マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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丹治の山の神祭

2017年08月11日 09時41分20秒 | 吉野町へ
山の神を祭る日は7日。

圧倒的に多い県内事例は1月7日であるが、地域によっては12月7日とか、11月7日もある。

稀に6月7日にしているという地域もある。

山の神の行事をされている地域は山間地。

木材業が盛んである地域にある。

この日に訪れた地域は吉野町丹治であるが、当月の11月行事であればこれまで取材した地域に吉野町小名の上出垣内もある。

天川村は天河弁才天社西の坪内垣内。

東吉野村は鷲家の川向垣内や上鷲家の大西垣内

五條市は旧大塔村の阪本

御所市であれば日程は申の日である鴨神上郷西佐味水野垣内。

東山間部にあたる奈良市柳生町の山脇もあれば桜井市の横柿もある。

また、話しは聞いているが、未取材地域に吉野町の喜佐谷や天川村の南日裏、黒滝村の赤滝がある。

桜井市の鹿路にもあると聞いているが時間帯は判然としない。

県内くまなく取材をしたいものだが、同一日行事であるだけに何十年もかかってしまう。

吉野町の丹治に山の神行事があると知ったのは平成26年2月1日

所在地を探してみたが見つからなかった。

この日も見つからない。

聞いていた時間帯であるが、早く着き過ぎたのか人影すら見えない。

山の神の所在地は山の中かもしれない。

そう思って急坂を登ってみるが見つからない。

諦めて下ったところに軽トラが停まっていた。

たぶんにここであろうと思って近寄ってみれば、そうであった。

今年当番の上第一、第二垣内の人がお供えをしていた場所は幹回りが太い年代ものの大杉の下。

厚めの一枚板をコンクリート祭壇に載せて御供を置く。

塩、洗い米に生鯖が一尾。

プラスチック製のコウジブタに白い餅がある。

特殊なものなど、一切ない。

饅頭屋に頼んで作ってもらった御供餅はもっとあるが、祭壇に載せられないからゴクマキの場に置いていた。

参拝者はめいめい。

神饌料を奉げて手を合わせる。



丹治の山の神祭には神職は登場しない。

めいめいがやってきて参拝する自由参拝。

山の神の場はハイトダニと呼ばれる谷の地。

勾配のキツイ斜面を登って参拝する。

丹治の山の神は神木の大杉。

百年ぐらいはここに立っているという。



山の神がある山は区有地。

丹治の北の口にあたる。

山の向こう側は大字吉野山の境界になる。

近鉄電車の吉野線に沿って県道を少し南下すれば吉野の千本口駅だ。

丹治に貯木場がある。

川上村から伐り出した木材は丹治に運ばれて加工している。

そういう関係もある製材仕事の従事者はこの日は休みだ。

昭和13年の殖産制度に発展した丹治の江戸時代はタバコの葉の生産地。

養蚕業に欠かせない桑畑もあったという。

そんな話をしていた神木の地はしっかり踏み込んでいなければ後ろに反ってしまうぐらいの急勾配の地である。

参拝を済ませた村の人はここより下ったところで暖をとっている。

その場の方がやや広い地。

しかも安定しているから皆が集まって寄り添う場所でもある。

30分も経ったころだろうか。

立ち状態でトンドにあたっていた参拝者たちは場を移動した。

コンクリートの崖上より投げるゴクマキがこれより始まる。



実は聞いていた時間がそのゴクマキ時間であったのだ。

高齢のご婦人たちは山へ登ることができずにアスフアルト道路のゴクマキ場下から拝んでいた。

トンド場にいた村の人の数の倍以上もおられるゴクマキ場を見て、そう思った。

思う存分の御供餅を投げる男性たち。

道路にいる人たちは右や左に手が伸びる。

ときには後ろに転がっていく。

面白いことに逃したモチが落ちた痕跡が白、白の点々。



ハ、ハ、ハか、ヘ、ヘ、ヘの文字に一、一、一の数字もある。

そんなことはお構いなしに餅を手に入れたい人は動き回っていた。

ちなみに丹治は山の神以外に神社の年中行事がある。

マツリは10月。

新嘗祭は11月23日。

山の神と同じようにゴクマキをしているらしい。

丹治にある神社は2社。

一つは吉野神宮駅近くにあるこうもり神社。

充てる漢字は子守神社のようだ。

もう一社はおおもり神社。

充てる漢字は大森神社であろうか。

また、場所はわからなかったが、弁天社もあるようだ。

また、丹治会館があるところの山の上はシロヤマ(城山)。

この地は以前も聞いている街道を歩く侍を上から見下ろして監視していたという地。

一度は拝見してみたいものだが、機会があればの話しである。

(H28.12. 7 EOS40D撮影)