宇陀市大宇陀平尾の民家に吊るしガキを干していた。
左の品種はツルノコで右の大きいほうがフジカキだ。
フジカキは不作のときは「ウラクル」という。
充てる漢字は「裏がくる」だ。
カラス除けにバルーンを吊るしたのは9歳のお孫さん。
平成23年1月18日に行われた「平尾のオンダ」に初乙女役を演じたお孫さんだった。
そう話す昭和16生まれの婦人は干していた小豆のガラを取り除く作業に入った。
筵に撒いて天日干しをしておいた。
カラカラに乾いた日であれば豆ガラがパチっと弾ける音が聞こえたそうだ。
棒で叩いたら傷がつくと云って手で揉む。
かつては足袋を履いて足踏みでガラを落としたこともある。
揉んでほぐせば小豆の実が飛び出る。
ガラがいっぱいになれば粗目の箕に入れて取り除く。
筵に落ちた小豆を手いっぱい掬ってさらに揉む。
金属性のトーシの上で揉む。
小さくなったクズはふるいにかけたトーシの編みの目を通り抜けて落ちる。
あらかたのアズキオトシをした小豆はもう一つの筵に移す。
今度は網の目がもっと細かい木製のトーシ。
再びアズキオトシの作業を続ける。
ふるいにかけて細かなガラを落とす。
これを何度も繰り返す。
何度も繰り返しても細かいガラは残っている。
実とガラの分離作業は手間がかかる。
倉庫にあった唐箕を使いたいと伝えた婦人。
取材に訪れた私たちが軒下に運んだ唐箕は今でも現役の大正二年製。
岡山県で製作されたようだ。
大麦、裸麦、小麦用に切換えレバーが付いている。
風の強弱も切り替えられる構造になっている。
ガラを落とした小豆を広口の漏斗に投入する。
クランクハンドルをぐるぐる廻せば風が起こる。
と、同時に赤い小豆の実は樋口からコロコロ出てくる。
受ける箕には所有者を示す屋号がある。
吹き飛んだガラは勢いがついて受け箕をすり抜けた。
この日にされたアズキオトシの品種は宇陀大納言小豆。
大豆は7月10日までにタネマキをする。
夏から秋にかけて成長する。
実成はそれからだ。
11月を迎えるころに大豆ができる。
田で干すことはせずに乾いたら収穫する。
朝露に濡れていないものを畑で莢を取っておく。
青い莢はダイダイ色になるから採らずに赤い莢を収穫する。
箕に落とした量は多く、何杯も取って作業を繰り返して軒先で筵を敷いて干していたという。
雨天の日は干さずに天気のいい日が続く5日間だという。
アズキオトシを終えて自宅に招き入れられて、当家で行われてきたさまざまな話しを聞く。
吊るしガキにバルーンを添えていた家屋は近年に建てられた。
同家に始めて訪れたのは平成15年8月13日だった。
毎年1月18日に平尾水分神社で行われる平尾のオンダを撮らせてもらってお礼に写真をさしあげたときのことである。
当時は家屋でなく二階建ての大きな門屋であった。
母屋の奥に家屋がある。
ここは「ベッタシキ」と呼ぶ。
別座敷を訛って「ベッタシキ」である。
「ずる」は「担ぐ」とか「担いでいく」というようだ。
「ずって」は片方を持っていくことだという。
いずれも大和言葉であろう。
昭和43年生まれの子供がいる。
小学二年生のときだったと思い出される杉材で立てたコイノボリの竿。
出里で伐り倒した杉材は丸太であるが葉っぱは残していた。
初めの年はそうするが、2年目の年は葉っぱを伐りとって矢車に取り換える。
息子が小学校終えるまでそうしていた。
ノボリは吹き流しもあればマゴイにヒゴイもあった。
染め色は青色だったコイノボリ。
太い支柱は今でも記念に軒屋根へ吊るしている。
家の前にある田の名は「マエタ」。
九反あったそうだ。
井戸水は毎日の暮らしに汲んでいた。
水を汲んで担いで運ぶ。
そして「シシナゲ」に入れた。
「コエタゴ」は「ノツボ」とも呼んでいた。
「コエ」は「イナウ」と呼んで担いで運んだ。
これらも大和言葉である。
「モチゴメ」は二度蒸しする。
「カイアワセ」という混ぜ方で作る「クリオコワ」。
「コシアン」、「ツブアン」の大福餅。
「セキハン」と云う場合もあるが「オコワ」とも云っている「セキハン」は「モチゴメ」で作る。
