マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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毛原八阪神社の宵宮参拝

2017年06月21日 10時32分56秒 | 山添村へ
月ヶ瀬嵩の宵宮取材を終えて山添村の毛原を行く。

この日は毛原も宵宮行事。

陽もどっぷり暮れた時間帯で行われる八阪神社の行事。

かつては10月16日であったが、現在は第三土曜日。

今年はカレンダー事情で第四土曜日になった。

毛原の氏神さんは八阪神社。

創始は不明であるが、貞享二年(1685)の古文書記録によれば牛頭天王社であった。

明治時代まではそう呼ばれていたであろうと推挙される事例が境内にある。

本殿下にある手水鉢に刻印である。

明治時代初期までは山添村中峯山(ちゅうむざん)神波多(かんはた)神社に属する旧波多野村の郷中であった。

神波多(かんはた)神社もまた江戸時代までは「牛頭天王社」と呼ばれていた。

俗に「波多の天王」と呼ばれていた。

ところが明治8年ころより旧都介野(都祁)村の友田に鎮座する水分神社の郷中に移り替わったと伝えられる。

毛原八阪神社の宵宮は16日だった。

集まりやすい16日に近い土曜日に移したのは近年。

マツリはその翌日日曜日の午後から行っているそうだ。

氏子の四人トーヤは礼服で出仕する。

4年前までは和服であったが今は形式を略した礼服である。

社務所に集まってきた人たちは氏子総代に区長。

ホンカン(本音)、ジカン(次音)に2人のミナライは村神主。

主にホンカン(本音)が年中行事を務めているが、この日は神職も出仕される。

時間ともなれば大勢の村人たちが宵宮参拝に訪れる。

本社殿下の階段両脇に立てた高張提灯に番傘がある。

雨に打たれても良いようにしているのであろうか、県内事例ではあまり見られない珍しい形態である。

提灯や本社殿などの灯りに照らされてなんともいえない雰囲気を醸し出す。

訪れる参拝者は階段下で手を合わす。

そして本社殿に登って拝礼する。

その状況をみながら登っていく神職やホンカン(本音)、ジカン(次音)の村神主。



草履に履き替えた氏子総代や区長も階段を登って神事が行われる。



四人トーヤにミナライは階段下で立ち続けて神事を見守る。

村人たちはその周りに立ってこれもまた厳かに行われる神事を見守っていた。

神事を終えたら直会である。

ホンカン、ジカンにミナライは直会の準備にとりかかる。

お神酒に供えた鏡餅を下げる。



鏡餅は餅切り器で適当な大きさに切断する。

社務所は直会の受付場。

行列ができるころには準備が整った。

参拝者は手にした朱塗りの椀にお神酒を注いでもらってぐいっと飲み干す。

肴は黄色いコウコだ。

甘くて美味しいコウコはお代わりをしてしまうほどに美味しい。

お神酒の肴はもう一品ある。

切った餅は厚くもなく薄くもない適当。



その餅を供えた白昆布をのせる。

これもまた美味しい肴である。

白餅は糯米の味。

そこに丁度いい塩加減の昆布が口の中で絡み合う。

乙な味とはこういう味である。



子どもはお酒を飲めないが、美味しいコウコも昆布餅に手が出る。

(H28.10.22 EOS40D撮影)


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