3月3日、建て壊す前の本堂で行われた「オコナイ」行事。
大和郡山市小林町の新福寺観音堂は、その後に行われた4月21日のお大師さんの日に解体されてすっかり消えた。
平成25年3月、境内に併設する杵築神社は新しく造営された。
そのころから話しが持ち上がっていた観音堂の再建築。
創建は不明だが、お堂に残されたぬ棟札から、元禄九年(1696)に屋根などの解体修理があったことは事実である。
それから318年も経過したお堂は朽ちて今にも倒れそうだった。
いつしか再建したいと話していた住職。
新公民館(土地改良区事務所)が平成17年に建てられてからは利用することもなくなった旧公民館も朽ちていた。
いっそのこと両建物を再建したいという思いが募って新築を決意された。
2年後に新築される新福寺観音堂は昭和43年4月の屋根瓦改修の際に発見された棟札が残されている。
表面は「奉 上棟大工小泉六兵衛同新五郎 年寄権兵衛・勘兵衛・喜右衛門」、「丙子」、「元禄九年(1696) 法隆寺傳兵衛同九兵衛同龍田忠兵衛 二月廿五日當村庄屋喜平治同九兵衛」とある。
裏面は「新福寺沙門高者 左座一喝 吉□・九右衛門・西順禅門・・・・・古座一喝弥治右衛門・・・弥右衛門・・」。
左座・古座は現在の左座・右座。一喝は長老一老の呼称であろう。
小林町の氏神さんを祀る杵築神社の祭祀を務める宮座衆である。
屋根改修の棟札だけに創建はもっと以前を考えられているが、時代年期は伝わっていない。
この日は祝いの落成式。
旧公民館跡に建てた新築の信徒会館の落成式である。
檀徒信徒が集まる会館に村人や住職知己の人たち大勢が祝いに参集する。
お堂を壊した跡地の傍に地蔵尊がある。
かつてはこの場で尼講の人たちが地蔵盆の数珠繰りをしていた。
新公民館が建ってからはその場に移って年に数回の行事を営んできた。
落成式を終えた今夏の地蔵盆は信徒会館で行われるようだ。
信徒会館の愛称は「愛染会館」。
盗難に合わないように観音堂本尊とは別に愛染明王座像は本堂庫裏に保管していた。
隠されていた愛染明王は信徒会館落成を記念にご本尊として安置することを決断された住職。
信徒会館は檀徒が利用するだけでなく、例えば水害などが発生した場合の避難場所としても活用できるようにしたという。
尼講が営む涅槃さんがある。
掛図はとても大きくて新公民館では下部がはみ出ていた。
畳にだらりとする状態であった。
尼講の申し出は「掛図も掲げられるようにしてください」だった。
願いを叶えた信徒会館の天井はいくら背伸びをしても届かないほど高くなった。
その場に座る尼講たちはこれよりお茶会によばれる客人だ。
丁重にお臼をいただく尼講は16人。
ほぼ全員が参集された。
お茶会をもてなす子供たちは市立大和郡山南中学校の茶道部。
卒業した高校生も応援するお茶会のおもてなしである。
住職はかつて校長先生も務めた教育関係者。
教え子が多い。
南中学校の校長先生もその一人。
「このようなめでたい場を協力させていただくことはありがたいことだ」と話す。
茶道部の女子は村の子もいる。
「記念に写真を撮ってや」と云われるがどれがどの子か判らずあたふたする。
落成式の日は小林町の「川掘り」に合わせて日程された。
出来る限り多くの村人に参集していただけるようにそうされたのだ。
人足を務めた村人たちは普段着で参集する。
村の仕事は時間がかかる。
婦人たちも人足となって作業をされていた。
「化粧もし直さなあかん」と云って一旦は家に戻る。
田起こしもしなくてはならないこの日は忙しい。
蓮華坐に座る本尊愛染明王は若干の補修をされた。
台座を探してみたが見つからなかった。