そんな話をしてくれた婦人は山菜オコワを小皿に盛ってくれた。
細かく刻んだニンジンやタケノコにシイタケを入れて蒸して作った。
シイタケは下味をつけているのでたまらなく美味しい。
食欲をそそる山菜オコワはおかわりしてしまうほど美味しかった。
山菜オコワで思い出された婦人。
「ムシ」作りと云って宮さんのトーヤを務めたときは「オコワ」やカマスを乗せて供えていたと話す。
「シブガキ」は35度の焼酎で浸ける。
お椀に入れて「ジクはネジネジして外したカキのヘタをちゃぽんと浸けた。
今は封をしたナイロン袋に入れて浸けている。
11月の亥の日にイノコノモチを作っていた。
サトイモのお頭をサイノメに切ってご飯に入れた炊いた。
サトイモは潰してオニギリにした。
砂糖と塩で味付けした小豆の餡は「コシアン」。
生姜汁を浸けて焼いたら香ばしかった。
美味しいので近所に配った。
「大和マナ」の呼び名がある大和の野菜。
葉っぱを塩漬けした漬物を「オクモジ」と呼んでいる。
「オクモジゴハン」も作って食べたが少し臭かったようだ。
1月14日はトンド。
トンドの火を持ち帰って翌朝にアズキガユを炊いて作った。
アズキガユは「オカイサン」とも呼んでいた。
トンドの灰は集めて田んぼに撒いた。
この日だったか思い出せないが、クリかナシの木にナタをあてる格好をした。
そのときに「ナルカナランカ」と声をかける。
おかあさんがそれをやっていておじいさんがナタをあてていた。
息子や娘にも「ナルカナランカ」を言えといってやらせた。
そうしたらおじいさんが「ナリマス ナリマス」と云っていた。
孫にもさせていた時期はとても寒かったことを覚えているという。
大和言葉はもう一つ。
蛇のことをここらでは「ハビ」という。
「ハミ」と呼ぶ地域もあるが平尾では「ハビ」である。
話題はてんこ盛り。
ゆっくりしてやと云われてだされた名品は宇陀の「キミゴロモ」。
まるで玉子焼きのような味が美味しい。
(H26.11. 8 EOS40D撮影)
左の品種はツルノコで右の大きいほうがフジカキだ。
フジカキは不作のときは「ウラクル」という。
充てる漢字は「裏がくる」だ。
カラス除けにバルーンを吊るしたのは9歳のお孫さん。
平成23年1月18日に行われた「平尾のオンダ」に初乙女役を演じたお孫さんだった。
そう話す昭和16生まれの婦人は干していた小豆のガラを取り除く作業に入った。
筵に撒いて天日干しをしておいた。
カラカラに乾いた日であれば豆ガラがパチっと弾ける音が聞こえたそうだ。
棒で叩いたら傷がつくと云って手で揉む。
かつては足袋を履いて足踏みでガラを落としたこともある。
揉んでほぐせば小豆の実が飛び出る。
ガラがいっぱいになれば粗目の箕に入れて取り除く。
筵に落ちた小豆を手いっぱい掬ってさらに揉む。
金属性のトーシの上で揉む。
小さくなったクズはふるいにかけたトーシの編みの目を通り抜けて落ちる。
あらかたのアズキオトシをした小豆はもう一つの筵に移す。
今度は網の目がもっと細かい木製のトーシ。
再びアズキオトシの作業を続ける。
ふるいにかけて細かなガラを落とす。
これを何度も繰り返す。
何度も繰り返しても細かいガラは残っている。
実とガラの分離作業は手間がかかる。
倉庫にあった唐箕を使いたいと伝えた婦人。
取材に訪れた私たちが軒下に運んだ唐箕は今でも現役の大正二年製。
岡山県で製作されたようだ。
大麦、裸麦、小麦用に切換えレバーが付いている。
風の強弱も切り替えられる構造になっている。
ガラを落とした小豆を広口の漏斗に投入する。
クランクハンドルをぐるぐる廻せば風が起こる。
と、同時に赤い小豆の実は樋口からコロコロ出てくる。
受ける箕には所有者を示す屋号がある。
吹き飛んだガラは勢いがついて受け箕をすり抜けた。
この日にされたアズキオトシの品種は宇陀大納言小豆。
大豆は7月10日までにタネマキをする。
夏から秋にかけて成長する。
実成はそれからだ。
11月を迎えるころに大豆ができる。
