短時間に、よぉまぁ動いた一日だった。
昨日の24日は、独り調査に走った奈良県内。
東部山間各地の民俗を拝見していた。
帰宅したら、どこか身体も緩―くなり、どっと疲れてぐったり。
一晩、寝込んだ翌朝の今日は、民俗を主に取材、記録している写真家のKさんとともに行動する“願掛け祈願・満願に奉納供物調べ”。
伝えたい民俗をとらえる撮影行脚。
調査対象は、私が以前に取材した地域。
数年間の経過に、民俗のあり方は変化している可能性もある。
現在は、未だコロナの渦中だけに中断、中止はなおさら。
現地に到着するまで、どれほど期待に応えられるか、そればかりが気になる撮影行脚。
意外に見つかった地区の民俗もあったが、逆に・・・
疲れもなく、達成感に包まれた撮影行脚。
その途中に、たまたま出合えた老婆の休日に買い物もした。
さまざまな地の民俗に会話も弾んだ。
南庄町と大柳生のデータをふりかえり。
まずは、昨日に出かけて確認してきた奈良市の東部山間地。
旧月ケ瀬村の月瀬に向かう。
出発地からほぼ1時間弱。
初春に咲かせる月ヶ瀬の梅の花。
大晦日に近い日に、色を求めて車を走らせる。
見つかったこの場。枯れ木にポツンとあった赤い実。
この季節に相応しい自然の営み。
野鳥が喰い遺した渋の落ち柿が冷たい季節に映える。
橋脚に「こやすばし」の名がある橋に向かう。
由緒書きがある旧松福寺子安地蔵に参拝。
そして、事前に確認した願満成就のカタチ。
奉納はずいぶん前であるが、今なお残されていた布製の乳房の所在地に案内した。
拝観、拝ませてもらった奈良市月ケ瀬月瀬の旧松福寺子安地蔵。
すぐさま撮影に取りかかった写真家Kさんは、どの被写体に向けて、どの角度からとらえるのだろうか。
午後1時の光を、どう活かせるか。
技術もカメラ機器も異なれば、映像描写も・・・期待される。
その結果は、翌年の令和4年2月23日から1カ月の期間。
奈良県立民俗博物館・県立大和民俗公園内併設施設の古民家にて展示される「私がとらえた大和の民俗(10)」写真展にお披露目されるだろう。
旧松福寺子安地蔵に奉納された満願のカタチ(※乳房を模した)については、昨日に予備調査をしているので参照されたし。
本日、私がとらえた映像は2枚組。
詳しくは、前日に走った予備調査記事を参照願いたい。
次の調査地は、奈良市別所のぬくんど地蔵。
何年か前に願掛けされた、と推定されるぬくんど地蔵に吊るしていた草鞋を案内。
到着時間は午後1時45分。
数年前に工事を終えて完成した新道ができてからは、車の往来も増えたであろう。
土埃も増えたのでは、と思ったぬくんど地蔵に吊るした願掛け草鞋。
色合い、風合いが、逆に自然体の色をつくっていた。
その地蔵尊の傍に道がある。
別所の里道であるが、ついこの前までは西の田原の里から抜ける伊勢街道。
旧道風情が、旅の雰囲気。
左の新道は、旧き古道に相反する。
曇天の日のこの時間。
辺りはうす暗い。
この場に見た赤い実。
地蔵堂を建てた地は丘のようだ。
その周りを覆い尽くす赤い実をつけた常緑植物は、背丈の低い藪柑子(やぶこうじ)。
千両、万両、百両に続く、愛でたい十両。
もう少しの光があれば、美しさがわかってくれるだろうに・・
次の行先は、奈良市南庄町。
満願お礼の自作横槌(※ヨコヅチ)を収める腰痛地蔵に向かいたいところだが、途中に立ち寄った奈良市都祁・馬場にある老婆の休日(ろーばのきゅうじつ)店。
午後2時に着いて、直ちに選んだ数点を購入し、目的地の奈良市南庄町に再びハンドルをにぎる。
そして、午後2時45分。
往路・復路になんども往来するが、たんび、たんびの参拝はなく通過してきた。
今日のような取材でなければ、素通りしてしまう腰痛地蔵。
足、腰、膝の痛みに難儀している人たちがお願いする願掛けに、満願のお礼に何人もの人たちがお礼参りされる腰痛地蔵に奉る横槌がある。
満願のお礼にどなたが、いつ奉納されているのか、さっぱりわからない。
村の管理はそこまでしていないが、年に一度はすべてを綺麗にするため、と溢れている横槌を整理する。
