山添村勝原の盆のあり方を取材してから立ち寄った奈良市都祁白石町の辻村商店。
日暮れのころに先祖さんを迎える、と話していたので伺った。
13日の先祖迎えの日であっても刺しさばを求めるお客さんがやってくる。
只今販売中であることを伝える「遠くは江戸時代より続く都祁の里の刺しさば」。
看板は一日中、出しっぱなしだ。
なんと、看板下に、枯葉の束がある。
藁の松明でなく燃えやすい杉材の枯葉。
倒れないように繰り抜いた材に挿し、準備を整えていた。
今年の刺しさばは売れに売れた、という。
追加に作る刺しさば。
急なことであるが、お客さんのお願いだけに、大急ぎで作り、なんとか間に合った、という。
実は25尾も追加したと聞いたのは前日のことだ。
神戸から来た人とか、見知らぬ人がサシサバ売りの看板文字を読んで、車を停めるそうだ。
通り抜けてからわざわざUターンして戻ってくる車も多い。
うち一人は、奈良朱雀国際ビジネス企画指導先生。
桜井市棚倉に住む食の文化研究者として知られる富岡典子先生も。
サシサバ求めて来る人たちに、献本した『サバが大好き!旨すぎる国民的青魚のすべて』のコラム頁を広げて見せている、と奥さんが笑顔で伝えてくれる。
どうやらお店の宣伝に一役買っているようだ。
これなら都祁のお米も謳い文句つくって看板に揚げてみよう、と・・。
天気の具合を観て干す作業は、連続5、6日間。
日暮れ前に下げて、また翌日に干す。
急な雨にもすぐに対応。
晴れ間になる天気のえー日にまた干す。
その作業の繰り返しに、刺しさばは見事な焼け具合になる。
1回当たりに干す枚数は多くない。
刺しさば干しの取材に訪れた7月14日に20日。
以降も、お盆を迎えるまで、何度も作業をしてきた辻村店主である。
「自家製さし鯖」の文字が、食い気を誘う。
思わずよだれが出そうになる刺しさばの色具合。
売れに売れて3度も干した、という。
間に合わせるために、キズシ用に使う予定だった鯖までも・・。
また、お盆だけに蓮の葉も売っている。
只今、入荷の札を表示し、売っている蓮の葉。
大和郡山市の筒井に蓮を栽培している家がある。
蓮池は泥の池。
“筒井れんこん”の名で評判高い大和の名産。県も推奨、認定された大和の伝統野菜の一つであるが、後継者問題などもあって近年は、少しずつ、蓮池は農地転用に。
若い人たちは見向きもしなくなった蓮根。
シャキシャキ感がたまらんほどに美味い蓮根。
おふくろの出里に母屋があった。
そこで食べた酢蓮根の味は、今でも口が覚えている。
我が家のお正月。
云十年前まではお節料理の一品に必ずあったが、中国産が広く市場を埋めるようになったころ。我が家から酢蓮根は消えた。
私の知るれんこん畑が一つ、二つと消えていく状況に、為す術もない。
そのような状況に、今年はさらに追い打ち。
不作の年に大きい葉が手に入らない、という。
仕方なく、他所で入手した蓮の葉であるが、大きな葉が見当たらなかったそうだ。
小さな葉であっても、購入するお客さんのために仕入れた。
足らなくなって、何枚もまた仕入れに走って、都合つけている。
お店の扉を締め、これからはじめる先祖さんを迎える火焚き。
火焚きの用具は枯れた杉の葉。
火点けに相応しい枯葉はすぐ火が点く。
杉葉が醸し出す松明は珍しい方法だと感心したが、実は例年なら藁松明に青竹を使用するらしい。
どちらであってもご先祖さんがお家を間違えないように火が灯った。
今夜は、大阪寝屋川に住む妹夫婦もやってきた。
仕出し料理の支援に就いていたご夫妻は、孫女児ととともに先祖迎えをする。
日も暮れる時間帯。空は明るいブルートーンから暗めの色合いに変化しだした。
おもむろに打ち出した鉦の音。
年長の孫女児が手にした小型の平鉦。
テンポ早い打ち方から、徐々に調子を落として打つ音色に。
灯した松明に向かって先祖さんがやってくる。
