座の行事のことを教えてもらってからずいぶん年月が経過してしまった。
祭事の場は奈良市東鳴川町に鎮座する春日神社・社務所である。
行事のことを話してくださったのは、同市の柳生町におられる石田武士宮司。
さまざまな地域に出仕される宮司。
兼社が多い関係もあるから秋祭りをはじめとして祈年祭や新嘗祭の時季は集中することから宮司に出仕していただく日程、時間を調整される。
東鳴川町のお供えに特徴がある。
主に宵宮の御供であるが、本祭にも特殊なお供えがあると聞いた年は平成21年であったが、東鳴川町を訪れたのは翌年の平成22年3月19日だった。
それからご無沙汰すること8年間。
再び訪れたのが先月の9月24日だった。
再訪のきっかけになったのは同月の19日である。
南山城村高尾の調査後に表敬訪問した際に話してくださった東鳴川町の御供。
座中が食する三品のお重盛りである。
背中を押してもらって一週間後に訪れた東鳴川町。
村神主こと座一老;・宮総代を務めるOさんに出会えたのもいい機会だった。
座の在り方、行事の状況や御供など、詳しく教えていただいた。
宵宮は午後7時より始まる。
それまでに御供などの準備を調えるOさんを筆頭に当家(※当夜とも)のIさんらが動く。
当社で行われる祭事のお供えは予め、である。
午後6時、社殿に納めた御供を先に拝見したく早めに訪れた。
指定された駐車場は毎月の第一日曜日に公開されている東鳴川町の不空羂索観音坐像を拝見見学者用。
数台で満車になる駐車場であるが、期日が重ならなければ、ということで停めさてもらった。
尤も宵宮であれば時間帯は重なることはない。
一老の了解をいただいて拝見した御供。
夕の光が射しこんで美しさが映える。
中央に2段重ねの鏡餅。
右手は果物盛りの上にのせた五菜。葉付き大根に人参(若しくは生姜)、葉付き牛蒡、生椎茸、昆布の5品は奉書に包んでモチ藁で括っておく。
そこに漆の木で作った一膳の箸も添える。
左手は円盤のような形に仕立てたシラモチ。
大皿に盛っている。
手前下に供えた2品。
一つは座一老が大切に育ててきた根、稲籾付きの三品種。
早稲に中生、晩稲である。
それぞれを1束ずつ揃えて奉書に包む。
紅白の水引で括った稲御供である。
その手前にあるのが生鯖。
お神酒1本を供えて座中を待つ。
座中より先に着いていた二老、当家たちとともに拝見した鍵。
古くから伝わる海老錠をよく見れば刻印があった。
みなも一緒になって拝見した刻印文字は「寛文十三年(1673)二月三日」。
裏に「イヌノトシヨリ 一老 久兵衛」。
「イヌノトシヨリ」と判断したが、どうも腑に落ちない表現である。
一つ考えられるのが「戌」の年である。
寛文十三年は「子」の年であるが、3年前の寛文十年が「戌」の年。
一老が就任した年が「戌」の年。
つまり「戌の年より務めた」と、判断するのも一つの考え方であるが・・・。
いずれにして、刻印から年代を溯ること、346年前からずっと使い続けてきた海老錠の歴史に感動するのである。
一同が揃ったところで宵宮の神事が始まった。
祭主は当神社行事の御供などを教えてくださった柳生の石田武士宮司。
厳かに祝詞を奏上される。
神事を終えたら御供を下げて社務所の下座に並べる。
これより始まるのは座の直会である。
一老の乾杯の音頭に下げたお神酒を飲み干す。
そして座の食事が始まる。
座食は3品。
重箱に詰めた調理の品々は酒の肴。
棒状に切った牛蒡もあればササガキ牛蒡に胡麻振りした酢牛蒡。
醤油味で煮込んだコンニャク。
形は三角に捻りコンニャク。
もう一品が青野菜のおひたし。
今夜は胡麻和えの白菜。