古くなった横槌は供養し焼却処分。
あたらしいと判断した横槌は、埃払いに水洗い。
きれい、さっぱりした横槌を地蔵堂に収めているが、ほぼ一年で、また繰り返す満杯溢れ。
いわゆる民間信仰であるが、後を絶たない願掛け/満願成就のお礼に奉納する優しいこころ。
それは、感謝の気持ちを込めたたくさんの横槌を拝見し、そう思った。
平成28年7月18日。
たまたま走ってきたそこに見た腰痛地蔵の地蔵祭りに急遽、お願いした取材許可をいただき撮影に入った。
当時、取材したブログ記事を参照していただきたい。
この日、私がとらえた映像は2枚組。
記事と合わせて見ていただければ幸いです。
さて、奈良市南庄町には、縄暖簾のように垂らす戸隠神社の勧請縄がある。
今日の目的である“願掛け祈願・満願に奉納供物調べ”から外れるが、この機会に当記事内に纏めておく。
かつて戸隠神社の勧請縄は12月31日にされていたが、現在は近い日曜日。
天気予報によれば、明日の日曜日は積雪になると判断され、本日の土曜日にされたのでは、と思う戸隠神社の勧請縄掛け。
さまざまな地域の地蔵尊を巡拝し、民俗を探る旅にでた。
旅といっても時間的な制約がある。
午後の時間はわずか。
冬至は過ぎたが日暮れが訪れる時間は、遅々として動かない。
走行していた南庄町の集落過ぎたそこに、まさか・・・・・。
緊急停車した車を下りて、てくてく歩く参道道。
走行中に、ちらっと見えた勧請縄は、見間違いじゃなかった。
樹齢数百年にもなりそうな大杉にかけた勧請縄から思いだした平成16年の大晦日に取材していた出来事。
早朝から行われた勧請縄をつくり。
午前中いっぱいかかった縄つくり。
太い縄は、数人が力を込めて撚りをつけて結った。
一年の月数をあらわす12本の簾縄。
つまり、一年間も村を守る勧請縄である。
それぞれに杉、檜、アオキの葉付き枝を括りつける。
太い縄に挿し竹の御幣もまた12本。
一年間に亘って村を守る月数である。
取材を終えたころである。
少し前から降り出した雪。
あれよ、あれよという間に道路に積もった積雪状態。
ノーマルタイヤに、さてどうするか。
雪がやむまでに道路に降り積もった雪は10センチ以上にも・・・。
それから数時間待って車を動かす。
何台も通った車の轍。
外すことなく、そろり、そろり。
途中に見た路上放置の車。
滑った車は路肩にはまったまま。
その数多いなか、なんとか自宅に戻った。
その一部始終は、今でも記憶にある18年前の平成16年の大晦日。
その取材から数年後。
村の人から聞いた勧請縄かけの日。
31日の大晦日前の日曜日に移した、と話していたことを思い出した。
今日25日は、最終日曜日。
そうか、今日の午前中にされたんだ。
その戸隠神社に、本日同行調査していた写真家Kさんとともに参拝する。
と、同時に社殿や境内の様相を撮っていた。
参道を塞ぐ長く紡いだ勧請縄。
土にも届くような長い勧請縄。
奈良県ではほかに見ることがない。
唯一、特殊な事例であろう。
どの方向から見ていても、飽きない勧請縄。
勧請縄に差した12本の御幣が、また美しい、というか神々しい。
勧請縄を潜った参詣道。
奥に坐います本社殿。
朱の色が美しい鳥居をくぐり拝礼。
18年ぶりの参詣にありがたさを感じた南庄町に鎮座する戸隠神社。
本社殿に祭神・天手力男命(あめのたじからおのみこと)。
境内社は、並びに若宮神社(伊邪那岐命)・小碓神社(日本武尊)・奥院神社。
いずれも朱塗りが美しく、眩しいほどに耀きが。
可能性として、考えられる要素は、数十年に一度、神社を美しくする造営事業がそうであろう。
東部山間地だけでなく、ここより南寄りの南部地域。
宇陀、吉野でも同じようにされる“ゾーク”事業。充てる漢字は”造営“。
一般的な読みは”ゾウエイ”であるが、どの地域であっても氏子たちは”ゾーク“と呼んでいる。
”ゾーク“の規模は、氏子たちによって決まるが、社殿をまったく新しく築造する場合と、塗り替えに留めるケースもある。
