喫茶きまぐれや写真展会場に、初の写真展の「大岩・きまぐれや 川島朱実写真展 - いのりのかたち 花 - 」を設営し終えた民俗写真家とともに。
午後の空いた時間に、出かけるイベント会場。
場所は、奈良県高取町。
趣のある旧き町家の景観が残されている土佐の町並み。
街道一帯に並ぶお店などに飾られた2021町家の雛めぐり会場。
コロナ禍中に人通りは、極端に少ない。
例年なら、町家の雛めぐりを見てこられる観光客の人たちでいっぱいになる。
逆に、落ち着いてゆっくり見ることができるコロナ禍のイベント。
暮らしの民俗をとらえてシャッターを押す民俗写真家にとっては、まず足を運ばない近年にはじまった土佐町並み町家の雛めぐり。
初めて開催された年は平成19年(2007)。
比較的新しいイベント行事であるが、年々に増え続けている人気の土佐町並み町家の雛めぐり。
15年目の今年はコロナ禍中。
前年も開催月は3月だった。
政府の非常事態宣言の発出までいたらなかった時期。
観光に来られるひとの抑制もかかってなかっただけに、それなりの客数だったが、今年は無理のできない年。
ひっそり、ガランとしている状況での土佐町並み2021町家の雛めぐり。
尤も、本日は平日。
客数が少ないのは平日が理由だが、土日、祝日の客数はぐんと増える。
町家の雛めぐりは、初回から毎年に工夫され、同じような形態で見ることはない。
毎年が愉しみの工夫と創意で飾られる2021町家の雛めぐりは、どうだろうか。
タイムパーキングなぞなく、地域の一部を解放。
臨時駐車場を用意している。
指定の場所を教えてもらって一方通行の道を上っていく。
そのまままっすぐ行けば、高台に出る。
さらに登った地に聳え立つ旧高取城跡がある。
予定時間が、存分にある人たちは、是非とも城跡景観に佇んでほしい。
駐車場を出たところからがスタート位置。
土佐街道を下りながら町家の雛めぐり。
早速、目に入った町家のショーウインドウ。
コンパクトなつくりの三段雛飾りに目を細める。
ちょっと歩けば、またショーウインドウにお飾り。
これは竹取物語をテーマにつくったお姫さん姿のかぐや姫。
桃の花を添えていた。
次に見たのは、お姫さんでもなく、雛飾りでもない助産婦表記をした看板。
現在は、看板だけを残した暮らしの民俗遺物。
観光ガイトに載っていないのが残念だ。
高取町土佐街道に残した記録のひとつとしてシャッターを押した。
次のウインドーは、思わず手にとりたくなる竹でつくった五人官女。
表情は読み取れない竹の皮でつくった顔。
手つくり感がなんとも言えない作品を見るのもまた愉し。
土佐街道は、生活道路。
一方通行に自動車も通るし、自転車も走る午後3時の平日時間。
下土佐ふれあい広場に設営したひな壇は、段飾りでなく一枚の毛氈に据えた形。
実は、そもそもが、その形態が原型だと聞いたことがある。
平成29年4月3日。
当主の陶芸家・山本義博氏のお誘いに入室させていただいた特定の方たちが参加できる雛の会。
その場に飾られた平面体に飾る雛飾りに圧倒されたものだ。
江戸時代中期のころから登場した段飾り。
歴史に民俗文化の変遷がある。
このときの会に案内を受けてなければ知る由もなかった。
この場を借りて感謝する次第だ。
しかーし、だ。
ふれあい広場に設営した迎えの平おきの雛飾り。
後方の両サイドに白い犬。
中央に笑顔のお内裏さんの姿、カタチに福らしさを感じる。
犬も含めて、このカタチにするのは大変だったそうだ。
作り手の方とはお逢いできなかったが、素晴らしいカタチのジャンボ雛制作にありがとう、と伝えたい。