その間、店主の奥さんはずっと手を合わせている。
鉦打ちも、途中で妹にバトンタッチ。
小さなお手てで打つ鉦の音も、また愛おしく聞こえる。
迎え松明に火があるうちは、家の鉦を打ち続けるのが当家の習わしのようだ。
ご先祖さんを迎えて入れてから始める御詠歌。
屋内の座敷に設えた先祖さんを迎える棚。
仏壇から移した位牌の数々。
先祖さんから数えること六代に亘った位牌。
およそ19人の戒名を並べた。
六代前は東隣にある室生の多田。
もっと古い先祖さんは、大阪・摂津より室生に移り住んだ多田経実(つねざね)が祖。
摂津源氏の嫡流になる多田経実は源満仲(多田満仲)の8代孫にあたるらしい。
鎌倉時代の建保年間(1213~1218)に移り住んで土着した。
多田氏家の末裔になるT家は融通念仏宗派。
興善寺で行われる先祖供養に「多田屋敷云々・・」と回向されると話していた。
祭壇に盛ったお供えは、野菜に果物が溢れるほどに・・・。
黄色のマッカもあれば、大きな瓜に枝付き畦豆も。
青柿、無花果、胡瓜にキウイ。
奥に並べたそれらの下にはお皿に例えた柿の葉。
箸はオガラ。
先祖さんの人数分を並べた。
大皿に盛った果物は、桃に葡萄と蜜柑。
準備を整えていた先祖さんを迎えた棚に蝋燭の火を灯していた。
両脇に立てた盆提灯の明かり。
ここら旧都祁村辺りから田原の里、山添村など各地で見られるお盆迎えの置き提灯。
お家によっては、縁の場に吊るす家もある。
先祖さんの他にも供える場がある。
大きな蓮の葉に盛ったお供えは、ガキサンを迎える棚。
これもまた、当家と同じように縁に、という処もあれば、屋外の場合も・・。
先祖さんの棚と同じように、シキビを立て、いろんな花を飾っている。
果物は葡萄に無花果、青柿が。
柿の葉にのせた胡瓜と茄子に小さな蝋燭に火を灯す。
よく見れば、その後方にもお供えがある。
あっ、と声をあげたそのお供えはみたらし団子。
お店に売っていた団子であろう。
”ぶっぱん”こと、仏飯は茶碗盛り。
お茶も淹れた。
お茶は、一日に数回淹れ替える。
古いお茶は、縁の下に捨てるのが習わしだ。
お孫さんが線香に火を点ける。
「手を合わすねんで」と云われて、拝ませてもらう孫たち。
そして始まった家族揃って唱える西国三十三番の御詠歌。
平鉦を打って導師を務めるのは当主のTさん。
「四国三十三か所におかれましては、第一番 紀井の国 那智山の御詠歌~」、を告げて、まずは一番の紀の国の那智さん。
導師が打つ鉦の調子は緩―く、長めに伸ばすゆったリズム。
隣村の小山戸や友田の方では、途中で早くなる、とか・・。
一番の歌詞の「補陀洛や 岸打つ波は 三熊野の 那智のお山に ひびく滝津瀬」を唱える時間は、およそ1分間。
「ふ~ぅ~う~だ~ぁ~あ~く~ぅ~や~ぁ~・・・・」文字にするのが難しいくらいの調子で唱える御詠歌。
孫さんも、妹夫妻とともに唱える御詠歌。
1番から33番までを一気に通して唱えても1時間超え。
どこでもそうだったが、たいがいは24番の中山さんでひと息つけて、休憩。お茶をいただいたりしてから25番の清水寺から続きを再開する。
それなりの持続時間を保つ蝋燭であっても、途中で消える。
その間を見計らって蝋燭も休憩、ではなく取り換えて継続していた。
ちなみに、先祖さん迎えは、どことも8月13日であるが、送りの日は、地域によって異なるらしく、14日にする家もあれば、15日の朝にする家も・。・
※また、T夫妻が話してくれたサシサバ関連情報。
当店舗ではなく、大阪の鶴橋に、である。
鶴橋の駅近くにある大阪鶴橋鮮魚市場。
左側に駐車場がある。
そこにサシサバを広げて干しているショウエイ(大黒屋;おおくにや)さんがあるそうだが・・。
大宇陀の人がしている、というから一度は訪ねてみたい仕入れ先の源流探しもまた、民俗取材である。