仕方なく新しい台座を製作されて付け加えた。
落成式法要に支援する僧侶とともに拝見した愛染明王は一面六臂。
憤怒の形相で睨みをきかせる。
本尊左右は新たに購入された曼荼羅図。
花立を添えて中央に、三段構えで設置したバックライトで美しく照らす。
この日は目出度い紅白の鏡餅を供えた。
獅子頭の宝珠冠を被る愛染明王。
六手に五鈷鈴、五鈷杵、弓、矢、蓮華などの持物をもつ。
伝わる話しによれば大和小泉藩二代目・片桐石州(貞昌)が寄進したようだが真偽は判らない。
寛文三年(1663)、石州が父親菩提のために建之したのは小泉町にある慈光院。
新福寺観音堂の建之はそれよりずっと以前の昔である。
落成式は愛染明王開眼および落成慶賛の法要だ。
ローソク、線香に火を灯した内陣の席は来賓者がつく。
襖を外した会館はびっしり人で埋まった。
祝いの日が来るまでなにかと忙しかった住職。
鐃祓を打ち鳴らして即興でつくられた開眼表白を唱える。
鐃祓を打ち鳴らして開眼法要をされる。
信徒会館は参集した村の人や教育関係者で満席になった。
続いて般若心経を唱えながら散華。
立ち上がって参進。撒く散華の枚数はおよそ200枚。
会館を出て館外で立つ村の人らにも行われる。
それら法要を終えて焼香。
僧侶は般若心経を唱える。
溢れて外で待つ人らにも焼香を願って香炉を玄関口に移動された。
長い行列になった焼香の間も般若心経を唱えられる。
落成式を終えたあとは住職ふるまいの膳をいただくが俄かに小雨が降りだした。
村の人たちは新公民館でヨバレ。
招待された私は信徒会館でヨバレ。
大和小泉駅前通りにある寿司・会席・折詰・幕の内・・なんでもこいの仕出し料理屋「富味寿司」調整の特別料理を味わう。
とても美味しくいただいた料理に舌鼓が跳ねる。
この場を借りて感謝申しあげる。
(H27. 4.21、29 EOS40D撮影)
大和郡山市小林町の新福寺観音堂は、その後に行われた4月21日のお大師さんの日に解体されてすっかり消えた。
平成25年3月、境内に併設する杵築神社は新しく造営された。
そのころから話しが持ち上がっていた観音堂の再建築。
創建は不明だが、お堂に残されたぬ棟札から、元禄九年(1696)に屋根などの解体修理があったことは事実である。
それから318年も経過したお堂は朽ちて今にも倒れそうだった。
いつしか再建したいと話していた住職。
新公民館(土地改良区事務所)が平成17年に建てられてからは利用することもなくなった旧公民館も朽ちていた。
いっそのこと両建物を再建したいという思いが募って新築を決意された。
2年後に新築される新福寺観音堂は昭和43年4月の屋根瓦改修の際に発見された棟札が残されている。
表面は「奉 上棟大工小泉六兵衛同新五郎 年寄権兵衛・勘兵衛・喜右衛門」、「丙子」、「元禄九年(1696) 法隆寺傳兵衛同九兵衛同龍田忠兵衛 二月廿五日當村庄屋喜平治同九兵衛」とある。
裏面は「新福寺沙門高者 左座一喝 吉□・九右衛門・西順禅門・・・・・古座一喝弥治右衛門・・・弥右衛門・・」。
左座・古座は現在の左座・右座。一喝は長老一老の呼称であろう。
小林町の氏神さんを祀る杵築神社の祭祀を務める宮座衆である。
屋根改修の棟札だけに創建はもっと以前を考えられているが、時代年期は伝わっていない。
この日は祝いの落成式。
旧公民館跡に建てた新築の信徒会館の落成式である。
檀徒信徒が集まる会館に村人や住職知己の人たち大勢が祝いに参集する。
お堂を壊した跡地の傍に地蔵尊がある。
かつてはこの場で尼講の人たちが地蔵盆の数珠繰りをしていた。
新公民館が建ってからはその場に移って年に数回の行事を営んできた。