ふれあい広場の一角に建つ建物「雛の里親館」内部が、またすごい。
より高く積み上げた天段の雛段飾り。
さて、いったい何段あるのだろうか。
後日にわかった段数は17段。
雛人形は500体のようだ。
上に目を、下に目を落としたそこにあった変わり種の雛飾り・・でなく、酒宴のカタチ。
微笑ましい人形は、愛くるしい猫たち。
桶入りにぎり寿司を食っては笑い、酒を呑んでは笑い。
心の底から笑い転げる姿。
みなさん、何が面白いのですか、と聞いてみたが・・・笑いで胡麻化された。
同じような形態がもう一つある。
この笑いの輪もまた猫。
団子の串は甘いもの。
お重に入れたソレはおかず。
こんなのが見つかるとほっとするよな。
またまた上を見上げたソコもすごい。
いわゆる吊るし雛であろう。
奈良の文化にない吊るし雛。
たしか、静岡県・伊豆稲取地方に見られる天井吊るしの雛。
江戸時代後期から始まった民俗文化である。
天井吊るし雛の文化は、山形県・酒田に江戸時代から続くとされる「酒田の傘福」は文化財。
源流は、酒田・日枝神社の山王祭に登場する「亀笠鉾」と、ある。
つまり酒田の吊るし飾りは、雛でもなく傘(笠)内側に細工ものを吊るす形態のようだ。
類似例に、九州福岡県・柳川の「さげもん」がある。
酒田は傘に細工物を吊るしているが、柳川の「さげもん」は、れっきとしたお雛さん。
江戸時代末期に生まれた民俗文化。
女の子が生まれた家に初節句のお祝いとして、布の端切れから小物をつくった。
縁起のいい小物を天井吊るし。
雛飾りの段の両脇に飾り、客人を招きお祝いのお披露目であった。
さまざまな考え方、思考によってつくられた小物が、いつしかお雛さんの習俗に繋がったのだろう。
高取町・土佐町並み2021町家の雛めぐりに飾った天井吊るしのモチーフは、どの地域の文化を参考にしたのだろうか。
機会があれば、住民団体の「天の川実行委員会」に、一度伺ってみたい民俗文化の源流を・・・
ところで、吊るし雛をキーにネットをぐぐっていたときの気づき。
やたら、といいたくないが、通販市場に多くの商品が見られる。
形態は、コンパクトなものが多い。
価格帯に幅はあるが、そのほとんどが棚飾りや卓上に置く形。
つまり吊る用具とのセットもん。
天井から吊るすものではなかった。
一方、手づくりの吊るし雛も盛んにされているようだ。
多数の小物を吊るす紐に括って何個も下げる。
ネットによれば、なんとさまざまな「手作り吊るし雛キット」があるようだ。
商売繁盛の様相にのっかった人たち。
そもそも吊るし雛の紡いできた人たちでなく、今にはじまった近代的伝承キットも、みな人に倣えである。
発祥の地から生まれた民俗文化も知らずに、普及の手助け。
この現状も、また暮らしの民俗のあり方の一つであろう。
ともかく、「雛の里親館」内の展示に圧倒される。
一体、一体をじっくり見ている時間はない。
が、隅に設営していた雛飾り。
一目でわかる時代の古さ。
たぶんに江戸時代末期では、と思ったらまさに・・・
わざわざ「明治の五年前・・」と、表記した三段雛飾りは、すべてそろいの文久三年(1863)もの。
享保年代の雛人形に出会えるのでは、と期待を寄せたが・・・
「雛の里親館」を離れて土佐街道をさらに下る。
かつて商店だったのでは、と思える土間空間にも展示していた民家が遺していた雛飾り。
奥間に据えていた雛飾りは、豪華な御殿飾り。
