当月の1日に下ごしらえをしてベランダ干し。
日にちも経っていたからカラカラに乾いていたカケダイ。
それからの寒風に晒してさらにカラカラ干し。
年末近くになれば売り物にするための角結びをすると聞いて再訪した。
カケダイを作って売り出すお店は宇陀市室生下笠間の宮崎商店。
同商店でカケダイを作って販売していると知ったのは、この年に行われた虫送りの日だった。
入店したお店の神棚に吊るしてあったカケダイを見て驚いたものだった。
作るところ、干すところなどの作業場面を記録させていただきたいと取材をお願いしていた。
同商店をはじめて知ったのはそれよりもずっと前。
平成17年の6月16日だった。
虫送り行事のことについて情報を得たく入店したお店であった。
玄関ドアガラスに何かしかの印があったが、気にもとめなかったのでそれが何だったのか、まったく記憶にない。
朧気ながら脳裏にあるのはお札だったような気がする。
それから県内各地でさまざまな民俗行事を取材するようになってからはお札が目に入ればついつい写真に記録する癖がついた。
商店に着いたときのご主人は畑から引いてきたダイコンを洗っていた。
3本とも見事な形に育ったダイコン。
悩ましい姿のダイコン足だけではなく、仏手のように見えるダイコンもある。
見ていて飽きないダイコンの姿に思わずシャッターを押す。
作業する場はベランダ下にある小屋である。
案内されるご夫婦についていく途中に拝見した干し物。
皮を剥いて半割りした種付きの柿である。
渋柿もこうしておけば美味しくなる。
隣の籠は熟しの柿に蜜柑。
家でできたこれらは家で食べるもん。
商売には出していない。
売り物にしているのは階下の作業場にある棒ダラである。
何日間も水に浸していた棒ダラである。
今年は5尾を買って製品化している。
お客さんに売るものもあるが、我が家の正月に食べるものもある。
カラカラ状態の棒ダラを購入したら、とにかく水溜めに漬け込んでもどす。
棒ダラは炊き方が難しいという。
一日たっぷり時間をかけて炊く。
味付けは本だしにコブ(昆布)を使う。
箸で突っついて柔らかくなってから味付けする。
棒ダラの仕入れ先は奈良県中央卸売市場。
北海道で捕れたタラは11月ころにここで乾燥させる。
タラは10本、11本、12本入りで売っている。
近頃は棒ダラも高くなった。
だいたいが半身で買う。
上等もんであれば半身で8千円。
一尾であれば1万3千円にもなるという。
棒ダラは家で炊いてコブ(昆布)巻きにする。
10cmぐらいの長さに切って昆布を巻いて作る個数は100個。
棒ダラとカズノコさえあれば正月三日間を暮らせるとご主人はいう。
正月用に作る一品はもう一つある。
魚のエイである。
これもまた卸売市場から仕入れる。
その量は50kgにもなる。
仕入れたエイの内臓を取る。
タワシでこすって取り除いた内臓部を綺麗にする。
昔はそうしていたが、今は内臓処理をしたものを入手しているという。
エイを食べるのは正月。
煮凝りも欲しいから作る。
この煮凝りがたまらなく好きなお客さんもおれば、アツアツご飯にのせて食べたらとても美味しいという人も。
そういう人にも応えてあげたいから毎年作ってきた。
昔は匂いがキツく臭かった。
いわゆるアンモニア臭である。
ヌルヌルしているエイは塩を塗して揉む。
よく揉んでヌルヌルを取る。
そして水洗い。
それから甘辛く味付けして鍋で炊く。
甘辛いではあるが、どっちかといえば辛いエイの味。
調理されたエイはお店で販売する。
そのような正月用の調理商品作りを交えながら作業をされるご主人。
ベランダで干していたカケダイを降ろす。
カケダイは2尾で1セット。
この1セットを「ひとかけ」と呼ぶ。
売るときもそうだが、「ひとかけ」と云えば2尾の1セットである。
以前は竹の竿を水平に立てた「ハサ」に干していた。
イヌワラをエラから口へ通してツノムスビ(角結び)。
ツノムスビにすれば藁縄は緩まない。
「わしらはどこでも、いつでもツノムスビや」という。正月飾りの門松はオン松(雄松)とメン松(雌松)揃って一式。
門松を立てる心棒に杭を打ち込んで松を固定する。
そのときもツノムスビをしているという。
だいたいが12月28日にしている門松飾り。