(H30. 8.13 EOS7D撮影)
日暮れのころに先祖さんを迎える、と話していたので伺った。
13日の先祖迎えの日であっても刺しさばを求めるお客さんがやってくる。
只今販売中であることを伝える「遠くは江戸時代より続く都祁の里の刺しさば」。
看板は一日中、出しっぱなしだ。
なんと、看板下に、枯葉の束がある。
藁の松明でなく燃えやすい杉材の枯葉。
倒れないように繰り抜いた材に挿し、準備を整えていた。
今年の刺しさばは売れに売れた、という。
追加に作る刺しさば。
急なことであるが、お客さんのお願いだけに、大急ぎで作り、なんとか間に合った、という。
実は25尾も追加したと聞いたのは前日のことだ。
神戸から来た人とか、見知らぬ人がサシサバ売りの看板文字を読んで、車を停めるそうだ。
通り抜けてからわざわざUターンして戻ってくる車も多い。
うち一人は、奈良朱雀国際ビジネス企画指導先生。
桜井市棚倉に住む食の文化研究者として知られる富岡典子先生も。
サシサバ求めて来る人たちに、献本した『サバが大好き!旨すぎる国民的青魚のすべて』のコラム頁を広げて見せている、と奥さんが笑顔で伝えてくれる。
どうやらお店の宣伝に一役買っているようだ。
これなら都祁のお米も謳い文句つくって看板に揚げてみよう、と・・。
天気の具合を観て干す作業は、連続5、6日間。
日暮れ前に下げて、また翌日に干す。
急な雨にもすぐに対応。
晴れ間になる天気のえー日にまた干す。
その作業の繰り返しに、刺しさばは見事な焼け具合になる。
1回当たりに干す枚数は多くない。
刺しさば干しの取材に訪れた7月14日に20日。
以降も、お盆を迎えるまで、何度も作業をしてきた辻村店主である。
「自家製さし鯖」の文字が、食い気を誘う。
思わずよだれが出そうになる刺しさばの色具合。
売れに売れて3度も干した、という。
間に合わせるために、キズシ用に使う予定だった鯖までも・・。
また、お盆だけに蓮の葉も売っている。
只今、入荷の札を表示し、売っている蓮の葉。
大和郡山市の筒井に蓮を栽培している家がある。
蓮池は泥の池。
“筒井れんこん”の名で評判高い大和の名産。県も推奨、認定された大和の伝統野菜の一つであるが、後継者問題などもあって近年は、少しずつ、蓮池は農地転用に。
若い人たちは見向きもしなくなった蓮根。
シャキシャキ感がたまらんほどに美味い蓮根。
おふくろの出里に母屋があった。
そこで食べた酢蓮根の味は、今でも口が覚えている。
我が家のお正月。
云十年前まではお節料理の一品に必ずあったが、中国産が広く市場を埋めるようになったころ。我が家から酢蓮根は消えた。
私の知るれんこん畑が一つ、二つと消えていく状況に、為す術もない。
そのような状況に、今年はさらに追い打ち。
不作の年に大きい葉が手に入らない、という。
仕方なく、他所で入手した蓮の葉であるが、大きな葉が見当たらなかったそうだ。
小さな葉であっても、購入するお客さんのために仕入れた。
足らなくなって、何枚もまた仕入れに走って、都合つけている。
お店の扉を締め、これからはじめる先祖さんを迎える火焚き。
火焚きの用具は枯れた杉の葉。
火点けに相応しい枯葉はすぐ火が点く。
杉葉が醸し出す松明は珍しい方法だと感心したが、実は例年なら藁松明に青竹を使用するらしい。
どちらであってもご先祖さんがお家を間違えないように火が灯った。
今夜は、大阪寝屋川に住む妹夫婦もやってきた。
仕出し料理の支援に就いていたご夫妻は、孫女児ととともに先祖迎えをする。
日も暮れる時間帯。空は明るいブルートーンから暗めの色合いに変化しだした。
おもむろに打ち出した鉦の音。
年長の孫女児が手にした小型の平鉦。
テンポ早い打ち方から、徐々に調子を落として打つ音色に。
灯した松明に向かって先祖さんがやってくる。