そこに添えていた一文に「昭和三十六年三月三日、母は大阪の堺から嫁いできました。結婚記念日が、桃の節句だったからでしょうか。生まれてきたのは女の子ばかり三人。当時のことですから、父はがっかりしたかもしれませんが、今となってはにぎやかに何度も。このお雛様を囲み、楽しく暮らせたことを、幸せに感じます。それから五十余年、今度は高取の町で、大勢の方をお招きする役目をいただき、こんな幸せなことはありません。このご縁に感謝いたすとともに、子供さんたちの健やかな成長をお祈りしています」と、経緯エピソードを添えたメッセージを拝読し、感動した。
と、いうのも十数年前に記録していた民俗写真を再び、見てもらいたく、個展の「大岩・きまぐれや写真展2021 💭リ・ビューin喫茶きまぐれや」を会場に、前月の2月いっぱい開催していた。
「写真展 💭リ・ビュー」展示の意図、構想は、令和元年に・・
初の展示は、2020年の令和2年。
展示中に報じられた新型コロナウイルスの発生。
全世界に拡大したコロナパンデミックの始まりの年だった。
民俗行事写真を見られた人たち。
奈良県に住んできたが、今まで見たこともない、聞いたこともない行事の断片を見られただけでも幸せを感じる人、多くだった。
他地域の映像から故郷を思い起こす人もおられた。
そんな思いを寄せてもらうと、民俗写真家冥利に尽きることもあるが、むしろ取材させていただいた地域の人たちに感謝しかない。
お雛さんをお家に飾り、五十余年後に再び・・・感謝に感動を。
昨今は、その風潮にのる全国各地のお雛さん。
男児を祝う鯉のぼりもまさしく、同じような展開をしている。
子どもが大きくなったから、お家に遺しているよりも、古くなった鯉のぼりを集め、川幅広く鯉のぼりを水平に、或いは竹竿に取り付け、たくさんの鯉のぼりを、地域活動に役立てる。
風に煽られ、傷みつく鯉のぼり。
もっと多くの鯉のぼりがほしいと願う地区が求めた寄贈、譲受け。
地域関連性なくとも、お家にねむっている鯉のぼりの再活用のあり方も同じだろう。
そんなあれこれこれを考えさせてくれたお雛さん寄贈者のメッセージであった。
土間空間の展示場を出て再び土佐街道。
えっ、ここ土佐街道に豆腐店があったんだ。
持ち帰り冷凍バッグは持ち合わせていないから、今日はあいにく断念したが、1パックが250円の揚げ出し豆腐とか100円のひろうすが気になる。
おぼろ豆腐におからの有無も気になる手づくりとうふ店の土佐屋である。
ここまで来ると、雛飾りは見ない。
もう少し行けば、平成27年11月20日に続いて平成28年11月22日にも訪れ、取材していた下土佐恵比寿神社・神農社の神農薬祖神祭行事がある。
そう、高取町は名の知られた薬の町。
近隣の明日香村に峠を越えた吉野寄りの大淀町。
また西の御所も配置薬業がある町。
近隣近在の集合する薬の町に、今も薬業を営む企業がある。
神農社から東に戻るUターン。
しばらく歩いたところに見つけた鍾馗さん。
お家の守り神。
お家の方がおられたので、伝わるお話を伺ったがずっと前からある、という。
先代も知らずの鍾馗像。
どこで入手したのか、それもわからない遠い時代にやってきたそうだ。
詳しいことなら、お家の前の筋をまっすぐ。
向こうの突き当りに見えるお寺さんは檀家寺。
そちらがが詳しいとか・・・
お寺さんに尋ねることは、たぶんに的が外れると判断し、土佐街道沿いに停めた駐車場に向かう。
ゆく道に農産物直売所「高取わくわく市場」。
街道に置いていたプランター植えの菜の花も撮っていた家屋も歴史文化。
もう少し上がったところに建つ夢創館(むそうかん)。
大正時代に栄えていた呉服屋の旧山崎家を改修。
平成14年にオープンした高取町観光案内所。
ギャラリー、資料展示、地場産品の販売もしている拠点にも、今回のイベントにも明治時代のひな壇飾りを披露していた。