ご近所のⅠさんは注連縄を作る。
御幣はご主人と決まっているようだ。
「こんな結びは若いもんはできんやろな」という。
そのⅠさんの家にあったのがカケダイだった。
拝見したのは平成22年1月4日である。
見て撮ってくれてかまわんよと云われて撮らせてもらった。
丁度そのころの28日、29日にお客さんがカケダイを買いにくる。
の有無確認に電話がしょっちゅう鳴る。
まだか、まだか、と催促する人もいるらしい。
カケダイにする魚は真鯛だった。
それは昔の話し。
今はニュージーランド産の冷凍レンコダイ。
11月のかかりに仕入れた。
エラを抜き取って内臓も取る。
塩を内蔵に詰め込んで漬物樽に漬け込む。
樽底に置いて並べる。
塩もして置いて並べる。
何層にもなったという塩漬けである。
10日ほど経てば水が湧いてくる。
湧いた水はほかして樽に移す。
その樽でもう一度塩漬けにする。
その場合のカケダイの置き方は表面から裏面に替える。
つまりは両面とも塩漬けするようなものだが、実は出してみればわかるのだが、塩漬けしていた裏面はまだ赤身状態なのだ。
干す前の作業もずいぶんと手間をかけていたことを知るのである。
表も裏も塩漬けしてようやく樽から出す。
それから干す作業に入る。
干す日に冷たい風がないとなかなかできない。
寒いだけではできない。
風が吹かないとカケダイができあがらないのである。
カケダイにツノムスビ(角結び)をする縄は市販のロープである。
その縄をエラから口に通すのであるが、なかなか上手いこと通らない。
そこで登場するのが竹で作った通しの道具である。
節目がある先端は先を尖らす。
手で押し込む側は二つに割っている。
割った部分にロープの先を挟む。
挟んだロープが外れないように指で割いた竹を抑えながら通す。
かつては竹でなく金属製のハサンバリだった。
炭焼きの道具にそれがあったらしい。
金属製よりも竹製の方が柔らかいから手に馴染む。
1尾に通したロープの長さをとる。
ツノムスビができる長さに合わせて鋏を入れて切る。
もう1尾のカケダイにもロープを通す。
同じようにエラから口へと通して腹合わせ。
ロープの位置を調整してモチワラを取り出す。
2尾のエラの中に食い込むように揃える。
親父さんもこうしていたが、なぜにそうするのか聞いていない。
型崩れを防止しているのか、それとも飾りなのか・・・わからないまま続けているという。
モチワラ挟みが済めば、本格的にツノムスビをする。
カケダイに回すようにロープを締める。
ぐっと締め付ける。
一方のロープは逆に回して二本のロープを綺麗に揃える。
ぐっと締めて弧を描くようにロープを回す。
さらに締めてもう一本をくるりと回して締める。
結び目ができてさらにぐっと締めつける。
ロープの端をもって、これもまた円を描くようにロープ締め。
言葉ではなかなか説明し難いツノムスビである。
注連縄もカケダイもツノムスビも、本来ならモチワラである。
モチワラは茎が長いし、粘りもあって結いやすいといいながら作業を進める。
余った端っこは鋏で切る。
これでできあがりだが、最後にエラ挟みのモチワラを切る。
2尾のエラを中心にはみ出たモチワラを切る。
ほど良い長さがバランスをとる。
今までみたなかではどうやらカケダイの端から少しでるくらいが丁度いいように思える。
昔は40カケ(ひとかけの40倍分)も作っていた。
それだけ需要があったということだ。
どこの家でもそうだが、長年続けてこられた家の風習も先代がいなくなれば代を継ぐことは稀である。
今年は8カケになってしまったという。
山添村岩屋に住んでいたFさんもカケダイを作っていたという。
同じように竹を割ってエラ通しをしていたそうだが、竹割りは半割りか四つ割りだった。
Fさんが作っていたもっと大きなカケダイだったが、鯛ではなかったようだ。
それは食べるカケダイ。
カラカラに干したカケダイは下笠間のⅠ家のように恵比寿・大黒さんに供えるものだが、食べる場合は5月のモミマキのころ。
一尾のカケダイを水出しする。
時間をかけて塩漬けしたカケダイの塩分除去。
きっちり塩抜きして食べていた。
今では食べることもなくなってきたからレンコダイも小さくしたようだ。
