えー、綺麗にして貰えば良いのにー、寝台車の人も困るやん)
寝台車は…
あ!うちの車で運びます。

あの、お亡くなりになったら普通の車にお乗せすることはできないんですよ。

え?ほならどうしたらええんですか?

あの、葬儀屋さんのパンフレットありますからそこで全部してもらえます。

そこから、揉める揉める。
どこやねん、ここは焼き場の近くか?え、うちから遠いで。一体何人来るねん。だから、家族葬でええねんて!ここ、高いで!ほな、それはおいおい決めたら!いや、寝台車頼まなあかんがな!後から変えられるやろ(いやードライアイス入れたら最後、変えるのは難しいよ…と思いながら聞いている)とうとう看護士さんが、ここは処置室なので霊安室にご移動してもよろしいですか?と言う。

お気の毒やけど、終活って大事やね。
うちの父は葬儀屋さんを生前に決めていたので、即、寝台車が来たが。ここのお宅はここからまだ大変なんやろーなー。

そうこうしているうちにタクシーが来て、お疲れでしたね、どうぞ気をつけてお乗りくださいね、と懐中電灯片手に案内してくれる。こういう時の一言って嬉しいわー。

家に帰ったら夜中の3時!
倒れるようにして寝ました。

翌日、妹が九州からやってきて、今は大丈夫やで、というのに、顔見に行くわ!と。彼女の勘は割と当たるのでなんかドキッとする。
2人で施設から着替えやら上履きやらを探し出し、入れ歯は?と聞くと、ないんですよ、おかしいですね、昨日からなくて。

はー?自分では危ないから食事のたびにしてもらっていたはず?!妹と引き出しひっくり返して探したら文房具の中にぽい!と入ってた。やれやれ。

母の病室は綺麗で明るい。
コロナ禍の時期と違い、自由に入れる(ただし、30分以内)。お母さん、肌着やら靴下やら持ってきたよ。ほら!シマエナガちゃんの靴下。あら!可愛い、とか話すが。話しながら、すーっと眠ってしまう。時々目覚めて、あんた!忙しいのに悪いねえ!
妹にRちゃん!私にM子という。なんで、私が呼び捨てなんよー、とかぶつぶつ。

妹に、えらい遠くからわざわざ来てくれたんやねえ、悪いねえ、というから
なんでやねん、お母さん具合悪いから飛んできたで!

へー、羽根もないのに?!

え?何言うた?もう、冗談言えるエネルギーはあるねんね!

テレビもカード差して見せたけど、眠ってしまうし。お茶のまないの?いらん。起きてみる?無理!とかで30分はあっと言うまだ。
痩せて骸骨みたいになった母を見ていて、こんなになってもやはり命って続くんやなー。生きるのもしんどかろう、とも思う。でも、生きててくれて嬉しいが、元気になるのだろうか、とも思う。

妹と、元気になったら花見に散歩に行こうとか、一緒に絵を描こうとか話したが、

病院を出て妹ともし亡くなったら、どこの葬儀屋さんに頼むか、を再確認して、もし万が一の時には延命(特に母がしんどい事は)行為はしないでもらって良い、と確認して新幹線の駅まで送って別れた(延命については、どこ行っても聞かれるので、もう慣れている)

帰ってまずした事は、
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コメント一覧

mmalice
あさい先生
ありがとうございます。
asai0088yo
大変ですね 目に見えるようです お大事に
mmalice
ポピーさま

もう、なんか色々びっくり🫢‼️なことばかり続きます。母が、救急の処置室で、もー、なんかわけわからんわ!なんなん?!と言うので、はあ、私もそう思うわー、と苦笑い。そうこうしていたら、満床で落ち着かれたら施設にお帰り頂きたくてですね、なんて電話が掛かってきました。なんか、この状態で返すの!みたいな感じです。明らかに弱っていますが、救急医からしたら、もう、危ない時期は過ぎたので、適当に帰ってー、みたいな💦

そうですか!ご実家のお商売が。それは大変でしたね。夜中でも待ったなしですもんね。ご苦労がしのばれます。でも、そういう方の、大変でしたね、の一言て、嬉しいですよね。父の時、司法解剖の後迎えに来てくれた葬儀屋さんの運転手さん、「疲れたでしょう!色々言われるけど、一つ一つ考えたらええんでね。大丈夫ですよ」と笑顔で言ってくれて、涙出ました🥲
ポピー
夜中に心筋梗塞で救急車とは、大変でしたね。
施設の方の機転で早めに処置できてホントによかったです😊
元気だった親が年老いて、痩せ細っていくのを見るのはつらいですよね。
実家が葬儀屋なので、逆に、夜中に病院からの電話で出て行っていた父のことを思い出してしまいました。
mmalice
アミさま
まだ、お若いから大丈夫ですよ。
アミ
お疲れさまでした。
参考になることばかりです。
mmalice
@hiyokomame ひよこまめさま
高齢になるとなんやかんやありますね。毎朝仏壇に、お母さんがニコニコしていますように。亡くなる時はしんどくなく静かに逝けますように、と頼んでるんですけどね。
なかなかそう簡単には行かないようです。
週末、たっぷり休んだので、また元気に母の面会に行けます。心配してくださってありがとうございます。介護をした方からのお声掛けが何より嬉しいです。わかってもらえてる気がします。
hiyokomame
ありすさん、大変でしたね、お疲れさまでした🍀
お母様、なんとか回復されますように。
意識があって会話ができるのですから、まだまだ頑張ってもらいたいですね。
mmalice
まるこさん
思い出させてしまったかな。ごめんなさいね。しかし、この頃だんだんに母がそろそろ終末に向かっている気がして仕方ありません。また、前のようにケラケラ笑ってお饅頭をぱくっ!と食べてくれると良いのですが。ベッドに横になって、天井だけ見てるとつまらないだろうなー。
まるこ
それは大変でしたね。
我が事のように母が救急搬送された時の事を思い出します。ありすさんのお母様意識あって良かった。心臓ですか。それは心配ですね。しかし後からきた方は間に合わなかったんですね。人間ってわからないですよね。
私の母はまだ実家にいた時初めて倒れて救急搬送された時は奇跡的に牛肉屋さんの配達日だったんです。で、牛肉屋さんが私に連絡くれて、それから救急隊に引き継がれまして。搬送先がすぐ決まったので親戚付き合いしてる御近所さんに行ってもらいました。そしてすぐ私が到着。とにかくアドレナリンが出まくりました。夫は仕事で不在でしたし私が1人で。今思うと良く出来たな!って感じです。火事場の馬鹿力ですかね。
あれから色々ありまして、最終的にはホームで倒れて。脳幹出血でした。延命措置はやめてもらいました。意識不明になってから21日間頑張りましたが遂に。しかしその間に私は葬儀やら色々準備や腹くくる時間をプレゼントしてもらいました。私は突発的な事には対応できないパニック屋ですから。
お母様はまだまだ生きる力がおありなんですね。それは頼もしい気持ちなりますね。しかし娘としてはそれを見ているのが切ないなんて気持ちにもなりますよね。
お母様が復調なさりまたホームに戻れて、少しでもありすさんやご家族のみなさんと楽しい時間が過ごせますように。
ありすさんお疲れ様でございます。
お疲れがでませんように。
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