なんと、そのひな壇飾りの寄贈者は、前述した陶芸家・山本義博氏。
特別な雛の会に当日参加させていただいたお家の雛飾り。
昭和、大正、明治から江戸時代に作られた、雛飾り。
うち明治時代の雛飾りを見せていただいた。
うち豪華な御殿雛も見せてもらった。
夢創館に寄贈された雛飾りは御殿飾り。
で、あればそのとき見せていただいた御殿雛ではないだろうか。
その真上に据えている道具。
かつてお家を守っていた防護用の道具では・・。
夢創館の広間にも数々のお雛さんを並べている。
平成27年の神農祭取材直前に伺った夢創館。
元観光協会会長のN氏。
当時は、観光協会顧問に就いていると話していたN氏が語られる高取町の歴史に薬業。
つまり製薬工業組合から、今日の神農祭について・・・
話題は拡大。
そうこうしているうちに、今日の神農祭がはじまる時間まで食い込み。
氏に失礼をお詫びし、大慌て。
何とか間にあった神農祭取材にほっとしたこと。記憶に久しい。
そんなことを思い出していた夢創館に若い女性のYさんが就いていた。
橿原出身のYさんの現在は、観光協会事務局。
ここ高取町土佐の寺住職家に嫁いだご縁から、事務局に就き、さまざまな事業に取り組んでいるそうだ。
館内の展示に同行していた写真家Kさんが気づいた。
箱にあった小物がカラフル。
毛糸でつくった、という小物袋は、5円玉収めの袋。
全国各地の民俗取材をしてきたKさんの気づきは、毛糸つくりの小物入れ。
もしや「ねはんのだんご」の行事では?。
5円玉収めの小物袋は95歳になる嫁ぎ先のおばあさんが手作りしたもの。
涅槃とはなんら関係なくおばあさんが作った小物入れ。
ご入用でしたら、どうぞお持ち帰りください、と伝えたYさんの言葉に甘え、もらって帰ることにした。
コロナ禍から解放されたころ、滋賀県の事例にあったその風習に再訪するようだ。
(R3. 3. 8 SB805SH撮影)
午後の空いた時間に、出かけるイベント会場。
場所は、奈良県高取町。
趣のある旧き町家の景観が残されている土佐の町並み。
街道一帯に並ぶお店などに飾られた2021町家の雛めぐり会場。
コロナ禍中に人通りは、極端に少ない。
例年なら、町家の雛めぐりを見てこられる観光客の人たちでいっぱいになる。
逆に、落ち着いてゆっくり見ることができるコロナ禍のイベント。
暮らしの民俗をとらえてシャッターを押す民俗写真家にとっては、まず足を運ばない近年にはじまった土佐町並み町家の雛めぐり。
初めて開催された年は平成19年(2007)。
比較的新しいイベント行事であるが、年々に増え続けている人気の土佐町並み町家の雛めぐり。
15年目の今年はコロナ禍中。
前年も開催月は3月だった。
政府の非常事態宣言の発出までいたらなかった時期。
観光に来られるひとの抑制もかかってなかっただけに、それなりの客数だったが、今年は無理のできない年。
ひっそり、ガランとしている状況での土佐町並み2021町家の雛めぐり。
尤も、本日は平日。
客数が少ないのは平日が理由だが、土日、祝日の客数はぐんと増える。
町家の雛めぐりは、初回から毎年に工夫され、同じような形態で見ることはない。
毎年が愉しみの工夫と創意で飾られる2021町家の雛めぐりは、どうだろうか。
タイムパーキングなぞなく、地域の一部を解放。
臨時駐車場を用意している。
指定の場所を教えてもらって一方通行の道を上っていく。
そのまままっすぐ行けば、高台に出る。
さらに登った地に聳え立つ旧高取城跡がある。
予定時間が、存分にある人たちは、是非とも城跡景観に佇んでほしい。
駐車場を出たところからがスタート位置。
