晦日に三宝飾りを拝見した大和郡山市雑穀町の旧家のありがたいお言葉に甘えて正月早々におじゃました。
神棚とは別に三か所。
サンニンサンと呼ばれる家の神さんに供える同家の「正月行事を撮って」と願われて伺った。
改築されるまでのK家は大和郡山市史にも掲載されるぐらいの古い町家であった。
寛政時代(1789~)の古図にも載っていた旧家だった。
当家は古くからの郡山藩の藩医であった。
天保年間に火災で焼けて、天保七年(1836)に再建されたと伝わる。
当時の詳しい間取りは省くが、屋敷の間取りはできるだけ残しつつ、近年に於いて改築されたK家。
かつてあった太い大黒柱は細くなったと現当主は話す。
南側の三畳の間は台所に替えたが、座敷・茶の間がある本宅の間は当時の面影を残す間取りである。
その間は廊下に造り替えた。
そこがかつての「サンニンサン」を祭る場。
神棚のような引き戸に納めていた。
高さは目の位置ぐらいだったと話す。
「サンニンサン」の御供は今でも昔の在り方のままであるが、祭る場は八畳の間の床の間に移した。
場は替っても、祭る方角は変えず、旧来どおりの北に向けてである。
「そこにサンニンサンがおられます」と云って、祭る床の間を調えられる。
1月1日から3日の三日間と7日、15日、それぞれに供える料理は毎回違うと話す。
正月三日は雑煮に2個のモチ、おつゆ、椀蓋におかずの膳だ。
塗り椀は赤と黒色があり、膳は低いが三つ並べると聞いていた。
サンニンサンとは何者なのか。
代々伝わっているのはお供えだけだと云う。
まずはお稲荷さんにお供えをする。
朱塗りの丸盆に乗せた鏡餅。
ウラジロを敷いてモチ、ミカン、ツルシガキ、カチグリ、白昆布にヒナゴ(タツクリ)も盛った。
小皿に盛っているのは雑煮のモチとサトイモ。
それには削りカツオを降りかけている。
この様式はローソクを灯した神棚も同じである。
神棚に祀る神さんは八百万。
当家の箱には『八百萬神 闔家加護』の墨書文字も見られる。
仏壇の仏さんにも鏡餅を供えるが、小皿はモチだけになる。
正月二日、三日の小皿はネコモチ、ミズナに替えるそうだ。七日は七草粥、十五日は小豆粥になると云う。
お供えは家人が食べる食事と同じものを供える、ということだ。
卓台の前に供えるサンニンサンの膳は三人分。
いずれも同じ内容で、ウラジロを敷いて、ミカン、ツルシガキ、カチグリ、白昆布にヒナゴ(タツクリ)を盛った鏡餅に雑煮の椀と蓋に乗せたおかずの三品である。
大晦日の三宝飾りのときに作っていた三段お重のお節料理も供える。
お節料理は元日で、二日、三日はカシワにミズナに替える。
「サンニンサン」はお供えした壁に居られると云う。
家を改築するまでは、現在の廊下にあったと話すサンニンサンの神棚。
「こんな感じだった」と当時に記録されていた写真を拝見した。
引戸の造りの内部に納めてあったそれぞれ形式が異なる神さんのヤカタ。
左端にあるヤカタは高床式だ。
「なんと珍しい」と感慨深く話す当主。
「家のお節料理をいただいてください」と云う。
ゆっくりしている時間もない正月行事の取材は、雑穀町を含めて6カ所もある。
急がねばならないが、ついつい言葉に甘えてしまう。
お節料理のお重は瀬戸物製。
我が家も昔はそれがあった。
懐かしい正月の器に話が盛りあがって寛いでしまった。
(H26. 1. 1 EOS40D撮影)
神棚とは別に三か所。
サンニンサンと呼ばれる家の神さんに供える同家の「正月行事を撮って」と願われて伺った。
改築されるまでのK家は大和郡山市史にも掲載されるぐらいの古い町家であった。
寛政時代(1789~)の古図にも載っていた旧家だった。
当家は古くからの郡山藩の藩医であった。
天保年間に火災で焼けて、天保七年(1836)に再建されたと伝わる。
当時の詳しい間取りは省くが、屋敷の間取りはできるだけ残しつつ、近年に於いて改築されたK家。
かつてあった太い大黒柱は細くなったと現当主は話す。
南側の三畳の間は台所に替えたが、座敷・茶の間がある本宅の間は当時の面影を残す間取りである。
その間は廊下に造り替えた。
そこがかつての「サンニンサン」を祭る場。
神棚のような引き戸に納めていた。
高さは目の位置ぐらいだったと話す。
「サンニンサン」の御供は今でも昔の在り方のままであるが、祭る場は八畳の間の床の間に移した。
場は替っても、祭る方角は変えず、旧来どおりの北に向けてである。
「そこにサンニンサンがおられます」と云って、祭る床の間を調えられる。
1月1日から3日の三日間と7日、15日、それぞれに供える料理は毎回違うと話す。
正月三日は雑煮に2個のモチ、おつゆ、椀蓋におかずの膳だ。
塗り椀は赤と黒色があり、膳は低いが三つ並べると聞いていた。
サンニンサンとは何者なのか。
代々伝わっているのはお供えだけだと云う。
まずはお稲荷さんにお供えをする。
朱塗りの丸盆に乗せた鏡餅。
ウラジロを敷いてモチ、ミカン、ツルシガキ、カチグリ、白昆布にヒナゴ(タツクリ)も盛った。
小皿に盛っているのは雑煮のモチとサトイモ。
それには削りカツオを降りかけている。
この様式はローソクを灯した神棚も同じである。
神棚に祀る神さんは八百万。
当家の箱には『八百萬神 闔家加護』の墨書文字も見られる。
仏壇の仏さんにも鏡餅を供えるが、小皿はモチだけになる。
正月二日、三日の小皿はネコモチ、ミズナに替えるそうだ。七日は七草粥、十五日は小豆粥になると云う。
お供えは家人が食べる食事と同じものを供える、ということだ。
卓台の前に供えるサンニンサンの膳は三人分。
いずれも同じ内容で、ウラジロを敷いて、ミカン、ツルシガキ、カチグリ、白昆布にヒナゴ(タツクリ)を盛った鏡餅に雑煮の椀と蓋に乗せたおかずの三品である。
大晦日の三宝飾りのときに作っていた三段お重のお節料理も供える。
お節料理は元日で、二日、三日はカシワにミズナに替える。
「サンニンサン」はお供えした壁に居られると云う。
家を改築するまでは、現在の廊下にあったと話すサンニンサンの神棚。
「こんな感じだった」と当時に記録されていた写真を拝見した。
引戸の造りの内部に納めてあったそれぞれ形式が異なる神さんのヤカタ。
左端にあるヤカタは高床式だ。
「なんと珍しい」と感慨深く話す当主。
「家のお節料理をいただいてください」と云う。
ゆっくりしている時間もない正月行事の取材は、雑穀町を含めて6カ所もある。
急がねばならないが、ついつい言葉に甘えてしまう。
お節料理のお重は瀬戸物製。
我が家も昔はそれがあった。
懐かしい正月の器に話が盛りあがって寛いでしまった。
(H26. 1. 1 EOS40D撮影)