上座の宮司、一老、二老から順にお重を廻される。
お重盛りの肴はめいめいが箸でつまんで小皿に盛っていただく。
貴方もどうぞいただいてくださいとご相伴に与る。
煮込みコンニャク、たたき牛蒡、白菜のおひたしはいずれも家庭の味。
優しい味付けがとても美味しい。
白菜のおひたしは底になるほど味がしゅんでいて、味は濃く感じる。
これら三種のご馳走は当家が当番する。
翌日の祭りの膳も当家の勤めになるという。
座食が始まってから10分後。
当番の人が動いた。
御供下げした大皿のシラモチを炊事場に移動する。
コンロに網焼き。
大きなシラモチは下に敷いていたバランの葉とともにコンロで焼く。
焦げ目がついたら裏返してまたも焼く。
シラモチはお米を挽いてすり潰したものを水かお湯で練って作ったもの。
現在はお米でなくできあがりの上新粉を使用しているようだ。
これをシトギと呼ぶ。
いくつかの県内行事例に見られるシトギである。
しかもバランの葉にのせて焼いて食べる事例はままある。
一つは奈良市柳生町山脇で行われている山の口講の山の神行事。
もう一つは旧五ケ谷村の一村になる奈良市興隆寺町八坂神社で行われる祈年祭である。
もう一つの事例は奈良市佐紀町・亀畑佐紀神社の宵宮祭。
バランの葉はあるが、焼くことなくシトギそのものを少しずつ割って食べる。
シトギの味は米そのもの味がする。
バランの葉とともに焼いた場合は香ばしくて味が濃くなる。
焼け焦げたシラモチはパリパリのカリカリ焼き。
箸で突っついて割ろうとするが、手に負えないから手で千切ってわける。
表面はパリパリのカリカリだが内側は柔らかい。
ひと摘まみごとに分け合っていただく。
直会は1時間ほど。
ほどよく飲んで座食を味わった直会も終われば一老は神事の場を清めるに塩と酒を撒いていた。
(H29.10. 8 EOS40D撮影)
祭事の場は奈良市東鳴川町に鎮座する春日神社・社務所である。
行事のことを話してくださったのは、同市の柳生町におられる石田武士宮司。
さまざまな地域に出仕される宮司。
兼社が多い関係もあるから秋祭りをはじめとして祈年祭や新嘗祭の時季は集中することから宮司に出仕していただく日程、時間を調整される。
東鳴川町のお供えに特徴がある。
主に宵宮の御供であるが、本祭にも特殊なお供えがあると聞いた年は平成21年であったが、東鳴川町を訪れたのは翌年の平成22年3月19日だった。
それからご無沙汰すること8年間。
再び訪れたのが先月の9月24日だった。
再訪のきっかけになったのは同月の19日である。
南山城村高尾の調査後に表敬訪問した際に話してくださった東鳴川町の御供。
座中が食する三品のお重盛りである。
背中を押してもらって一週間後に訪れた東鳴川町。
村神主こと座一老;・宮総代を務めるOさんに出会えたのもいい機会だった。
座の在り方、行事の状況や御供など、詳しく教えていただいた。
宵宮は午後7時より始まる。
それまでに御供などの準備を調えるOさんを筆頭に当家(※当夜とも)のIさんらが動く。
当社で行われる祭事のお供えは予め、である。
午後6時、社殿に納めた御供を先に拝見したく早めに訪れた。
指定された駐車場は毎月の第一日曜日に公開されている東鳴川町の不空羂索観音坐像を拝見見学者用。
数台で満車になる駐車場であるが、期日が重ならなければ、ということで停めさてもらった。
尤も宵宮であれば時間帯は重なることはない。
一老の了解をいただいて拝見した御供。
夕の光が射しこんで美しさが映える。
中央に2段重ねの鏡餅。
右手は果物盛りの上にのせた五菜。葉付き大根に人参(若しくは生姜)、葉付き牛蒡、生椎茸、昆布の5品は奉書に包んでモチ藁で括っておく。