土佐街道を下りながら町家の雛めぐり。
早速、目に入った町家のショーウインドウ。
コンパクトなつくりの三段雛飾りに目を細める。
ちょっと歩けば、またショーウインドウにお飾り。
これは竹取物語をテーマにつくったお姫さん姿のかぐや姫。
桃の花を添えていた。
次に見たのは、お姫さんでもなく、雛飾りでもない助産婦表記をした看板。
現在は、看板だけを残した暮らしの民俗遺物。
観光ガイトに載っていないのが残念だ。
高取町土佐街道に残した記録のひとつとしてシャッターを押した。
次のウインドーは、思わず手にとりたくなる竹でつくった五人官女。
表情は読み取れない竹の皮でつくった顔。
手つくり感がなんとも言えない作品を見るのもまた愉し。
土佐街道は、生活道路。
一方通行に自動車も通るし、自転車も走る午後3時の平日時間。
下土佐ふれあい広場に設営したひな壇は、段飾りでなく一枚の毛氈に据えた形。
実は、そもそもが、その形態が原型だと聞いたことがある。
平成29年4月3日。
当主の陶芸家・山本義博氏のお誘いに入室させていただいた特定の方たちが参加できる雛の会。
その場に飾られた平面体に飾る雛飾りに圧倒されたものだ。
江戸時代中期のころから登場した段飾り。
歴史に民俗文化の変遷がある。
このときの会に案内を受けてなければ知る由もなかった。
この場を借りて感謝する次第だ。
しかーし、だ。
ふれあい広場に設営した迎えの平おきの雛飾り。
後方の両サイドに白い犬。
中央に笑顔のお内裏さんの姿、カタチに福らしさを感じる。
犬も含めて、このカタチにするのは大変だったそうだ。
作り手の方とはお逢いできなかったが、素晴らしいカタチのジャンボ雛制作にありがとう、と伝えたい。
ふれあい広場の一角に建つ建物「雛の里親館」内部が、またすごい。
より高く積み上げた天段の雛段飾り。
さて、いったい何段あるのだろうか。
後日にわかった段数は17段。
雛人形は500体のようだ。
上に目を、下に目を落としたそこにあった変わり種の雛飾り・・でなく、酒宴のカタチ。
微笑ましい人形は、愛くるしい猫たち。
桶入りにぎり寿司を食っては笑い、酒を呑んでは笑い。
心の底から笑い転げる姿。
みなさん、何が面白いのですか、と聞いてみたが・・・笑いで胡麻化された。
同じような形態がもう一つある。
この笑いの輪もまた猫。
団子の串は甘いもの。
お重に入れたソレはおかず。
こんなのが見つかるとほっとするよな。
またまた上を見上げたソコもすごい。
いわゆる吊るし雛であろう。
奈良の文化にない吊るし雛。
たしか、静岡県・伊豆稲取地方に見られる天井吊るしの雛。
江戸時代後期から始まった民俗文化である。
天井吊るし雛の文化は、山形県・酒田に江戸時代から続くとされる「酒田の傘福」は文化財。
源流は、酒田・日枝神社の山王祭に登場する「亀笠鉾」と、ある。
つまり酒田の吊るし飾りは、雛でもなく傘(笠)内側に細工ものを吊るす形態のようだ。
類似例に、九州福岡県・柳川の「さげもん」がある。
酒田は傘に細工物を吊るしているが、柳川の「さげもん」は、れっきとしたお雛さん。
江戸時代末期に生まれた民俗文化。
女の子が生まれた家に初節句のお祝いとして、布の端切れから小物をつくった。
縁起のいい小物を天井吊るし。
雛飾りの段の両脇に飾り、客人を招きお祝いのお披露目であった。
さまざまな考え方、思考によってつくられた小物が、いつしかお雛さんの習俗に繋がったのだろう。
高取町・土佐町並み2021町家の雛めぐりに飾った天井吊るしのモチーフは、どの地域の文化を参考にしたのだろうか。
機会があれば、住民団体の「天の川実行委員会」に、一度伺ってみたい民俗文化の源流を・・・
