この日は前月の下見の際に伺ってわかった南山城村北大河原の山の神行事の取材。
その行事が始まる時間帯は午後5時。
撮影並びに取材にあたっては主催者の了解も得なければならない行事である。
その時間がくるまでに拝見しておきたい神社の在り方。
場所は京都府木津川市の木津宮ノ裏に鎮座する御霊神社である。
同行している写真家Kさんが今年の夏にここを通りすがりに見た情景をもう一度見てみたいと申し出られてやってきた。
それは境内中央に見られた砂モチである。
高さも広さもある砂モチ。
頂点には一本の青竹を立てている。
おそらく幣があったのではないだろうか。
京都の神社ではこういう三角錐形の砂モチがまま見られるようだ。
ぐぐってみたネット情報に京都の上賀茂神社の一対の「立砂」があった。
そのネットに解説文がある。
「神様が降臨された神山をかたどった立砂。ここがパワースポットだと言われています・・・云々」とある。
依り代の形であるが、民俗的要素の説明はなく、これはパワースポットであるという印象面を伝えている。
他のネットには上賀茂神社の「立砂」は清めの砂とある。
神社は京の都から見れば鬼門の方角。
その意味をもって建てられた神社に売っている砂を裏鬼門に撒けば厄祓いになるとか・・・。
ちなみに上賀茂神社の「立砂」には数本の松葉を立てているようだ。
左は3本。
右が2本とある。
立砂は上賀茂神社以外にも京都の神社にあるのか、ないのか。
調べてみれば京都市内の西加茂大将軍神社が一つ。
二つ目に京都市左京区にある白雲稲荷神社。
三つ目に宇治上神社が見つかった。
では、奈良県ではどうか。
私の知る範囲内であるが、同じような形の上賀茂神社がいう立砂。
あるところでは盛砂と名で呼ぶこともあるようだが、県内事例に形は同じであってもその名で呼ぶこともなく、依り代、神籬とも示さず、単に砂モチである。
参拝にきた人たちが靴底につけて持ち帰る。
あるいは雨に流されて境内の砂が少なくなる。
それを補充する意味合いに正月前に砂を運んで補充しているのだ。
一例にすぎないが、大和郡山市の小泉神社の奉納砂モチが理解しやすい。
そんなことを思いながら木津御霊神社を拝見していたときに気づく座小屋。
立派な建物は中央拝殿から見れば右、左にある座小屋が気にかかる。
扉もなく開放感がある座小屋に上がれる人数はどれくらいになるのであろうか。
座る位置は指定されている。
それを示す座の木札を列挙する。
「永楽座」、「天明座」、「神楽座」、「末広座」、「高砂座」、「住広座」、「末吉座」、「翁座」、「寿老座」、「末永座」、「天勢座」、「老栄座」、「天栄座」、「扇座」、「相生座」、「安永座」、「泉座」、「八千代座」の18座はそれぞれに長寿の意味があるように思えた座名である。
もう少し神社を巡ってみよう。
高灯籠のように思えた石灯籠に年代記銘がある。
「安永二年(1773)巳正月」とある。
拝殿右に昭和59年2月に建てた「昭和造営記録」記念碑がある。
もともとはここではなくニュータウン造成工事に伴う移転遷座によって当地に遷った。
石灯籠はかつて元社にあったものと推定される。
(H28.12.10 EOS40D撮影)
その行事が始まる時間帯は午後5時。
撮影並びに取材にあたっては主催者の了解も得なければならない行事である。
その時間がくるまでに拝見しておきたい神社の在り方。
場所は京都府木津川市の木津宮ノ裏に鎮座する御霊神社である。
同行している写真家Kさんが今年の夏にここを通りすがりに見た情景をもう一度見てみたいと申し出られてやってきた。
それは境内中央に見られた砂モチである。
高さも広さもある砂モチ。
頂点には一本の青竹を立てている。
おそらく幣があったのではないだろうか。
京都の神社ではこういう三角錐形の砂モチがまま見られるようだ。
ぐぐってみたネット情報に京都の上賀茂神社の一対の「立砂」があった。
そのネットに解説文がある。
「神様が降臨された神山をかたどった立砂。ここがパワースポットだと言われています・・・云々」とある。
依り代の形であるが、民俗的要素の説明はなく、これはパワースポットであるという印象面を伝えている。
他のネットには上賀茂神社の「立砂」は清めの砂とある。
神社は京の都から見れば鬼門の方角。
その意味をもって建てられた神社に売っている砂を裏鬼門に撒けば厄祓いになるとか・・・。
ちなみに上賀茂神社の「立砂」には数本の松葉を立てているようだ。
左は3本。
右が2本とある。
立砂は上賀茂神社以外にも京都の神社にあるのか、ないのか。
調べてみれば京都市内の西加茂大将軍神社が一つ。
二つ目に京都市左京区にある白雲稲荷神社。
三つ目に宇治上神社が見つかった。
では、奈良県ではどうか。
私の知る範囲内であるが、同じような形の上賀茂神社がいう立砂。
あるところでは盛砂と名で呼ぶこともあるようだが、県内事例に形は同じであってもその名で呼ぶこともなく、依り代、神籬とも示さず、単に砂モチである。
参拝にきた人たちが靴底につけて持ち帰る。
あるいは雨に流されて境内の砂が少なくなる。
それを補充する意味合いに正月前に砂を運んで補充しているのだ。
一例にすぎないが、大和郡山市の小泉神社の奉納砂モチが理解しやすい。
そんなことを思いながら木津御霊神社を拝見していたときに気づく座小屋。
立派な建物は中央拝殿から見れば右、左にある座小屋が気にかかる。
扉もなく開放感がある座小屋に上がれる人数はどれくらいになるのであろうか。
座る位置は指定されている。
それを示す座の木札を列挙する。
「永楽座」、「天明座」、「神楽座」、「末広座」、「高砂座」、「住広座」、「末吉座」、「翁座」、「寿老座」、「末永座」、「天勢座」、「老栄座」、「天栄座」、「扇座」、「相生座」、「安永座」、「泉座」、「八千代座」の18座はそれぞれに長寿の意味があるように思えた座名である。
もう少し神社を巡ってみよう。
高灯籠のように思えた石灯籠に年代記銘がある。
「安永二年(1773)巳正月」とある。
拝殿右に昭和59年2月に建てた「昭和造営記録」記念碑がある。
もともとはここではなくニュータウン造成工事に伴う移転遷座によって当地に遷った。
石灯籠はかつて元社にあったものと推定される。
(H28.12.10 EOS40D撮影)