そこに漆の木で作った一膳の箸も添える。
左手は円盤のような形に仕立てたシラモチ。
大皿に盛っている。
手前下に供えた2品。
一つは座一老が大切に育ててきた根、稲籾付きの三品種。
早稲に中生、晩稲である。
それぞれを1束ずつ揃えて奉書に包む。
紅白の水引で括った稲御供である。
その手前にあるのが生鯖。
お神酒1本を供えて座中を待つ。
座中より先に着いていた二老、当家たちとともに拝見した鍵。
古くから伝わる海老錠をよく見れば刻印があった。
みなも一緒になって拝見した刻印文字は「寛文十三年(1673)二月三日」。
裏に「イヌノトシヨリ 一老 久兵衛」。
「イヌノトシヨリ」と判断したが、どうも腑に落ちない表現である。
一つ考えられるのが「戌」の年である。
寛文十三年は「子」の年であるが、3年前の寛文十年が「戌」の年。
一老が就任した年が「戌」の年。
つまり「戌の年より務めた」と、判断するのも一つの考え方であるが・・・。
いずれにして、刻印から年代を溯ること、346年前からずっと使い続けてきた海老錠の歴史に感動するのである。
一同が揃ったところで宵宮の神事が始まった。
祭主は当神社行事の御供などを教えてくださった柳生の石田武士宮司。
厳かに祝詞を奏上される。
神事を終えたら御供を下げて社務所の下座に並べる。
これより始まるのは座の直会である。
一老の乾杯の音頭に下げたお神酒を飲み干す。
そして座の食事が始まる。
座食は3品。
重箱に詰めた調理の品々は酒の肴。
棒状に切った牛蒡もあればササガキ牛蒡に胡麻振りした酢牛蒡。
醤油味で煮込んだコンニャク。
形は三角に捻りコンニャク。
もう一品が青野菜のおひたし。
今夜は胡麻和えの白菜。
上座の宮司、一老、二老から順にお重を廻される。
お重盛りの肴はめいめいが箸でつまんで小皿に盛っていただく。
貴方もどうぞいただいてくださいとご相伴に与る。
煮込みコンニャク、たたき牛蒡、白菜のおひたしはいずれも家庭の味。
優しい味付けがとても美味しい。
白菜のおひたしは底になるほど味がしゅんでいて、味は濃く感じる。
これら三種のご馳走は当家が当番する。
翌日の祭りの膳も当家の勤めになるという。
座食が始まってから10分後。
当番の人が動いた。
御供下げした大皿のシラモチを炊事場に移動する。
コンロに網焼き。
大きなシラモチは下に敷いていたバランの葉とともにコンロで焼く。
焦げ目がついたら裏返してまたも焼く。
シラモチはお米を挽いてすり潰したものを水かお湯で練って作ったもの。
現在はお米でなくできあがりの上新粉を使用しているようだ。
これをシトギと呼ぶ。
いくつかの県内行事例に見られるシトギである。
しかもバランの葉にのせて焼いて食べる事例はままある。
一つは奈良市柳生町山脇で行われている山の口講の山の神行事。
もう一つは旧五ケ谷村の一村になる奈良市興隆寺町八坂神社で行われる祈年祭である。
もう一つの事例は奈良市佐紀町・亀畑佐紀神社の宵宮祭。
バランの葉はあるが、焼くことなくシトギそのものを少しずつ割って食べる。
シトギの味は米そのもの味がする。
バランの葉とともに焼いた場合は香ばしくて味が濃くなる。
焼け焦げたシラモチはパリパリのカリカリ焼き。
箸で突っついて割ろうとするが、手に負えないから手で千切ってわける。
表面はパリパリのカリカリだが内側は柔らかい。
ひと摘まみごとに分け合っていただく。
直会は1時間ほど。
ほどよく飲んで座食を味わった直会も終われば一老は神事の場を清めるに塩と酒を撒いていた。
(H29.10. 8 EOS40D撮影)