マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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八田のむかしよみや

2012年11月21日 06時41分51秒 | 田原本町へ
康正三年(1457)『大乗院寺社雑事記』に八田の地名が記されている田原本町の八田。

春日若宮祭礼の願主人の一人である八田氏の居住地だったそうだ。

村内の鎮座する伊勢降(いせふり)神社ではさまざまな年中行事が行われている。

神社の祭祀を勤めるのは三人の一年宮守。

その一人であるMさんの話によれば65歳になればその勤めをするという。

年齢順で回る宮守である。

次年に担う宮守も3人。

「みならい」と称して祭祀を支援する。

八田の村は3垣内で総計100数戸。

旧村としては多いほうだと思う。

宮守は一年間の年中行事を勤めて1月4日のとんどの日に次の宮守に役目を引き渡すという。

9月18日は「むかしよみや」。

案内によれば「昔宵宮」と表記される。

神社のみならず集落全域に亘って高張提灯を掲げる。

この日は朝から雨天だった。

ビニールカバーを掛けた提灯を目印に氏子たちが集まってくる。

「むかしよみや」の祭典は雨天でなければ境内社の道祖神社。

降り続ける雨を避けてテントを設営していたが祭礼をするには難しい。

仕方なく総代に許可を得て場を変更された。

その場は伊勢降神社の拝殿内。

道祖神社の方向に向けて神饌を供えた。

祭祀が始まる前に着座したのは3人の里巫女。

迎えたのは宮守たちだ。

向い側に座るが一人は差し出されたお祓い料を受け付ける。

時間ともなれば村人たちが拝殿前に集まった。

家族単位でやってくる人数は相当なもので行列ができるほどだ。

頭を下げてお参りする。



静々と立ちあがった里の巫女。

まずは御供斎壇に向けて一礼する。

それから鈴を右手に持って舞う神楽。

シャン、シャンと鳴らしながら左、右、左へと舞う。

参拝者側に向かうときはその都度頭を下げる。

まさにお神楽の舞いである。



そうして参拝者に歩み寄り鈴をシャンシャンと振る。

その音色からであろうか、宮守の一人は「シャンコシャンコ」と呼んでいる。

そう呼ぶのは八田だけでもなく県内各地でみられる。

大和郡山市馬司町の杵築神社、番条町の熊野神社、額田部町の推古神社に葛城市太田の海積神社で聞いたことを思い出す。

その他の地区でも同じような呼称があると想定される巫女が織りなす神楽の舞い。

鈴で祓う巫女神楽は一人ずつ交替しながら進められる。

3人の巫女は八田の女児たち。

小学6年生が一人で、「みならい」とされる2人の5年生が勤める。

神楽の舞いは法貴寺の池坐朝霧黄幡比賣神社の宮司家が指導にあたっている。

5月から教わってきた神楽を勤めたシャンコシャンコ。

およそ40分間も舞い続けた。

その頃には雨も小休止。

ようやく雨もあがりそうになった。

行列はなくなっても参拝者は訪れる。

一家族、また一家族とやってくる。



その都度勤めるシャンコシャンコはありがたい身体堅固の厄払いなのであろう。

こうして「むかしよみや」の夜は更けていく。

伊勢降神社の秋祭りは10月10日。

いつしか体育の日に移したそうだ。

前日はよいみや(宵宮)である。

宵宮と昔宵宮(むかしよみや)とは別の行事だそうだ。

こういった祭りの宵宮と昔宵宮が別個に行われているのは何故なんだろうか。

葛城市の當麻山口神社においては「宵宮祭り」がある。

同じように神楽が舞われる一夜限りの祭祀。

行事のあり方はそれぞれだが共通して「むかしよみや」と呼んでいる。

私が知る範囲では大和郡山市東椎の木杵築神社では昔夜宮、山田町の杵築神社は八朔座のむかしよみや、八条町堂山の子守神社は昔夜宮、横田町の和爾下神社では十ニ夜宮祭と称している。

また、葛城市八川の市杵島神社でも夜宮だ。

「むかしよみや」の「よみや」はおそらく夜宮ではないだろうか。

しかし、何故に「むかし」と呼ぶのか判らない。

それぞれの地区の方に聞いても判らないと返ってくる。

(H24. 9.18 EOS40D撮影)