落成式を終えた今夏の地蔵盆は信徒会館で行われるようだ。
信徒会館の愛称は「愛染会館」。
盗難に合わないように観音堂本尊とは別に愛染明王座像は本堂庫裏に保管していた。
隠されていた愛染明王は信徒会館落成を記念にご本尊として安置することを決断された住職。
信徒会館は檀徒が利用するだけでなく、例えば水害などが発生した場合の避難場所としても活用できるようにしたという。
尼講が営む涅槃さんがある。
掛図はとても大きくて新公民館では下部がはみ出ていた。
畳にだらりとする状態であった。
尼講の申し出は「掛図も掲げられるようにしてください」だった。
願いを叶えた信徒会館の天井はいくら背伸びをしても届かないほど高くなった。
その場に座る尼講たちはこれよりお茶会によばれる客人だ。
丁重にお臼をいただく尼講は16人。
ほぼ全員が参集された。
お茶会をもてなす子供たちは市立大和郡山南中学校の茶道部。
卒業した高校生も応援するお茶会のおもてなしである。
住職はかつて校長先生も務めた教育関係者。
教え子が多い。
南中学校の校長先生もその一人。
「このようなめでたい場を協力させていただくことはありがたいことだ」と話す。
茶道部の女子は村の子もいる。
「記念に写真を撮ってや」と云われるがどれがどの子か判らずあたふたする。
落成式の日は小林町の「川掘り」に合わせて日程された。
出来る限り多くの村人に参集していただけるようにそうされたのだ。
人足を務めた村人たちは普段着で参集する。
村の仕事は時間がかかる。
婦人たちも人足となって作業をされていた。
「化粧もし直さなあかん」と云って一旦は家に戻る。
田起こしもしなくてはならないこの日は忙しい。
蓮華坐に座る本尊愛染明王は若干の補修をされた。
台座を探してみたが見つからなかった。
仕方なく新しい台座を製作されて付け加えた。
落成式法要に支援する僧侶とともに拝見した愛染明王は一面六臂。
憤怒の形相で睨みをきかせる。
本尊左右は新たに購入された曼荼羅図。
花立を添えて中央に、三段構えで設置したバックライトで美しく照らす。
この日は目出度い紅白の鏡餅を供えた。
獅子頭の宝珠冠を被る愛染明王。
六手に五鈷鈴、五鈷杵、弓、矢、蓮華などの持物をもつ。
伝わる話しによれば大和小泉藩二代目・片桐石州(貞昌)が寄進したようだが真偽は判らない。
寛文三年(1663)、石州が父親菩提のために建之したのは小泉町にある慈光院。
新福寺観音堂の建之はそれよりずっと以前の昔である。
落成式は愛染明王開眼および落成慶賛の法要だ。
ローソク、線香に火を灯した内陣の席は来賓者がつく。
襖を外した会館はびっしり人で埋まった。
祝いの日が来るまでなにかと忙しかった住職。
鐃祓を打ち鳴らして即興でつくられた開眼表白を唱える。
鐃祓を打ち鳴らして開眼法要をされる。
信徒会館は参集した村の人や教育関係者で満席になった。
続いて般若心経を唱えながら散華。
立ち上がって参進。撒く散華の枚数はおよそ200枚。
会館を出て館外で立つ村の人らにも行われる。
それら法要を終えて焼香。
僧侶は般若心経を唱える。
溢れて外で待つ人らにも焼香を願って香炉を玄関口に移動された。
長い行列になった焼香の間も般若心経を唱えられる。
落成式を終えたあとは住職ふるまいの膳をいただくが俄かに小雨が降りだした。
村の人たちは新公民館でヨバレ。
招待された私は信徒会館でヨバレ。
大和小泉駅前通りにある寿司・会席・折詰・幕の内・・なんでもこいの仕出し料理屋「富味寿司」調整の特別料理を味わう。
とても美味しくいただいた料理に舌鼓が跳ねる。
この場を借りて感謝申しあげる。
(H27. 4.21、29 EOS40D撮影)