その規模は予算の多寡により、範囲を決める。
いずれにしても氏子たちの総意によって決定される。
奈良県内、十数例を取材してきたゾークのあり方。
一例紹介に、奈良市都祁小山戸・山口神社で行われた上棟式をあげておく。
参拝してわかった塗りの綺麗さから、そう判断したがどうだろうか。
この戸隠神社の佇まいにずっと浸っていたい、というワケにはいかない。
ふと、振り返ったソコにみた木の切り株。
苔むす老いた切り株の周りは、神域の雑木がもたらす枯れ葉で埋めていた。
気になるのが、白い塊。
自然観察会でも見たことがあるような気がする大きなキノコではないだろうか。
思いがけなく自然の産物をシャッターに収めて、もどり参道にみた勧請縄。
表から見ても、裏からみてもすごさを感じる勧請縄にさよならした。
今の時間帯は午後3時過ぎ。
まだまだ余裕のある時間帯に、案内したい勧請縄の地がある。
とは、いっても今の時季は、日暮れる時間が早い。
ここ南庄町からほど近い地。
奈良市の大柳生を行先に走った。
大柳生の勧請縄といえば、そのカタチから名付けられたと思われる蛸勧請縄。
そう、大柳生の勧請縄の房は、海に住む蛸。
生のカタチではなく、茹でたタコそのもの。
この日に立ち寄っても蛸勧請縄は見られない。
だから、蛸勧請縄をかける地区がどこであるのか。
同行する写真家Kさんに伝えておきたい現地案内。
大柳生タコの勧請縄探すも記憶が遠ざかりすっかり向かう道を思いだせない。
なんせ14年間の空白にその地・北の川にかけていたときの記憶と合致しない。
南の川も同様。
川に下る道さえ、すっかり失念していた大柳生の勧請縄を架ける地。
少し、はっきりしてきた大柳生の地区中央。
こちらの坂の上では・・・
架ける場は、もうすぐ。
直前に出合えた集落住民の話によれば「大柳生の蛸勧請縄は、元々1月7日だったが、現在は正月月の第一日曜。ただ、正月明けに行われる村行事の新年会が終わってからになる。決まった日の朝の9時から、4垣内(塔坂・大西・西・下脇)の人たちが村の中心地にあたる塔坂集会所に集まって縄つくり。つくったらそれぞれが垣内に戻って所定の位置に架けにいく」と・・
そう、伺った集落は塔坂垣内。
蛸勧請縄は、ここから急坂を登ったところに見られる。
平成20年の1月7日に拝見した塔坂垣内。
まさに蛸。
そう、蛸勧請縄である。
両サイドに下げた農具を模したミニチュアは、鋤と鍬。
この映像は、著書『奈良大和路の年中行事』の14〜15頁に特集「カンジョウカケ」に掲載。
前述した南庄町・戸隠神社の勧請縄など、数点の事例を掲載している。
本日の案内に見失った大西垣内や西垣内の蛸勧請縄は、参考までにリンク先を示しておく。
狭い川堤を探したが、見つからなかった北隣村の坂原寄りの大西垣内。
蛸は、不思議なことに逆さかけ。
川に下りる道がわかりにくい西垣内の下脇。
なぜか、西垣内の蛸も逆さかけだが・・
案内もいよいよこの地で終えたが、見つからなかった映像をとることさえ失念していた。
案内を解散した名阪国道の針テラス。
地産地消の商品をいくつか買って帰路に就いた。
ちなみに、購入した店舗は、つげの畑 高原屋。
リニューアルされて、ずいぶん様相を替えられて・・・戸惑う店舗になったが、それはそれ。
好物の食材を見つけたときの美味しい顔。
この日の収穫は、3本180円売りのハヤトウリに140円のレンコン。
何度も食卓に並べる美味しい豆腐。
まさか、ここ針テラスにも売っていたとは・・
ここでは270円売りの吉野山林豆腐店が製造販売しているざる揚げ出し豆腐。
めちゃ旨いおからは、別売り100円であるが、買っちゃった。
ようやく針テラスから離れて西名阪自動車道を西に向かって走っていた。
眼前に迫る夕陽落ち。
時間帯は、午後4時半。
慌ててハンドルを切って流入した高峰SA。
奈良平坦地の向こうに見える山並みは葛城山系。
今、まさに葛城山系の向こう側。
大阪湾に沈もうとしていた落陽を撮っていた。
(R3.12.25 SB805SH/EOS7D 撮影)