(H28.12.26 EOS40D撮影)
日にちも経っていたからカラカラに乾いていたカケダイ。
それからの寒風に晒してさらにカラカラ干し。
年末近くになれば売り物にするための角結びをすると聞いて再訪した。
カケダイを作って売り出すお店は宇陀市室生下笠間の宮崎商店。
同商店でカケダイを作って販売していると知ったのは、この年に行われた虫送りの日だった。
入店したお店の神棚に吊るしてあったカケダイを見て驚いたものだった。
作るところ、干すところなどの作業場面を記録させていただきたいと取材をお願いしていた。
同商店をはじめて知ったのはそれよりもずっと前。
平成17年の6月16日だった。
虫送り行事のことについて情報を得たく入店したお店であった。
玄関ドアガラスに何かしかの印があったが、気にもとめなかったのでそれが何だったのか、まったく記憶にない。
朧気ながら脳裏にあるのはお札だったような気がする。
それから県内各地でさまざまな民俗行事を取材するようになってからはお札が目に入ればついつい写真に記録する癖がついた。
商店に着いたときのご主人は畑から引いてきたダイコンを洗っていた。
3本とも見事な形に育ったダイコン。
悩ましい姿のダイコン足だけではなく、仏手のように見えるダイコンもある。
見ていて飽きないダイコンの姿に思わずシャッターを押す。
作業する場はベランダ下にある小屋である。
案内されるご夫婦についていく途中に拝見した干し物。
皮を剥いて半割りした種付きの柿である。
渋柿もこうしておけば美味しくなる。
隣の籠は熟しの柿に蜜柑。
家でできたこれらは家で食べるもん。
商売には出していない。
売り物にしているのは階下の作業場にある棒ダラである。
何日間も水に浸していた棒ダラである。
今年は5尾を買って製品化している。
お客さんに売るものもあるが、我が家の正月に食べるものもある。
カラカラ状態の棒ダラを購入したら、とにかく水溜めに漬け込んでもどす。
棒ダラは炊き方が難しいという。
一日たっぷり時間をかけて炊く。
味付けは本だしにコブ(昆布)を使う。
箸で突っついて柔らかくなってから味付けする。
棒ダラの仕入れ先は奈良県中央卸売市場。
北海道で捕れたタラは11月ころにここで乾燥させる。
タラは10本、11本、12本入りで売っている。
近頃は棒ダラも高くなった。
だいたいが半身で買う。
上等もんであれば半身で8千円。
一尾であれば1万3千円にもなるという。
棒ダラは家で炊いてコブ(昆布)巻きにする。
10cmぐらいの長さに切って昆布を巻いて作る個数は100個。
棒ダラとカズノコさえあれば正月三日間を暮らせるとご主人はいう。
正月用に作る一品はもう一つある。
魚のエイである。
これもまた卸売市場から仕入れる。
その量は50kgにもなる。
仕入れたエイの内臓を取る。
タワシでこすって取り除いた内臓部を綺麗にする。
昔はそうしていたが、今は内臓処理をしたものを入手しているという。
エイを食べるのは正月。
煮凝りも欲しいから作る。
この煮凝りがたまらなく好きなお客さんもおれば、アツアツご飯にのせて食べたらとても美味しいという人も。
そういう人にも応えてあげたいから毎年作ってきた。
昔は匂いがキツく臭かった。
いわゆるアンモニア臭である。
ヌルヌルしているエイは塩を塗して揉む。
よく揉んでヌルヌルを取る。
そして水洗い。
それから甘辛く味付けして鍋で炊く。
甘辛いではあるが、どっちかといえば辛いエイの味。
調理されたエイはお店で販売する。
そのような正月用の調理商品作りを交えながら作業をされるご主人。
ベランダで干していたカケダイを降ろす。
カケダイは2尾で1セット。
この1セットを「ひとかけ」と呼ぶ。
売るときもそうだが、「ひとかけ」と云えば2尾の1セットである。
以前は竹の竿を水平に立てた「ハサ」に干していた。
イヌワラをエラから口へ通してツノムスビ(角結び)。
ツノムスビにすれば藁縄は緩まない。
「わしらはどこでも、いつでもツノムスビや」という。正月飾りの門松はオン松(雄松)とメン松(雌松)揃って一式。
門松を立てる心棒に杭を打ち込んで松を固定する。
そのときもツノムスビをしているという。
だいたいが12月28日にしている門松飾り。
