奈良だけでなく、関西一円において年中行事でいちばん多いのは地蔵盆ではないだろうか。
大和郡山市内だけでも百以上もある地蔵尊。
すべてがしているわけではなく、地元民によって大昔から連綿と続けられてきた地蔵盆。
地域によっては7月実施、8月実施に分かれる場合もあるが・・。
今年の新型コロナウイルスに難儀されている神社や寺行事では神事、法要など代表者だけに限って実施せざるを得ない状況に、地域民が主催する地元の地蔵盆はどう対応されているのだろうか。
その一部だけでも状況を掴みたく、一部地域の状況を見て廻り。
気になっていたならまち地蔵のうちの2地区。
昨年に拝見、取材させていただいた十三軒町に八軒町である。
両町を目指して車を走らせた。
目印に気づかず、行き過ぎた。
仕方なく信号を左折して次の筋道を行く。
そこにあった地蔵尊が数か所。
うち1カ所に3人が居た。たぶんにお供え、と思って車を停車。
降りてしばらくしてからお声をかけて撮らせてもらった携帯電話のカメラ。
傍に老人車がある。
老婆とともにお供えをしていた孫とひ孫の姿。
年齢的にそうみた3人にお声をかけて緊急取材であるが、長居はできない。
ここはどこなのだろうか。
答えは南新町。
今年は新型コロナの関係で、例年なら多くの町人に来てもらうのですが、と申しわけなさそうに伝える老婆。
それ以上の質問はし難くなった。
左隣の社は、弁財天社。
右が、南新町の地蔵尊。
いずれも近年に建て替えて、奇麗になったという。
お供えは白餅に胡瓜・茄子・ピーマン・トマト。
大きな西瓜も供えた場にお茶を入れた椀もある。
さっと手を合わせてお家に戻っていった老婆。
たぶんに今年の当番であろう。
南新町の筋道が狭いが、一方通行でもないから車どうしが見合って動けないときもあるようだ。
南に行けば行くほどに狭くなる筋道。
三差路手前にも地蔵尊はあるが、地蔵盆の雰囲気は感じない。
後に調べた地蔵尊は瓦町。
御膳を供えて地蔵和讃に読経、数珠繰りをしているらしく、来年は立ち寄ってみたいが、駐車スペースはここにはない。
三差路を左に折れて信号待ち。
そこを右折れして、すぐに左折れ。
そこが十三軒町の地蔵尊。
あればお供えが山積みになっていたろう。
実施されておれば、本日は西国三十三番御詠歌。
翌日が西国三十三番御詠歌に数珠繰りであったが、ひっそりと佇んでいた。
そこに一人の男性がふらりとやってきて手を合わせていた。
背中にザック姿であれば地元民ではなさそう。
次に訪れた八軒町もまた地蔵尊だけが佇んでいた。
そこにも手を合わせていた男性に声をかけた。
中年か初老に見える男性は、他府県から奈良に来られた方。
手に四つ折りの観光マップをもっていた。
それは何なのか。
ちらっと見せてもらったそれはならまち・きたまちに京終地域の地蔵尊を巡るマップだった。
奈良市のある課が発行したと思われるパンフ。
自宅に戻ったネット調べでわかった奈良の観光情報誌「ならり」がネットでダウンロード公開にあった「2020年度春夏号」がそれだった。
地蔵尊の位置印を確かめながら巡拝してきたという。
短期借り住まいする新大宮から歩きだして今に至る場所で遭遇した男性。
縁があって週3回は造園仕事に従事。
残りの日数は、奈良に来たのならと手入れたパンフを大いに活用させてもらっているという。
滞在日数の関係もあるが、「ならり」情報を元に奈良をどうぞ愉しんでくださいと伝えて分かれた。
なお、十三軒町の地蔵尊は、地区の人たちがずっと継承してきた。
参拝される人のために、もっと知ってもらおうと由緒文を置いている。
ガイドマップもあるが、こちらは地元民の声や心が詰まっている。
予定していた地蔵調査はこれで終わりということでもない。
帰路の途中に状況を見ておきたい地区は、大通りにある。
2年前に拝見した四条大路5丁目の文永二乙丑(1265)八月日建之の地蔵菩薩立像。
地蔵講による数珠繰りを拝見したが、今年はどなたの姿も見かけない。
すぐ傍の尼辻中町は、伏見之岡福徳地蔵菩薩。
営みは拝見できなかったが、ここもまた不在。
ただ、地蔵堂の扉は開放していた。
場所は、離れるが、大通りに建つ地蔵堂が気になっていた。
場所は大森町信号より少し南にある信号。
その角地に建つ地蔵尊はじっくり拝見したことはないが、この日は6個ほどの提灯を水平に立てていた。
地区は大森西町に該当するのかあやふや。
地区の境界線が見えない。
調べてみれば西木辻町のようだ。