ところで、吊るし雛をキーにネットをぐぐっていたときの気づき。
やたら、といいたくないが、通販市場に多くの商品が見られる。
形態は、コンパクトなものが多い。
価格帯に幅はあるが、そのほとんどが棚飾りや卓上に置く形。
つまり吊る用具とのセットもん。
天井から吊るすものではなかった。
一方、手づくりの吊るし雛も盛んにされているようだ。
多数の小物を吊るす紐に括って何個も下げる。
ネットによれば、なんとさまざまな「手作り吊るし雛キット」があるようだ。
商売繁盛の様相にのっかった人たち。
そもそも吊るし雛の紡いできた人たちでなく、今にはじまった近代的伝承キットも、みな人に倣えである。
発祥の地から生まれた民俗文化も知らずに、普及の手助け。
この現状も、また暮らしの民俗のあり方の一つであろう。
ともかく、「雛の里親館」内の展示に圧倒される。
一体、一体をじっくり見ている時間はない。
が、隅に設営していた雛飾り。
一目でわかる時代の古さ。
たぶんに江戸時代末期では、と思ったらまさに・・・
わざわざ「明治の五年前・・」と、表記した三段雛飾りは、すべてそろいの文久三年(1863)もの。
享保年代の雛人形に出会えるのでは、と期待を寄せたが・・・
「雛の里親館」を離れて土佐街道をさらに下る。
かつて商店だったのでは、と思える土間空間にも展示していた民家が遺していた雛飾り。
奥間に据えていた雛飾りは、豪華な御殿飾り。
そこに添えていた一文に「昭和三十六年三月三日、母は大阪の堺から嫁いできました。結婚記念日が、桃の節句だったからでしょうか。生まれてきたのは女の子ばかり三人。当時のことですから、父はがっかりしたかもしれませんが、今となってはにぎやかに何度も。このお雛様を囲み、楽しく暮らせたことを、幸せに感じます。それから五十余年、今度は高取の町で、大勢の方をお招きする役目をいただき、こんな幸せなことはありません。このご縁に感謝いたすとともに、子供さんたちの健やかな成長をお祈りしています」と、経緯エピソードを添えたメッセージを拝読し、感動した。
と、いうのも十数年前に記録していた民俗写真を再び、見てもらいたく、個展の「大岩・きまぐれや写真展2021 💭リ・ビューin喫茶きまぐれや」を会場に、前月の2月いっぱい開催していた。
「写真展 💭リ・ビュー」展示の意図、構想は、令和元年に・・
初の展示は、2020年の令和2年。
展示中に報じられた新型コロナウイルスの発生。
全世界に拡大したコロナパンデミックの始まりの年だった。
民俗行事写真を見られた人たち。
奈良県に住んできたが、今まで見たこともない、聞いたこともない行事の断片を見られただけでも幸せを感じる人、多くだった。
他地域の映像から故郷を思い起こす人もおられた。
そんな思いを寄せてもらうと、民俗写真家冥利に尽きることもあるが、むしろ取材させていただいた地域の人たちに感謝しかない。
お雛さんをお家に飾り、五十余年後に再び・・・感謝に感動を。
昨今は、その風潮にのる全国各地のお雛さん。
男児を祝う鯉のぼりもまさしく、同じような展開をしている。
子どもが大きくなったから、お家に遺しているよりも、古くなった鯉のぼりを集め、川幅広く鯉のぼりを水平に、或いは竹竿に取り付け、たくさんの鯉のぼりを、地域活動に役立てる。
風に煽られ、傷みつく鯉のぼり。
もっと多くの鯉のぼりがほしいと願う地区が求めた寄贈、譲受け。
地域関連性なくとも、お家にねむっている鯉のぼりの再活用のあり方も同じだろう。
そんなあれこれこれを考えさせてくれたお雛さん寄贈者のメッセージであった。
