マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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長谷町日吉神社造営上棟祭

2012年05月30日 06時34分22秒 | 民俗あれこれ(ゾーク事業)
縁があって拝見することになった奈良市長谷町の日吉神社造営上棟祭。

神社は急な坂道を登ったところだ。

駐車場はあるものの、そこは氏子さんの場所。

しかも、当日は上棟祭に集まる家族も大勢でいっぱいになる。

ソトウジコも居るだけに相当な人数の祭りは20年に一度の村の大祭典。

街道沿いの集落付近に停めざるを得ない。

そこからは氏子が運転する車でピストン輸送。

そこへ登場した本日の役者たち。

山添村中峯山(ちゅうぶせん)の大神楽保存会の人たちだ。

ここでお会いするとは思ってなかった神波多神社天王祭りの演者たち。

獅子舞や地増方デンデンの笛吹きをされていたSさんもいる。

日吉神社の由来は定かでないが、近江の日吉神社の大山咋神を勧請、或いは口碑によれば、紀伊の国、熊野、権現に三十三度の参拝をした一人の僧が分霊を勧請したとも伝えられている。

上棟祭を営まれる神社には鳥居を繋ぐ紅白の綱を張っていた。

境内を埋め尽くす椅子の数は相当な数量だ。

受付を済ませたウチウジコにソトウジコたちはおよそ160人。

圧倒される村の人たち。

久しぶりに会う顔と顔に会話が弾む。

美しくなった神殿に朱塗りの築地塀も映える。

そこにはこの日の祭典日が記されている五色の御幣が立ち並ぶ。

また、槌打ちの儀式で用いられる槌もある。



白く塗られた槌にはカラフルな文様がある。

海老錠の絵であろう。

槌の両側の縁には五重の楕円模様。

当日は気にもかけなかった模様だが、よくよく見れば炎のように見える。

もしかとすればだが、それは宝印ではないだろうか。

同神社には神宮寺の塔尾寺が存在していた。

明治時代には廃寺となったが、その名残を示す牛玉宝印の模様ではないだろうか。

形がとてもよく似ている。

斎主の神職は二人。

ともに先月24日に誓多林の八柱神社で上棟祭を祭典されたお二人だ。

昨年の6月にチョウナハジメの儀式が行われた日吉神社。

それから10カ月に亘って神社を建て替えられた棟梁も並ぶ。

まずは神事。

始めに修祓。

そして降神乃儀、献饌、祝詞奏上が続く。

そのあとは棟梁によって執り行われる上棟祭の儀式に移る。

始めの儀式は曳綱乃儀。綱を曳いて棟木をあげる。

神殿が永く栄えるように、また、氏子たちが氏神さんと永く結びつき、縁を深くする意味合いがある曳綱の儀式である。

斎主から大御幣を受け取る棟梁。

神殿前の鳥居下に立つ。

紅白の綱を持つのは大人衆を先頭に氏子らが続く。



「エイ エイ エイ」と掛け声をあげた棟梁は大御幣を大きく左右左の順に上方へ向けて揚げて振りおろす。

そのとき大御幣はトンと音がする。

盤木の音だ。

それを聞いた氏子たちは「オー」と応えて綱を曳く。

その際には「エイ エイ エイ」と三度発声する。

曳綱の儀式で掛けられる「エイ」は「永」。

永く栄える仕草を氏子全員で行ったのである。

次に行われたのは槌打乃儀。

曳綱によって曳き上げられた棟木。

それを納める儀式が槌打乃儀である。

槌は9本。

副斎主から受け取る男性たちは老人衆。

それぞれの持ち場に着く。



神殿を囲うように組まれた櫓に上がる人、天照皇大神社、春日神社、八幡神社、稲荷神社それぞれの末社や鳥居上に着いた。

白い槌を抱える老人衆は棟梁の掛け声に合わせて槌を打つ。

「せんざーい とー」が発声されてトンと大御幣。

「オー」と応える老人衆は軽く槌を振りおろす仕草をする。

2回目は「まんざーい とー」で3回目が「えんえーい とー」となる掛け声は「千歳 棟」、「萬歳 棟」、「永々 棟」の目出度い詞なのだ。

続いて行われる弓引乃儀。

櫓に上がり本殿の表鬼門(東北)、裏鬼門(南西)に向かって矢を放つのは棟梁だ。

天の矢、地の矢を放つ悪魔を祓う儀式である。

次も棟梁の儀式。

矢を放った天(あま)地(つち)の四方(よも)の神に餅を供える散餅(さんぺい)乃儀である。

そして、寿詞(よごと)を進上する棟梁。

神殿に向かって長谷の大神さまの名を唱えて栄え祀る。

厳かに祝いの祝詞を進上された。

その後は再び斎主が執り行う神事。

玉串奉奠、撤饌乃儀、昇神乃儀で終えた。



しばらくすると片手にササラを持って登場した赤ら顔の天狗。

もう一方の手には棒がある。

それでササラを擦りながら現れた。

奉納神楽の始まりだ。



村人たち一人、一人に寄ってきては頭の上に捧げるササラ。

怖がって隠れてしまう子供もいるが大方は頭を下げて受ける、ありがたい祓いである。

この時間は大神楽の演者が登場する間の取り方でもあるが、祓い清める時間でもある。

そうして現れた神波多神社獅子舞保存会。

前回の上棟祭にも奉納された方々だ。

それから20年。

長谷の情景は少しも変わっていないという。

左右の立ち位置には鬼が立つ。

黒面と赤面の鬼はそれぞれの色衣装を身に付けている。



長老たちは前席の特別席。

笛や太鼓の音に合わせて神殿から下ってくる。

奉納を演じる場は境内。

鞘から剣を取り出して舞う獅子舞。

演戯に見入る氏子たちの視線は獅子舞に集中する。

剣を納めた獅子舞。



天狗がちょっかいをするように眼前に迫る。

ササラを打ち鳴らして獅子と舞う。

あたかも天狗が操っているように見える獅子が動く。

最後の演技はシデを鈴を持つ獅子踊りだ。

連獅子とも呼ばれる。

こうして目出度い日の目出度い奉納を終えれば造営に際しての祝いの言葉。

委員長、来賓、外氏子らの挨拶である。



そして鏡開き。

代表者は一斉に槌を打ち下して酒樽の口を開く。

祝いの酒が配られて乾杯した。

閉会の後は20年に一度の記念写真。

村に暮らす人々の明るい顔が収められた。

宮司、大工棟梁、板金、塗装、絵師らの名が記された「奉遷宮札」が置かれた仮の社。



祭典を終えた氏子たちは神さんに向かって拝んでいる。

この夜は20時から遷宮式。

仮の社へ一時的に遷されている神さんを元のお社に戻される。

関係者だけが集まって神事を執り行ったそうだ。

(H24. 4. 8 EOS40D撮影)