暫く行くと「緒方洪庵旧宅及び塾」
緒方洪庵が開いた適塾が大阪大学医学部の源流なんですよね。
大阪大学医学部の直接の起源は明治元年に発足した「仮病院」。
これは大阪府知事の後藤象二郎や小松帯刀の発案で設立されたもので、診療と医学教育を行いました。
この仮病院の発足に当たって適塾関係者が多数採用されたというのが、大阪大学医学部と適塾を結ぶ糸のようです。
大阪府仮病院の医学教育は上本町の大福寺を仮校舎として始められたようです。
明治2年7月に仮病院は法円坂の鈴木町代官屋敷跡に移転して8月には「大坂府医学校病院」となりました。
刺客に襲われた大村益次郎が運び込まれて、ボードウィンの懸命の処置にもかかわらず絶命したのがこの病院である。
ここは現在、国立病院機構大阪医療センターの敷地となっていて、「大村益次郎卿殉難報国之碑」が南東角に建っています。
入院中に朝の散歩でその石碑を何枚も撮影しました。が、いくら探してもその画像が出てきません。
東西に緑地。
これは東の緑地。
そこに咲くマルハシャリンバイ。
西側の緑地。
誰かの銅像が見えると思って近寄ってみると、緒方洪庵像でした。
せっかく来たのだからと、入ってみました。
ロッカーがすごくレトロな感じ。昔の銭湯の靴淹れのようです。
頂いたパンフレット。
適塾のスタンプ。
展示物は撮影に阪大の許可が要るらしいですが、庭や建物は撮影は可能だと後で知りました。
一通り見て外に出ると、道路に「歴史の散歩道」とあったので、この辺りをブラブラしてみます。
西側に変なものが立っているな、と思うと「空の粒子/パッセージ2015」という、青木野江さんの作品です。
「銅座の跡」があるということでそこに行ってみます。
当時の建物は残っておらず、今は愛珠幼稚園になっているようです。現存する最古の幼稚園だとか。
少し行くと「除痘館跡」という文字と緒方洪庵の肖像画が浮き彫りにされた銅のパネルがあって、
このようなものが設置されています。
残念ながら、日祝は休館のようです。
こんな看板も在りました。
手塚治虫の「陽だまりの樹」という漫画の一場面です。
そうそう、手塚治虫も阪大医学部の卒業生ですね。
除痘館記念資料室のパンフレット。
さて、大阪市立東洋陶磁美術館を目指します。
「北浜2」交差点。
向こう左側に二つのフェスティバルタワー。
西側のフェスティバルタワーにこの後訪れる予定の「香雪美術館」。
右側には大阪市市庁舎。
土佐堀川にかかる「栴檀木橋」を渡ります。
橋の上から。
東洋陶磁美術館の手前にウエディングドレスを身に纏った女性と、多くの人。
結婚式の記念撮影でしょうか。
東をみると、土佐堀川と難波橋、向こうに生駒山。
橋の上から西側。
淀屋橋、フェスティバルタワーが見えています。
橋の北側に栴檀の樹。
橋を渡り切りました。
するとそこには大阪市中央公会堂。
公会堂のちらし。そしてスタンプ。
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