昨日の24日は、独り調査に走った奈良県内。
東部山間各地の民俗を拝見していた。
帰宅したら、どこか身体も緩―くなり、どっと疲れてぐったり。
一晩、寝込んだ翌朝の今日は、民俗を主に取材、記録している写真家のKさんとともに行動する“願掛け祈願・満願に奉納供物調べ”。
伝えたい民俗をとらえる撮影行脚。
調査対象は、私が以前に取材した地域。
数年間の経過に、民俗のあり方は変化している可能性もある。
現在は、未だコロナの渦中だけに中断、中止はなおさら。
現地に到着するまで、どれほど期待に応えられるか、そればかりが気になる撮影行脚。
意外に見つかった地区の民俗もあったが、逆に・・・
疲れもなく、達成感に包まれた撮影行脚。
その途中に、たまたま出合えた老婆の休日に買い物もした。
さまざまな地の民俗に会話も弾んだ。
南庄町と大柳生のデータをふりかえり。
まずは、昨日に出かけて確認してきた奈良市の東部山間地。
旧月ケ瀬村の月瀬に向かう。
出発地からほぼ1時間弱。
初春に咲かせる月ヶ瀬の梅の花。
大晦日に近い日に、色を求めて車を走らせる。
見つかったこの場。枯れ木にポツンとあった赤い実。
この季節に相応しい自然の営み。
野鳥が喰い遺した渋の落ち柿が冷たい季節に映える。
橋脚に「こやすばし」の名がある橋に向かう。
由緒書きがある旧松福寺子安地蔵に参拝。
そして、事前に確認した願満成就のカタチ。
奉納はずいぶん前であるが、今なお残されていた布製の乳房の所在地に案内した。
拝観、拝ませてもらった奈良市月ケ瀬月瀬の旧松福寺子安地蔵。
すぐさま撮影に取りかかった写真家Kさんは、どの被写体に向けて、どの角度からとらえるのだろうか。
午後1時の光を、どう活かせるか。
技術もカメラ機器も異なれば、映像描写も・・・期待される。
その結果は、翌年の令和4年2月23日から1カ月の期間。
奈良県立民俗博物館・県立大和民俗公園内併設施設の古民家にて展示される「私がとらえた大和の民俗(10)」写真展にお披露目されるだろう。
旧松福寺子安地蔵に奉納された満願のカタチ(※乳房を模した)については、昨日に予備調査をしているので参照されたし。
本日、私がとらえた映像は2枚組。
詳しくは、前日に走った予備調査記事を参照願いたい。
次の調査地は、奈良市別所のぬくんど地蔵。
何年か前に願掛けされた、と推定されるぬくんど地蔵に吊るしていた草鞋を案内。
到着時間は午後1時45分。
数年前に工事を終えて完成した新道ができてからは、車の往来も増えたであろう。
土埃も増えたのでは、と思ったぬくんど地蔵に吊るした願掛け草鞋。
色合い、風合いが、逆に自然体の色をつくっていた。
その地蔵尊の傍に道がある。
別所の里道であるが、ついこの前までは西の田原の里から抜ける伊勢街道。
旧道風情が、旅の雰囲気。
左の新道は、旧き古道に相反する。
曇天の日のこの時間。
辺りはうす暗い。
この場に見た赤い実。
地蔵堂を建てた地は丘のようだ。
その周りを覆い尽くす赤い実をつけた常緑植物は、背丈の低い藪柑子(やぶこうじ)。
千両、万両、百両に続く、愛でたい十両。
もう少しの光があれば、美しさがわかってくれるだろうに・・
次の行先は、奈良市南庄町。
満願お礼の自作横槌(※ヨコヅチ)を収める腰痛地蔵に向かいたいところだが、途中に立ち寄った奈良市都祁・馬場にある老婆の休日(ろーばのきゅうじつ)店。
午後2時に着いて、直ちに選んだ数点を購入し、目的地の奈良市南庄町に再びハンドルをにぎる。
そして、午後2時45分。
往路・復路になんども往来するが、たんび、たんびの参拝はなく通過してきた。
今日のような取材でなければ、素通りしてしまう腰痛地蔵。
足、腰、膝の痛みに難儀している人たちがお願いする願掛けに、満願のお礼に何人もの人たちがお礼参りされる腰痛地蔵に奉る横槌がある。
満願のお礼にどなたが、いつ奉納されているのか、さっぱりわからない。
村の管理はそこまでしていないが、年に一度はすべてを綺麗にするため、と溢れている横槌を整理する。
