マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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北野奥小派の初庚申供養

2014年08月19日 09時51分08秒 | 山添村へ
平成26年の初かのえさる(庚申)は2月28日だ。

もしやと思って立ち寄った山添村の大字北野。

真言宗派の極楽院帝釈寺がある大字である。

秋のマツリに天神社でホーデンガクを奉納している奥にある神宮寺が帝釈寺だ。

18日に訪れたときは寺総代ら役員が柳生の立野寺の住職と打合せ中であった。

存じている人たちに尋ねた初庚申供養。

この年は16日を予定していたそうだが、村で服忌があったことからやむなく順延したと云う。

だいたいが、2月の16日、或いは19日、20日とも・・・。

帝釈寺境内に建つ庚申堂で行われる庚申供養の日は毎年揺れ動くようだ。

法要には住職が来られる。

その日は21日と聞いて再訪した大字北野の庚申堂。

月替り当番の年預(ねんにょ)さんが登り道に凍りついた残雪を除去していた。



3人の村役も来られて始まった庚申供養。

集まったのは北野の奥小派(おくこば)の人たちだった。

長老曰く、子供の頃に見ていた庚申供養に参列していたのは「としより講」だった。

狭い庚申堂に8人も座っていたことを覚えていると云う。

その日は初庚申の日。

いつしか奥小派の村行事に移ったそうだ。



法要の営みは村役もお堂にあがって住職が唱えるお念仏。

この日は法要を営む住職と役員二人が参列された。



庚申堂に安置するご本尊は青面金剛大将立像。

青色の彩色は鮮やかに残っていた金剛像に一目ぼれしたが、それほど古くないと思われた。

ローソク・線香に火を点けて供養をされる初庚申。

お堂の前は先日降った雪がまだ残っている。

お堂の前に建之されていた六角燈籠には「明治三十三年 庚中 村内安全 発起人 3名」が刻まれていた。

当時の講中は庚申講ではなく、庚講だったようだ。

庚申堂も再建されていたが、時代は不明。

燈籠建之年代から推定するに、明治三十三年に再建されたと考えるのが妥当であろう。

そのお堂に木製の彫り物が掲げられていた。



「見ざる 言わざる 聞かざる」を表現した猿の三体像である。

愛嬌たっぷりに感じた三猿の彫り物が気に入った。

(H26. 2.21 EOS40D撮影)