その間、店主の奥さんはずっと手を合わせている。
鉦打ちも、途中で妹にバトンタッチ。
小さなお手てで打つ鉦の音も、また愛おしく聞こえる。
迎え松明に火があるうちは、家の鉦を打ち続けるのが当家の習わしのようだ。
ご先祖さんを迎えて入れてから始める御詠歌。
屋内の座敷に設えた先祖さんを迎える棚。
仏壇から移した位牌の数々。
先祖さんから数えること六代に亘った位牌。
およそ19人の戒名を並べた。
六代前は東隣にある室生の多田。
もっと古い先祖さんは、大阪・摂津より室生に移り住んだ多田経実(つねざね)が祖。
摂津源氏の嫡流になる多田経実は源満仲(多田満仲)の8代孫にあたるらしい。
鎌倉時代の建保年間(1213~1218)に移り住んで土着した。
多田氏家の末裔になるT家は融通念仏宗派。
興善寺で行われる先祖供養に「多田屋敷云々・・」と回向されると話していた。
祭壇に盛ったお供えは、野菜に果物が溢れるほどに・・・。
黄色のマッカもあれば、大きな瓜に枝付き畦豆も。
青柿、無花果、胡瓜にキウイ。
奥に並べたそれらの下にはお皿に例えた柿の葉。
箸はオガラ。
先祖さんの人数分を並べた。
大皿に盛った果物は、桃に葡萄と蜜柑。
準備を整えていた先祖さんを迎えた棚に蝋燭の火を灯していた。
両脇に立てた盆提灯の明かり。
ここら旧都祁村辺りから田原の里、山添村など各地で見られるお盆迎えの置き提灯。
お家によっては、縁の場に吊るす家もある。
先祖さんの他にも供える場がある。
大きな蓮の葉に盛ったお供えは、ガキサンを迎える棚。
これもまた、当家と同じように縁に、という処もあれば、屋外の場合も・・。
先祖さんの棚と同じように、シキビを立て、いろんな花を飾っている。
果物は葡萄に無花果、青柿が。
柿の葉にのせた胡瓜と茄子に小さな蝋燭に火を灯す。
よく見れば、その後方にもお供えがある。
あっ、と声をあげたそのお供えはみたらし団子。
お店に売っていた団子であろう。
”ぶっぱん”こと、仏飯は茶碗盛り。
お茶も淹れた。
お茶は、一日に数回淹れ替える。
古いお茶は、縁の下に捨てるのが習わしだ。
お孫さんが線香に火を点ける。
「手を合わすねんで」と云われて、拝ませてもらう孫たち。
そして始まった家族揃って唱える西国三十三番の御詠歌。
平鉦を打って導師を務めるのは当主のTさん。
「四国三十三か所におかれましては、第一番 紀井の国 那智山の御詠歌~」、を告げて、まずは一番の紀の国の那智さん。
導師が打つ鉦の調子は緩―く、長めに伸ばすゆったリズム。
隣村の小山戸や友田の方では、途中で早くなる、とか・・。
一番の歌詞の「補陀洛や 岸打つ波は 三熊野の 那智のお山に ひびく滝津瀬」を唱える時間は、およそ1分間。
「ふ~ぅ~う~だ~ぁ~あ~く~ぅ~や~ぁ~・・・・」文字にするのが難しいくらいの調子で唱える御詠歌。
孫さんも、妹夫妻とともに唱える御詠歌。
1番から33番までを一気に通して唱えても1時間超え。
どこでもそうだったが、たいがいは24番の中山さんでひと息つけて、休憩。お茶をいただいたりしてから25番の清水寺から続きを再開する。
それなりの持続時間を保つ蝋燭であっても、途中で消える。
その間を見計らって蝋燭も休憩、ではなく取り換えて継続していた。
ちなみに、先祖さん迎えは、どことも8月13日であるが、送りの日は、地域によって異なるらしく、14日にする家もあれば、15日の朝にする家も・。・
※また、T夫妻が話してくれたサシサバ関連情報。
当店舗ではなく、大阪の鶴橋に、である。
鶴橋の駅近くにある大阪鶴橋鮮魚市場。
左側に駐車場がある。
そこにサシサバを広げて干しているショウエイ(大黒屋;おおくにや)さんがあるそうだが・・。
大宇陀の人がしている、というから一度は訪ねてみたい仕入れ先の源流探しもまた、民俗取材である。
(H30. 8.13 EOS7D撮影)