古くなった横槌は供養し焼却処分。
あたらしいと判断した横槌は、埃払いに水洗い。
きれい、さっぱりした横槌を地蔵堂に収めているが、ほぼ一年で、また繰り返す満杯溢れ。
いわゆる民間信仰であるが、後を絶たない願掛け/満願成就のお礼に奉納する優しいこころ。
それは、感謝の気持ちを込めたたくさんの横槌を拝見し、そう思った。
平成28年7月18日。
たまたま走ってきたそこに見た腰痛地蔵の地蔵祭りに急遽、お願いした取材許可をいただき撮影に入った。
当時、取材したブログ記事を参照していただきたい。
この日、私がとらえた映像は2枚組。
記事と合わせて見ていただければ幸いです。
さて、奈良市南庄町には、縄暖簾のように垂らす戸隠神社の勧請縄がある。
今日の目的である“願掛け祈願・満願に奉納供物調べ”から外れるが、この機会に当記事内に纏めておく。
かつて戸隠神社の勧請縄は12月31日にされていたが、現在は近い日曜日。
天気予報によれば、明日の日曜日は積雪になると判断され、本日の土曜日にされたのでは、と思う戸隠神社の勧請縄掛け。
さまざまな地域の地蔵尊を巡拝し、民俗を探る旅にでた。
旅といっても時間的な制約がある。
午後の時間はわずか。
冬至は過ぎたが日暮れが訪れる時間は、遅々として動かない。
走行していた南庄町の集落過ぎたそこに、まさか・・・・・。
緊急停車した車を下りて、てくてく歩く参道道。
走行中に、ちらっと見えた勧請縄は、見間違いじゃなかった。
樹齢数百年にもなりそうな大杉にかけた勧請縄から思いだした平成16年の大晦日に取材していた出来事。
早朝から行われた勧請縄をつくり。
午前中いっぱいかかった縄つくり。
太い縄は、数人が力を込めて撚りをつけて結った。
一年の月数をあらわす12本の簾縄。
つまり、一年間も村を守る勧請縄である。
それぞれに杉、檜、アオキの葉付き枝を括りつける。
太い縄に挿し竹の御幣もまた12本。
一年間に亘って村を守る月数である。
取材を終えたころである。
少し前から降り出した雪。
あれよ、あれよという間に道路に積もった積雪状態。
ノーマルタイヤに、さてどうするか。
雪がやむまでに道路に降り積もった雪は10センチ以上にも・・・。
それから数時間待って車を動かす。
何台も通った車の轍。
外すことなく、そろり、そろり。
途中に見た路上放置の車。
滑った車は路肩にはまったまま。
その数多いなか、なんとか自宅に戻った。
その一部始終は、今でも記憶にある18年前の平成16年の大晦日。
その取材から数年後。
村の人から聞いた勧請縄かけの日。
31日の大晦日前の日曜日に移した、と話していたことを思い出した。
今日25日は、最終日曜日。
そうか、今日の午前中にされたんだ。
その戸隠神社に、本日同行調査していた写真家Kさんとともに参拝する。
と、同時に社殿や境内の様相を撮っていた。
参道を塞ぐ長く紡いだ勧請縄。
土にも届くような長い勧請縄。
奈良県ではほかに見ることがない。
唯一、特殊な事例であろう。
どの方向から見ていても、飽きない勧請縄。
勧請縄に差した12本の御幣が、また美しい、というか神々しい。
勧請縄を潜った参詣道。
奥に坐います本社殿。
朱の色が美しい鳥居をくぐり拝礼。
18年ぶりの参詣にありがたさを感じた南庄町に鎮座する戸隠神社。
本社殿に祭神・天手力男命(あめのたじからおのみこと)。
境内社は、並びに若宮神社(伊邪那岐命)・小碓神社(日本武尊)・奥院神社。
いずれも朱塗りが美しく、眩しいほどに耀きが。
可能性として、考えられる要素は、数十年に一度、神社を美しくする造営事業がそうであろう。
東部山間地だけでなく、ここより南寄りの南部地域。
宇陀、吉野でも同じようにされる“ゾーク”事業。充てる漢字は”造営“。
一般的な読みは”ゾウエイ”であるが、どの地域であっても氏子たちは”ゾーク“と呼んでいる。
”ゾーク“の規模は、氏子たちによって決まるが、社殿をまったく新しく築造する場合と、塗り替えに留めるケースもある。
