風景写真家のYさんが、この日の朝にFBにアップされた「イロバナ」に目が引き込まれた。
田植え初めに供えたサビラキのあり方である。
映像でわかるその地は日笠町。
その苗代田を覗きたくなって車を走らせた。
今日の暦は先勝。
農家の人は大安の次のえー日になるらしく一粒万倍である。
もしや、と思って、先に目指すほぼ同地域になる奈良市長谷町。
いずれも田原の里と呼ぶ地域。
田んぼに水を張っているところもあれば、田植えをしている農家さんもいる。
目的の地は、以前から承知しているTさんの田んぼ。
平成25年の5月12日に拝見していたウエゾメ(植え初め)の様相である。
後日にお会いしたTさんは、それを「サビラキ」と呼んでいた。
田に水を張っているが、サビラキは・・・まだのようだ。
その付近で苗箱を洗っていた婦人にお声をかけたら、なんと、Tさんの奥さんだった。
Tさんは77歳。
村の神社行事(塔の森参り・日吉神社の虫の祈祷/チョウナはじめ・風の祈祷)とか庚申講行事取材などで世話になった人。
写真家のKさんやSさんも存じているTさんである。
奥さんが云うには、この日の午後に始めた田植え。
もうすぐ上の田んぼが終わって、いつもサビラキをしているこの場所に戻ってくる。
戻ったら、御田祭でたばった「幣に松苗、次いでイロバナも立てはるで・・」と、いう。
下見のつもりで出かけたら、今からするっていうから緊急取材である。
久しぶりにお会いしたTさん。
「それなら今から栗の木を取りに行こう」、とすぐさま動く。
家に咲いている花を集める。
ハナズオウ、ユキヤナギ、ツバキ、ヤマブキにシャガの花である。
自宅は茅葺家。
縁で幣つくりをされて、ぱっぱっと作っていた。
奥さんの手元にあるのは、近隣村になる茗荷町天満神社行事の祈年祭にたばった松苗である。
隣村の大野町もまた氏子領域にあり、平成23年の3月27日に行われていた子ども涅槃取材の際に拝見した松苗に護符を挟んだ漆棒も記録として撮っていた。
護符の文字は「御年大神」。
天満神社の護符であるが、サビラキに立てるのは松苗だけだ。
「ほな、立てよか」と云いつつ、いつものところに立て。
特に詞章はみられず黙々と立てる。
「田圃の神さんに、今年もよろしゅうと、豊作を願いますねん」という。
以前はフライパンでモチゴメを煎って作る“ハゼコメ(爆ぜ米)”をパラパラ落としていたそうだ。
サビラキは、田植えのえー日にする。
日和がえー日だという日は大安とか先勝。
タネマキは一粒で万倍の日に植えている、と話してくれた。
平成25年に拝見したときと同じようにフキダワラは見られないが、この年の3月11日に地区の御田祭でたばった松苗も立てた。
こうしてサビラキの行為をし終えてから、田んぼに入れた田植え機に乗る。
しばらくは田植え機で何往復もする器械的田植えが続く。
T家の作付け品種は粳米のキヌヒカリ。
苗箱は215枚。
苗代つくりもしていた時代もあったが、現在は手間を省いてJAの農協買いの苗を植えていく。
田んぼはここにも上にもある。
1ヘクタールの広さに田植え作業は3日間もかかる。
働くTさんの田植え作業姿をとらえていた、そのときである。
上から下ってきた乗用車が急ブレーキをかけて車を停めた。
車から降りた黒いスーツ姿の男性に女性が尋ねたことは、この花は何でしょうか、である。
これは田植え初めにおける農家の豊作願い。
「田主はこれをサビラキと呼んでいます」、と代弁したら、つい先ほどまで峠を越えた天理市山田町も田植えをしていたが、このようなモノはなかった、という。
農家さんの田植え作業の取材を終えて事務所に戻るときに見つけた豊作のあり方に興味をもたれた一行。
「どうか、取材をお願いできないでしょうか」、と私に言われてもなんなので、田主のTさんに声をかけて願い人を紹介した。
同じように説明される田主の本音も聞かれたこの人たちは、どこの事務所に所属しているのか。
尋ねてみれば農林水産省近畿農政局奈良支局地方参事官室の3人。
写真を撮らせてもらって近畿農政局のHP掲載許諾もとっていた。
HPの内容は“山田の山間地”の田植え状況。