ご近所のⅠさんは注連縄を作る。
御幣はご主人と決まっているようだ。
「こんな結びは若いもんはできんやろな」という。
そのⅠさんの家にあったのがカケダイだった。
拝見したのは平成22年1月4日である。
見て撮ってくれてかまわんよと云われて撮らせてもらった。
丁度そのころの28日、29日にお客さんがカケダイを買いにくる。
の有無確認に電話がしょっちゅう鳴る。
まだか、まだか、と催促する人もいるらしい。
カケダイにする魚は真鯛だった。
それは昔の話し。
今はニュージーランド産の冷凍レンコダイ。
11月のかかりに仕入れた。
エラを抜き取って内臓も取る。
塩を内蔵に詰め込んで漬物樽に漬け込む。
樽底に置いて並べる。
塩もして置いて並べる。
何層にもなったという塩漬けである。
10日ほど経てば水が湧いてくる。
湧いた水はほかして樽に移す。
その樽でもう一度塩漬けにする。
その場合のカケダイの置き方は表面から裏面に替える。
つまりは両面とも塩漬けするようなものだが、実は出してみればわかるのだが、塩漬けしていた裏面はまだ赤身状態なのだ。
干す前の作業もずいぶんと手間をかけていたことを知るのである。
表も裏も塩漬けしてようやく樽から出す。
それから干す作業に入る。
干す日に冷たい風がないとなかなかできない。
寒いだけではできない。
風が吹かないとカケダイができあがらないのである。
カケダイにツノムスビ(角結び)をする縄は市販のロープである。
その縄をエラから口に通すのであるが、なかなか上手いこと通らない。
そこで登場するのが竹で作った通しの道具である。
節目がある先端は先を尖らす。
手で押し込む側は二つに割っている。
割った部分にロープの先を挟む。
挟んだロープが外れないように指で割いた竹を抑えながら通す。
かつては竹でなく金属製のハサンバリだった。
炭焼きの道具にそれがあったらしい。
金属製よりも竹製の方が柔らかいから手に馴染む。
1尾に通したロープの長さをとる。
ツノムスビができる長さに合わせて鋏を入れて切る。
もう1尾のカケダイにもロープを通す。
同じようにエラから口へと通して腹合わせ。
ロープの位置を調整してモチワラを取り出す。
2尾のエラの中に食い込むように揃える。
親父さんもこうしていたが、なぜにそうするのか聞いていない。
型崩れを防止しているのか、それとも飾りなのか・・・わからないまま続けているという。
モチワラ挟みが済めば、本格的にツノムスビをする。
カケダイに回すようにロープを締める。
ぐっと締め付ける。
一方のロープは逆に回して二本のロープを綺麗に揃える。
ぐっと締めて弧を描くようにロープを回す。
さらに締めてもう一本をくるりと回して締める。
結び目ができてさらにぐっと締めつける。
ロープの端をもって、これもまた円を描くようにロープ締め。
言葉ではなかなか説明し難いツノムスビである。
注連縄もカケダイもツノムスビも、本来ならモチワラである。
モチワラは茎が長いし、粘りもあって結いやすいといいながら作業を進める。
余った端っこは鋏で切る。
これでできあがりだが、最後にエラ挟みのモチワラを切る。
2尾のエラを中心にはみ出たモチワラを切る。
ほど良い長さがバランスをとる。
今までみたなかではどうやらカケダイの端から少しでるくらいが丁度いいように思える。
昔は40カケ(ひとかけの40倍分)も作っていた。
それだけ需要があったということだ。
どこの家でもそうだが、長年続けてこられた家の風習も先代がいなくなれば代を継ぐことは稀である。
今年は8カケになってしまったという。
山添村岩屋に住んでいたFさんもカケダイを作っていたという。
同じように竹を割ってエラ通しをしていたそうだが、竹割りは半割りか四つ割りだった。
Fさんが作っていたもっと大きなカケダイだったが、鯛ではなかったようだ。
それは食べるカケダイ。
カラカラに干したカケダイは下笠間のⅠ家のように恵比寿・大黒さんに供えるものだが、食べる場合は5月のモミマキのころ。
一尾のカケダイを水出しする。
時間をかけて塩漬けしたカケダイの塩分除去。
きっちり塩抜きして食べていた。
今では食べることもなくなってきたからレンコダイも小さくしたようだ。
(H28.12.26 EOS40D撮影)