この日は西佐味で行われるもう一つの観音さん行事の取材がある。
山の神、弁天さん、とんどを拝見した西佐味の水野垣内である。
この日に集まったのは3軒の講中だ。
降っていた雨もやんで、水野の墓地に安置している観音さんに参る。
安置する墓地周辺(小字堂ノ前)はかつて観音寺と呼ぶお寺があったそうだ。
鎌倉時代の終わり頃は葛城修験道が最も盛んな時代。
金剛山頂の転法輪寺、朝原寺、高天寺、大沢寺などとともに金剛七坊の一つであった西佐味であった。
今では小さな金銅観音仏を安置しているが、かつてあった本尊は下った中垣内の常福寺へ遷して安置していると云う。
小さな観音さんはその本尊から数えて三代目。
平成18年4月にF家が寄進したそうだ。
では、二代目は・・・。
これもまた常福寺にあると云う。
その二代目は昭和5年9月10日に開眼供養したと伝える札木が残されていた。
この日の法要は三巻の般若心経。
以前は観音経だったと云う講中もおれば、「般若心経や」と云う講中も。
「どっちゃでも構わん」と笑った。
心経を終えれば、昭和58年8月に建之した墓石に向きを替えて「なーむだいしへんじょうそんこんごう」と三回唱えた。
没年はいつの時代か判らないが、水野の観音堂に住まいしていた坊さんらしく、この辺りの田地や谷川分け水などすべてを村に寄進したえらい坊さんの名は傳道。
村に徳行をした傳道は「毎年の観音さんの日には供養をしてくれ」と遺言を残した。
そういうことから毎年の4月18日は今でも続けているのだと講中は話すが、常福寺には墓がないから参ることはないと云った。
(H26. 4.18 EOS40D撮影)
山の神、弁天さん、とんどを拝見した西佐味の水野垣内である。
この日に集まったのは3軒の講中だ。
降っていた雨もやんで、水野の墓地に安置している観音さんに参る。
安置する墓地周辺(小字堂ノ前)はかつて観音寺と呼ぶお寺があったそうだ。
鎌倉時代の終わり頃は葛城修験道が最も盛んな時代。
金剛山頂の転法輪寺、朝原寺、高天寺、大沢寺などとともに金剛七坊の一つであった西佐味であった。
今では小さな金銅観音仏を安置しているが、かつてあった本尊は下った中垣内の常福寺へ遷して安置していると云う。
小さな観音さんはその本尊から数えて三代目。
平成18年4月にF家が寄進したそうだ。
では、二代目は・・・。
これもまた常福寺にあると云う。
その二代目は昭和5年9月10日に開眼供養したと伝える札木が残されていた。
この日の法要は三巻の般若心経。
以前は観音経だったと云う講中もおれば、「般若心経や」と云う講中も。
「どっちゃでも構わん」と笑った。
心経を終えれば、昭和58年8月に建之した墓石に向きを替えて「なーむだいしへんじょうそんこんごう」と三回唱えた。
没年はいつの時代か判らないが、水野の観音堂に住まいしていた坊さんらしく、この辺りの田地や谷川分け水などすべてを村に寄進したえらい坊さんの名は傳道。
村に徳行をした傳道は「毎年の観音さんの日には供養をしてくれ」と遺言を残した。
そういうことから毎年の4月18日は今でも続けているのだと講中は話すが、常福寺には墓がないから参ることはないと云った。
(H26. 4.18 EOS40D撮影)