その規模は予算の多寡により、範囲を決める。
いずれにしても氏子たちの総意によって決定される。
奈良県内、十数例を取材してきたゾークのあり方。
一例紹介に、奈良市都祁小山戸・山口神社で行われた上棟式をあげておく。
参拝してわかった塗りの綺麗さから、そう判断したがどうだろうか。
この戸隠神社の佇まいにずっと浸っていたい、というワケにはいかない。
ふと、振り返ったソコにみた木の切り株。
苔むす老いた切り株の周りは、神域の雑木がもたらす枯れ葉で埋めていた。
気になるのが、白い塊。
自然観察会でも見たことがあるような気がする大きなキノコではないだろうか。
思いがけなく自然の産物をシャッターに収めて、もどり参道にみた勧請縄。
表から見ても、裏からみてもすごさを感じる勧請縄にさよならした。
今の時間帯は午後3時過ぎ。
まだまだ余裕のある時間帯に、案内したい勧請縄の地がある。
とは、いっても今の時季は、日暮れる時間が早い。
ここ南庄町からほど近い地。
奈良市の大柳生を行先に走った。
大柳生の勧請縄といえば、そのカタチから名付けられたと思われる蛸勧請縄。
そう、大柳生の勧請縄の房は、海に住む蛸。
生のカタチではなく、茹でたタコそのもの。
この日に立ち寄っても蛸勧請縄は見られない。
だから、蛸勧請縄をかける地区がどこであるのか。
同行する写真家Kさんに伝えておきたい現地案内。
大柳生タコの勧請縄探すも記憶が遠ざかりすっかり向かう道を思いだせない。
なんせ14年間の空白にその地・北の川にかけていたときの記憶と合致しない。
南の川も同様。
川に下る道さえ、すっかり失念していた大柳生の勧請縄を架ける地。
少し、はっきりしてきた大柳生の地区中央。
こちらの坂の上では・・・
架ける場は、もうすぐ。
直前に出合えた集落住民の話によれば「大柳生の蛸勧請縄は、元々1月7日だったが、現在は正月月の第一日曜。ただ、正月明けに行われる村行事の新年会が終わってからになる。決まった日の朝の9時から、4垣内(塔坂・大西・西・下脇)の人たちが村の中心地にあたる塔坂集会所に集まって縄つくり。つくったらそれぞれが垣内に戻って所定の位置に架けにいく」と・・
そう、伺った集落は塔坂垣内。
蛸勧請縄は、ここから急坂を登ったところに見られる。
平成20年の1月7日に拝見した塔坂垣内。
まさに蛸。
そう、蛸勧請縄である。
両サイドに下げた農具を模したミニチュアは、鋤と鍬。
この映像は、著書『奈良大和路の年中行事』の14〜15頁に特集「カンジョウカケ」に掲載。
前述した南庄町・戸隠神社の勧請縄など、数点の事例を掲載している。
本日の案内に見失った大西垣内や西垣内の蛸勧請縄は、参考までにリンク先を示しておく。
狭い川堤を探したが、見つからなかった北隣村の坂原寄りの大西垣内。
蛸は、不思議なことに逆さかけ。
川に下りる道がわかりにくい西垣内の下脇。
なぜか、西垣内の蛸も逆さかけだが・・
案内もいよいよこの地で終えたが、見つからなかった映像をとることさえ失念していた。
案内を解散した名阪国道の針テラス。
地産地消の商品をいくつか買って帰路に就いた。
ちなみに、購入した店舗は、つげの畑 高原屋。
リニューアルされて、ずいぶん様相を替えられて・・・戸惑う店舗になったが、それはそれ。
好物の食材を見つけたときの美味しい顔。
この日の収穫は、3本180円売りのハヤトウリに140円のレンコン。
何度も食卓に並べる美味しい豆腐。
まさか、ここ針テラスにも売っていたとは・・
ここでは270円売りの吉野山林豆腐店が製造販売しているざる揚げ出し豆腐。
めちゃ旨いおからは、別売り100円であるが、買っちゃった。
ようやく針テラスから離れて西名阪自動車道を西に向かって走っていた。
眼前に迫る夕陽落ち。
時間帯は、午後4時半。
慌ててハンドルを切って流入した高峰SA。
奈良平坦地の向こうに見える山並みは葛城山系。
今、まさに葛城山系の向こう側。
大阪湾に沈もうとしていた落陽を撮っていた。
(R3.12.25 SB805SH/EOS7D 撮影)