(R2. 7.23 SB805SH撮影)
大和郡山市内だけでも百以上もある地蔵尊。
すべてがしているわけではなく、地元民によって大昔から連綿と続けられてきた地蔵盆。
地域によっては7月実施、8月実施に分かれる場合もあるが・・。
今年の新型コロナウイルスに難儀されている神社や寺行事では神事、法要など代表者だけに限って実施せざるを得ない状況に、地域民が主催する地元の地蔵盆はどう対応されているのだろうか。
その一部だけでも状況を掴みたく、一部地域の状況を見て廻り。
気になっていたならまち地蔵のうちの2地区。
昨年に拝見、取材させていただいた十三軒町に八軒町である。
両町を目指して車を走らせた。
目印に気づかず、行き過ぎた。
仕方なく信号を左折して次の筋道を行く。
そこにあった地蔵尊が数か所。
うち1カ所に3人が居た。たぶんにお供え、と思って車を停車。
降りてしばらくしてからお声をかけて撮らせてもらった携帯電話のカメラ。
傍に老人車がある。
老婆とともにお供えをしていた孫とひ孫の姿。
年齢的にそうみた3人にお声をかけて緊急取材であるが、長居はできない。
ここはどこなのだろうか。
答えは南新町。
今年は新型コロナの関係で、例年なら多くの町人に来てもらうのですが、と申しわけなさそうに伝える老婆。
それ以上の質問はし難くなった。
左隣の社は、弁財天社。
右が、南新町の地蔵尊。
いずれも近年に建て替えて、奇麗になったという。
お供えは白餅に胡瓜・茄子・ピーマン・トマト。
大きな西瓜も供えた場にお茶を入れた椀もある。
さっと手を合わせてお家に戻っていった老婆。
たぶんに今年の当番であろう。
南新町の筋道が狭いが、一方通行でもないから車どうしが見合って動けないときもあるようだ。
南に行けば行くほどに狭くなる筋道。
三差路手前にも地蔵尊はあるが、地蔵盆の雰囲気は感じない。
後に調べた地蔵尊は瓦町。
御膳を供えて地蔵和讃に読経、数珠繰りをしているらしく、来年は立ち寄ってみたいが、駐車スペースはここにはない。
三差路を左に折れて信号待ち。
そこを右折れして、すぐに左折れ。
そこが十三軒町の地蔵尊。
あればお供えが山積みになっていたろう。
実施されておれば、本日は西国三十三番御詠歌。
翌日が西国三十三番御詠歌に数珠繰りであったが、ひっそりと佇んでいた。
そこに一人の男性がふらりとやってきて手を合わせていた。
背中にザック姿であれば地元民ではなさそう。
次に訪れた八軒町もまた地蔵尊だけが佇んでいた。
そこにも手を合わせていた男性に声をかけた。
中年か初老に見える男性は、他府県から奈良に来られた方。
手に四つ折りの観光マップをもっていた。
それは何なのか。
ちらっと見せてもらったそれはならまち・きたまちに京終地域の地蔵尊を巡るマップだった。
奈良市のある課が発行したと思われるパンフ。
自宅に戻ったネット調べでわかった奈良の観光情報誌「ならり」がネットでダウンロード公開にあった「2020年度春夏号」がそれだった。
地蔵尊の位置印を確かめながら巡拝してきたという。
短期借り住まいする新大宮から歩きだして今に至る場所で遭遇した男性。
縁があって週3回は造園仕事に従事。
残りの日数は、奈良に来たのならと手入れたパンフを大いに活用させてもらっているという。
滞在日数の関係もあるが、「ならり」情報を元に奈良をどうぞ愉しんでくださいと伝えて分かれた。
なお、十三軒町の地蔵尊は、地区の人たちがずっと継承してきた。
参拝される人のために、もっと知ってもらおうと由緒文を置いている。
ガイドマップもあるが、こちらは地元民の声や心が詰まっている。
予定していた地蔵調査はこれで終わりということでもない。
帰路の途中に状況を見ておきたい地区は、大通りにある。
2年前に拝見した四条大路5丁目の文永二乙丑(1265)八月日建之の地蔵菩薩立像。
地蔵講による数珠繰りを拝見したが、今年はどなたの姿も見かけない。
すぐ傍の尼辻中町は、伏見之岡福徳地蔵菩薩。
営みは拝見できなかったが、ここもまた不在。
ただ、地蔵堂の扉は開放していた。
場所は、離れるが、大通りに建つ地蔵堂が気になっていた。
場所は大森町信号より少し南にある信号。
その角地に建つ地蔵尊はじっくり拝見したことはないが、この日は6個ほどの提灯を水平に立てていた。
地区は大森西町に該当するのかあやふや。
地区の境界線が見えない。
調べてみれば西木辻町のようだ。
(R2. 7.23 SB805SH撮影)