神農社の神農薬祖神祭を取材し終えて駐車場に戻っているときだった。
案内、同行取材していたNさんが通りがかりの男性に声をかけた。
どちらともなく声をかけたようだったに思う二人は地元民。
昔から知っているようで、地元の話しには首を突っ込むわけにはいかない。
今日は神農社の神農薬祖神祭の行事を拝見していたと伝えるNさんは神農さんの掛図も見てきたという。
その掛図で思い出された男性は我が家にそういえば・・。
今はしていないがおばあさんたちが廻り当番の家に集まって念仏講を営んでいたという。
数か月に一度は集まって部屋で数珠繰りをしていた。
以前は月一に一回は集まって数珠繰りをしていたが、数か月に一度。
やがて回数はどんどん減って最後の方では年に一回だけの講中の集まりになって終わったそうだ。
最後はともかく講中は西国寺の住職とともに営んでいたというから念仏・導師が住職で講中は数取りが50玉の算盤玉で数える数珠繰りしているように思えた。
その算盤玉は畳の縁に釘のようなモノで挿して一直線にする。
縁から縁へと繋ぐ一直線の算盤玉。
一回繰るごとに玉を一つ移動する。
そうすることで50回の数珠繰りを数えていた。
また、お葬式に阿弥陀さんにかける白衣もあるという男性は陶芸家日本工芸会正会員のYさん。
四月には会員を招いて雛祭りのお茶会を催しているという。
高取町といえば「町家の雛めぐり」。
家で祭ることのないお雛さんを集約して土佐街道沿いの元商家で展示している。
期間は3月1日から当月末まで。
そのイベントが終わった4月初めの日。
陶芸家は旧暦の4月3日に照準に合わせた数日間に亘って会員特別の雛祭りをしているという。
陶芸家がある家は土佐街道。
商家など懐かしい町並みを形成する街道の一角にある。かつては街道通りにいっぱい見られた手形は見ることもないという。
手形は八十八歳の米寿祝いのテハン(手版)である。
今もその風習をしている民家は取材先で度々目にする。
目にはするが屋内の場合もあるから一般人が目につくことはない。
京都祇園の魔除けの「長刀鉾」粽はあるが、テハンはない。
奈良町もそうだが、祇園の魔除けはあるがテハンはない。
旧家町家によく見られる「長刀鉾」粽にシャッターを押すことは滅多にない。
ちなみに上がらせてもらった陶芸家の玄関には稲穂を垂らして飾っていた。
時期は新嘗祭であるから餅米を束ねて紅白紙に包む。
それを金銀の水引で括って吊っていた。
伊勢講も念仏講も解散されて行事は途絶えた。
家のどこかにあるはずだから見てごらんと云われてNさんとともに上がらせてもらう。
陶芸家は蔵からだしてきた講箱を見せてくださる。
箱の蓋表にある墨書文字は「明和三稔(1766) 念佛講 十月□調」とある。
講中が保持していた文書も同じ年号の「明和三年(1766) 念佛講 十月起」である。
明和三年(1766)から記帳されてきた文書の最後の方の年号は平成13年11月20日。
それが講中最後の営み日付けだと思うが、当家の名を記すとともに農協預金したと書いてあった。
平成10年は陶芸家が当家だった。
念佛講が始まってから終わるまでの期間は236年。
陶芸家が預かり保管する貴重な史料を拝見できて感謝申し上げる。
この場を借りて厚く御礼申し上げます。
陶芸家は他にも貴重な道具を見せてくださる。
長刀に槍や袖搦(そでがらみ)もある。
まだあると見せてくださる貴重な品々に圧倒される。
(H28.11.22 EOS40D撮影)
案内、同行取材していたNさんが通りがかりの男性に声をかけた。
どちらともなく声をかけたようだったに思う二人は地元民。
昔から知っているようで、地元の話しには首を突っ込むわけにはいかない。
今日は神農社の神農薬祖神祭の行事を拝見していたと伝えるNさんは神農さんの掛図も見てきたという。
その掛図で思い出された男性は我が家にそういえば・・。
今はしていないがおばあさんたちが廻り当番の家に集まって念仏講を営んでいたという。
数か月に一度は集まって部屋で数珠繰りをしていた。
以前は月一に一回は集まって数珠繰りをしていたが、数か月に一度。
やがて回数はどんどん減って最後の方では年に一回だけの講中の集まりになって終わったそうだ。
最後はともかく講中は西国寺の住職とともに営んでいたというから念仏・導師が住職で講中は数取りが50玉の算盤玉で数える数珠繰りしているように思えた。
その算盤玉は畳の縁に釘のようなモノで挿して一直線にする。
縁から縁へと繋ぐ一直線の算盤玉。
一回繰るごとに玉を一つ移動する。
そうすることで50回の数珠繰りを数えていた。
また、お葬式に阿弥陀さんにかける白衣もあるという男性は陶芸家日本工芸会正会員のYさん。
四月には会員を招いて雛祭りのお茶会を催しているという。
高取町といえば「町家の雛めぐり」。
家で祭ることのないお雛さんを集約して土佐街道沿いの元商家で展示している。
期間は3月1日から当月末まで。
そのイベントが終わった4月初めの日。
陶芸家は旧暦の4月3日に照準に合わせた数日間に亘って会員特別の雛祭りをしているという。
陶芸家がある家は土佐街道。
商家など懐かしい町並みを形成する街道の一角にある。かつては街道通りにいっぱい見られた手形は見ることもないという。
手形は八十八歳の米寿祝いのテハン(手版)である。
今もその風習をしている民家は取材先で度々目にする。
目にはするが屋内の場合もあるから一般人が目につくことはない。
京都祇園の魔除けの「長刀鉾」粽はあるが、テハンはない。
奈良町もそうだが、祇園の魔除けはあるがテハンはない。
旧家町家によく見られる「長刀鉾」粽にシャッターを押すことは滅多にない。
ちなみに上がらせてもらった陶芸家の玄関には稲穂を垂らして飾っていた。
時期は新嘗祭であるから餅米を束ねて紅白紙に包む。
それを金銀の水引で括って吊っていた。
伊勢講も念仏講も解散されて行事は途絶えた。
家のどこかにあるはずだから見てごらんと云われてNさんとともに上がらせてもらう。
陶芸家は蔵からだしてきた講箱を見せてくださる。
箱の蓋表にある墨書文字は「明和三稔(1766) 念佛講 十月□調」とある。
講中が保持していた文書も同じ年号の「明和三年(1766) 念佛講 十月起」である。
明和三年(1766)から記帳されてきた文書の最後の方の年号は平成13年11月20日。
それが講中最後の営み日付けだと思うが、当家の名を記すとともに農協預金したと書いてあった。
平成10年は陶芸家が当家だった。
念佛講が始まってから終わるまでの期間は236年。
陶芸家が預かり保管する貴重な史料を拝見できて感謝申し上げる。
この場を借りて厚く御礼申し上げます。
陶芸家は他にも貴重な道具を見せてくださる。
長刀に槍や袖搦(そでがらみ)もある。
まだあると見せてくださる貴重な品々に圧倒される。
(H28.11.22 EOS40D撮影)