おじさんは退職5年目を迎えましたが、まだ仕事をしています。たそがれてはいますが、気持ちはまだまだ老いぼれてはいない(やることはいつもトンチンカンなのですが)つもりなので、やる気はあります。が、しかし、やる気はあっても仕事がないのでは意味がありません。
そんなことで、おじさんのような者でも、あてにしてくれていると言えばおごりがあるかもしれませんが、使ってもらえることには、金銭には換えがたい喜びがありますし、感謝している次第です。
人という動物は、社会という集団の中でしか生きていけない動物なんだそうです。おじさんはよく、孤独が好きだといってはいますが、孤独が好きだからと言って、この先ずっと一人で生き続ける自信はありません。おじさんもやっぱり人です。
社会的動物である人間が、社会(周りの人と置き換えてもいいのですが)から、あなたが必要だ、もう少し言葉を変えると、あなたはなくてはならない人、かけがいのない人と言われて嬉しくないはずがないと思うのは、おじさん心だからでしょうか。いや、子どもも大人も人であればみんな同じように感じることなのではないと思うのですがどうでしょうか。
というわけで、使っていただいて仕事ができることに感謝とともにやりがいを感じています。
が、しかし、たそがれるおじさんの人生はこの先が見え始める頃となってきました。まだまだ若いと思っていたのがかん違い。おじさんの同級生も次々と亡くなっていく現実に逢うと、いやが上にも「わが人生とは」と考えてしまいます。おじさんは、与えられた人生は、生きがいのあるものでありたいと思っています。仕事がやりがいだけの人生では何か味がありません。
そこで、おじさんらしい言い訳が始まるのですが、生きがいの一つとして、仕事ができることは先に言ったとおりですが、仕事は自分勝手ではやっていけるものではありません。当然ながら社会(周り)と折り合いを付けるという制約があります。仕事だけではかたよった人生です。おじさん心の人生は、(まったくないと言うわけではありませんが)だれにも制約されない、楽しみがいが一方にある人生を送りたいと思っています。楽しみがいとは、おじさんにとっては趣味です。趣味と言えば、もちろん自転車です。
単純ですが、今のおじさんの生きがいは、仕事のやりがいと、趣味の楽しみがいです。どちらも程よく、バランスよくできれば精神衛生上好ましいと思うところです。
下の写真は、町のホールやパークゴルフ場を取り込んだ公園の一角です。この公園内には3つの施設以外はところどころに樹木があるだけの、ノッペラボウの広い広い空間公園です。おじさんはこの空間が大好きで、たまらんです。この公園の上に広がる空と雲、この風景を見る時は、時間がゆったりと流れています。
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