土間空間の展示場を出て再び土佐街道。
えっ、ここ土佐街道に豆腐店があったんだ。
持ち帰り冷凍バッグは持ち合わせていないから、今日はあいにく断念したが、1パックが250円の揚げ出し豆腐とか100円のひろうすが気になる。
おぼろ豆腐におからの有無も気になる手づくりとうふ店の土佐屋である。
ここまで来ると、雛飾りは見ない。
もう少し行けば、平成27年11月20日に続いて平成28年11月22日にも訪れ、取材していた下土佐恵比寿神社・神農社の神農薬祖神祭行事がある。
そう、高取町は名の知られた薬の町。
近隣の明日香村に峠を越えた吉野寄りの大淀町。
また西の御所も配置薬業がある町。
近隣近在の集合する薬の町に、今も薬業を営む企業がある。
神農社から東に戻るUターン。
しばらく歩いたところに見つけた鍾馗さん。
お家の守り神。
お家の方がおられたので、伝わるお話を伺ったがずっと前からある、という。
先代も知らずの鍾馗像。
どこで入手したのか、それもわからない遠い時代にやってきたそうだ。
詳しいことなら、お家の前の筋をまっすぐ。
向こうの突き当りに見えるお寺さんは檀家寺。
そちらがが詳しいとか・・・
お寺さんに尋ねることは、たぶんに的が外れると判断し、土佐街道沿いに停めた駐車場に向かう。
ゆく道に農産物直売所「高取わくわく市場」。
街道に置いていたプランター植えの菜の花も撮っていた家屋も歴史文化。
もう少し上がったところに建つ夢創館(むそうかん)。
大正時代に栄えていた呉服屋の旧山崎家を改修。
平成14年にオープンした高取町観光案内所。
ギャラリー、資料展示、地場産品の販売もしている拠点にも、今回のイベントにも明治時代のひな壇飾りを披露していた。
なんと、そのひな壇飾りの寄贈者は、前述した陶芸家・山本義博氏。
特別な雛の会に当日参加させていただいたお家の雛飾り。
昭和、大正、明治から江戸時代に作られた、雛飾り。
うち明治時代の雛飾りを見せていただいた。
うち豪華な御殿雛も見せてもらった。
夢創館に寄贈された雛飾りは御殿飾り。
で、あればそのとき見せていただいた御殿雛ではないだろうか。
その真上に据えている道具。
かつてお家を守っていた防護用の道具では・・。
夢創館の広間にも数々のお雛さんを並べている。
平成27年の神農祭取材直前に伺った夢創館。
元観光協会会長のN氏。
当時は、観光協会顧問に就いていると話していたN氏が語られる高取町の歴史に薬業。
つまり製薬工業組合から、今日の神農祭について・・・
話題は拡大。
そうこうしているうちに、今日の神農祭がはじまる時間まで食い込み。
氏に失礼をお詫びし、大慌て。
何とか間にあった神農祭取材にほっとしたこと。記憶に久しい。
そんなことを思い出していた夢創館に若い女性のYさんが就いていた。
橿原出身のYさんの現在は、観光協会事務局。
ここ高取町土佐の寺住職家に嫁いだご縁から、事務局に就き、さまざまな事業に取り組んでいるそうだ。
館内の展示に同行していた写真家Kさんが気づいた。
箱にあった小物がカラフル。
毛糸でつくった、という小物袋は、5円玉収めの袋。
全国各地の民俗取材をしてきたKさんの気づきは、毛糸つくりの小物入れ。
もしや「ねはんのだんご」の行事では?。
5円玉収めの小物袋は95歳になる嫁ぎ先のおばあさんが手作りしたもの。
涅槃とはなんら関係なくおばあさんが作った小物入れ。
ご入用でしたら、どうぞお持ち帰りください、と伝えたYさんの言葉に甘え、もらって帰ることにした。
コロナ禍から解放されたころ、滋賀県の事例にあったその風習に再訪するようだ。
(R3. 3. 8 SB805SH撮影)