田で干すことはせずに乾いたら収穫する。
朝露に濡れていないものを畑で莢を取っておく。
青い莢はダイダイ色になるから採らずに赤い莢を収穫する。
箕に落とした量は多く、何杯も取って作業を繰り返して軒先で筵を敷いて干していたという。
雨天の日は干さずに天気のいい日が続く5日間だという。
アズキオトシを終えて自宅に招き入れられて、当家で行われてきたさまざまな話しを聞く。
吊るしガキにバルーンを添えていた家屋は近年に建てられた。
同家に始めて訪れたのは平成15年8月13日だった。
毎年1月18日に平尾水分神社で行われる平尾のオンダを撮らせてもらってお礼に写真をさしあげたときのことである。
当時は家屋でなく二階建ての大きな門屋であった。
母屋の奥に家屋がある。
ここは「ベッタシキ」と呼ぶ。
別座敷を訛って「ベッタシキ」である。
「ずる」は「担ぐ」とか「担いでいく」というようだ。
「ずって」は片方を持っていくことだという。
いずれも大和言葉であろう。
昭和43年生まれの子供がいる。
小学二年生のときだったと思い出される杉材で立てたコイノボリの竿。
出里で伐り倒した杉材は丸太であるが葉っぱは残していた。
初めの年はそうするが、2年目の年は葉っぱを伐りとって矢車に取り換える。
息子が小学校終えるまでそうしていた。
ノボリは吹き流しもあればマゴイにヒゴイもあった。
染め色は青色だったコイノボリ。
太い支柱は今でも記念に軒屋根へ吊るしている。
家の前にある田の名は「マエタ」。
九反あったそうだ。
井戸水は毎日の暮らしに汲んでいた。
水を汲んで担いで運ぶ。
そして「シシナゲ」に入れた。
「コエタゴ」は「ノツボ」とも呼んでいた。
「コエ」は「イナウ」と呼んで担いで運んだ。
これらも大和言葉である。
「モチゴメ」は二度蒸しする。
「カイアワセ」という混ぜ方で作る「クリオコワ」。
「コシアン」、「ツブアン」の大福餅。
「セキハン」と云う場合もあるが「オコワ」とも云っている「セキハン」は「モチゴメ」で作る。
そんな話をしてくれた婦人は山菜オコワを小皿に盛ってくれた。
細かく刻んだニンジンやタケノコにシイタケを入れて蒸して作った。
シイタケは下味をつけているのでたまらなく美味しい。
食欲をそそる山菜オコワはおかわりしてしまうほど美味しかった。
山菜オコワで思い出された婦人。
「ムシ」作りと云って宮さんのトーヤを務めたときは「オコワ」やカマスを乗せて供えていたと話す。
「シブガキ」は35度の焼酎で浸ける。
お椀に入れて「ジクはネジネジして外したカキのヘタをちゃぽんと浸けた。
今は封をしたナイロン袋に入れて浸けている。
11月の亥の日にイノコノモチを作っていた。
サトイモのお頭をサイノメに切ってご飯に入れた炊いた。
サトイモは潰してオニギリにした。
砂糖と塩で味付けした小豆の餡は「コシアン」。
生姜汁を浸けて焼いたら香ばしかった。
美味しいので近所に配った。
「大和マナ」の呼び名がある大和の野菜。
葉っぱを塩漬けした漬物を「オクモジ」と呼んでいる。
「オクモジゴハン」も作って食べたが少し臭かったようだ。
1月14日はトンド。
トンドの火を持ち帰って翌朝にアズキガユを炊いて作った。
アズキガユは「オカイサン」とも呼んでいた。
トンドの灰は集めて田んぼに撒いた。
この日だったか思い出せないが、クリかナシの木にナタをあてる格好をした。
そのときに「ナルカナランカ」と声をかける。
おかあさんがそれをやっていておじいさんがナタをあてていた。
息子や娘にも「ナルカナランカ」を言えといってやらせた。
そうしたらおじいさんが「ナリマス ナリマス」と云っていた。
孫にもさせていた時期はとても寒かったことを覚えているという。
大和言葉はもう一つ。
蛇のことをここらでは「ハビ」という。
「ハミ」と呼ぶ地域もあるが平尾では「ハビ」である。
話題はてんこ盛り。
ゆっくりしてやと云われてだされた名品は宇陀の「キミゴロモ」。
まるで玉子焼きのような味が美味しい。
(H26.11. 8 EOS40D撮影)