風の森から峠越え。国道24号線を北上していた。
昼過ぎから降りだした雨で葛城山系が霞んでいる。
五百家(いおか)を通りぬけてしばらくは下り坂。
往路にも通っていた国道である。
そのときに気がついた。
高く伸ばした木製の支柱があった。
支柱の先は矢羽根でもなく、木の葉でもない。
どことなくカマの形に似ていたのだ。
それは一体何であるのか。
気がかりにしたまま帰宅するわけにもいかず、念のためと思って訪ねた家は鳥井戸の住民。
母屋から出てこられた婦人は95歳。
支柱に掲げてあった正体を教えてもらった。
それはカマでもなく、ひ孫が生まれたときに立てたコイノボリの支柱であったが、最初の年は木の葉付きで2年目はくるくる回る矢羽根に取り替えた。
ひ孫は大きくなったが、そのままにしておいた。
もう何年も経っているという、それは矢羽根の欠片。
一枚が残っていたものがカマに見えたのである。
同家にはもう一本あったが、孫の誕生のときのもの。
どちらも山から伐り出したヒノキの木である。
それは門屋の前に立てていた。
用を終えたコイノボリの支柱は記念に門屋のツシに掲げている。
長い支柱は立派な太さ。
でんと構えている。
婦人の出里は五條市の野原。
それほど遠くない。
嫁入りしたときの家は現在の国道24号線よりも下の旧街道だった。
今でも田畑はそこにあって、この日は若い者がモミオトシをしてきたという。
この日は数か所で田んぼ作りをしている農家があった。
東佐味ではすでに苗代を済ませている田んぼもあった。
旧道はかつての本道。
バスの終着点でもあった。
国道24号線は山麓を走る新道になったころに旧道からあがって、この地に新居を建てた。
建築材は近くの山から伐り出して10年の廻り。
それから旦那とともに自前で建てたという。
かつての鳥井戸は葛城の心斎橋の名がつくぐらいの賑やかさがあったと思い出話。
いずれひ孫の支柱にもコイノボリを泳がせたいという支柱はネジで止めているから、緩めて倒すこともできるそうだ。
(H26. 4.28 EOS40D撮影)
昼過ぎから降りだした雨で葛城山系が霞んでいる。
五百家(いおか)を通りぬけてしばらくは下り坂。
往路にも通っていた国道である。
そのときに気がついた。
高く伸ばした木製の支柱があった。
支柱の先は矢羽根でもなく、木の葉でもない。
どことなくカマの形に似ていたのだ。
それは一体何であるのか。
気がかりにしたまま帰宅するわけにもいかず、念のためと思って訪ねた家は鳥井戸の住民。
母屋から出てこられた婦人は95歳。
支柱に掲げてあった正体を教えてもらった。
それはカマでもなく、ひ孫が生まれたときに立てたコイノボリの支柱であったが、最初の年は木の葉付きで2年目はくるくる回る矢羽根に取り替えた。
ひ孫は大きくなったが、そのままにしておいた。
もう何年も経っているという、それは矢羽根の欠片。
一枚が残っていたものがカマに見えたのである。
同家にはもう一本あったが、孫の誕生のときのもの。
どちらも山から伐り出したヒノキの木である。
それは門屋の前に立てていた。
用を終えたコイノボリの支柱は記念に門屋のツシに掲げている。
長い支柱は立派な太さ。
でんと構えている。
婦人の出里は五條市の野原。
それほど遠くない。
嫁入りしたときの家は現在の国道24号線よりも下の旧街道だった。
今でも田畑はそこにあって、この日は若い者がモミオトシをしてきたという。
この日は数か所で田んぼ作りをしている農家があった。
東佐味ではすでに苗代を済ませている田んぼもあった。
旧道はかつての本道。
バスの終着点でもあった。
国道24号線は山麓を走る新道になったころに旧道からあがって、この地に新居を建てた。
建築材は近くの山から伐り出して10年の廻り。
それから旦那とともに自前で建てたという。
かつての鳥井戸は葛城の心斎橋の名がつくぐらいの賑やかさがあったと思い出話。
いずれひ孫の支柱にもコイノボリを泳がせたいという支柱はネジで止めているから、緩めて倒すこともできるそうだ。
(H26. 4.28 EOS40D撮影)