マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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白土大人念仏講A組彼岸の寄合

2012年05月09日 06時46分07秒 | 大和郡山市へ
大和郡山市の白土町にはお盆のときに新仏の家に参って鉦を叩きながら念仏を唱える念仏講がある。

チャチャンコとも呼ばれている子供念仏講。

もう一つはチャンガラガンとも呼ばれている大人の念仏講だ。

その大人の念仏講は3組あるが名称はない。

これを仮にA組、B組、C組としよう。

念仏講は年に一度の寄り合いがある。

子供の念仏講と大人の念仏講のA組、B組は春の彼岸の日に寄りあう。

C組は秋の彼岸のときだ。

それぞれの講中はいずれも夜に集まるが、場所はそれぞれだ。

子供の念仏講は浄福寺観音堂で、A組とC組は公民館。

かつてはヤドの家であったようだが、B組は今でもヤド。

当時のA組のヤドではオヒラがあった。

コンニャク、ゼンマイ、シイタケ、コイモなどの煮ものを椀に盛った。

それがオヒラであろう。

朱塗りと黒塗りがあった。

脚付きの膳に載せていたという。

この夜はA組の念仏講の寄合に伺わせていただいた。

以前は10軒だったが今は8軒。

テーブルに巻き寿司や稲荷寿司で会食される。

念仏講の鉦や文書は当番の家が一年間預かる。

次の当番の引き継ぎを兼ねた寄合。

その確認をされる。

念仏講の導師が唱える念仏はカセットテープ。

前年にはCD化された。

その費用は講中全体で負担する。

その費用も承認された会合である。

かつては7日から14日まで毎日巡って念仏を唱えていた。

鉦を打って唱える場所は浄福寺境内とセセンボ(先祖墓)だけ。

14日は新仏の家も加えて念仏をするので出発時間は早目だった。

当時は揃って浴衣姿だった。

念仏申す日は徐々に減らされた。

いつしか7日の日だけになった。

現在はその日に浄福寺境内、新仏家、セセンボで念仏をされている。

念仏鉦はかつて葬儀のときに叩いた。

朝に合図の一番鉦、葬儀が始まる二番鉦、出棺の三番鉦を叩いてデボに向かったという。

デボはおそらく村外れの出墓であろう。

市制になる前というから50年も前のこと。

その後の40年前。

村では鯉のぼりを揚げなくなった。

生活改善に話が出て装飾が派手にならないように平等にするということらしい。

天理市の朝和。

竹の内の出身であるMさんも言う。

生活改善で門松も立てなくなったという。

大和郡山市の伊豆七条町も生活改善されたと聞いたことがある。

同じように家々の風習が廃れていったという。

(H24. 3.20 EOS40D撮影)