生産者のTさんの談話も織り込んで紹介してくださった。
こんな機会なんて滅多にあるものではない。
喜んで受けたTさんの姿は、その後に編集されて近畿農政局HPの頁を飾った。
長谷町は28軒の集落である。
今もなおサビラキをしているTさん。
10年前までは村の人もしていたが、今ではたったの一人。
村で唯一だ、という。
T家以外のお家はどうされているのだろうか。
実態は、茗荷町天満神社行事の御田祭で祈祷された松苗に漆棒に挟んだ護符は、いつしか祭る場は神棚に移っていた。
苗代に立てることもなく神棚に供え、翌年の小正月のトンドで燃やす形になったそうだ。
ちなみにT家が属する垣内は、清水垣内。
今では新暦に行われている旧暦閏年の庚申講がある。
かつては9軒の営みであったが、現在は4軒。
4年に一度のオリンピックの年の2月29日に行っている、という。
今も営みを終えた直会にイロゴハンを食べているそうだ。
(H23. 3.27 EOS40D撮影)
(H30. 4.26 EOS7D撮影)
(H30. 4.26 SB932SH撮影)
田植え初めに供えたサビラキのあり方である。
映像でわかるその地は日笠町。
その苗代田を覗きたくなって車を走らせた。
今日の暦は先勝。
農家の人は大安の次のえー日になるらしく一粒万倍である。
もしや、と思って、先に目指すほぼ同地域になる奈良市長谷町。
いずれも田原の里と呼ぶ地域。
田んぼに水を張っているところもあれば、田植えをしている農家さんもいる。
目的の地は、以前から承知しているTさんの田んぼ。
平成25年の5月12日に拝見していたウエゾメ(植え初め)の様相である。
後日にお会いしたTさんは、それを「サビラキ」と呼んでいた。
田に水を張っているが、サビラキは・・・まだのようだ。
その付近で苗箱を洗っていた婦人にお声をかけたら、なんと、Tさんの奥さんだった。
Tさんは77歳。
村の神社行事(塔の森参り・日吉神社の虫の祈祷/チョウナはじめ・風の祈祷)とか庚申講行事取材などで世話になった人。
写真家のKさんやSさんも存じているTさんである。
奥さんが云うには、この日の午後に始めた田植え。
もうすぐ上の田んぼが終わって、いつもサビラキをしているこの場所に戻ってくる。
戻ったら、御田祭でたばった「幣に松苗、次いでイロバナも立てはるで・・」と、いう。
下見のつもりで出かけたら、今からするっていうから緊急取材である。
久しぶりにお会いしたTさん。
「それなら今から栗の木を取りに行こう」、とすぐさま動く。
家に咲いている花を集める。
ハナズオウ、ユキヤナギ、ツバキ、ヤマブキにシャガの花である。
自宅は茅葺家。
縁で幣つくりをされて、ぱっぱっと作っていた。
奥さんの手元にあるのは、近隣村になる茗荷町天満神社行事の祈年祭にたばった松苗である。
隣村の大野町もまた氏子領域にあり、平成23年の3月27日に行われていた子ども涅槃取材の際に拝見した松苗に護符を挟んだ漆棒も記録として撮っていた。
護符の文字は「御年大神」。
天満神社の護符であるが、サビラキに立てるのは松苗だけだ。
「ほな、立てよか」と云いつつ、いつものところに立て。
特に詞章はみられず黙々と立てる。
「田圃の神さんに、今年もよろしゅうと、豊作を願いますねん」という。
以前はフライパンでモチゴメを煎って作る“ハゼコメ(爆ぜ米)”をパラパラ落としていたそうだ。
サビラキは、田植えのえー日にする。
日和がえー日だという日は大安とか先勝。
タネマキは一粒で万倍の日に植えている、と話してくれた。
平成25年に拝見したときと同じようにフキダワラは見られないが、この年の3月11日に地区の御田祭でたばった松苗も立てた。
こうしてサビラキの行為をし終えてから、田んぼに入れた田植え機に乗る。
しばらくは田植え機で何往復もする器械的田植えが続く。
T家の作付け品種は粳米のキヌヒカリ。
苗箱は215枚。
苗代つくりもしていた時代もあったが、現在は手間を省いてJAの農協買いの苗を植えていく。
田んぼはここにも上にもある。
1ヘクタールの広さに田植え作業は3日間もかかる。
働くTさんの田植え作業姿をとらえていた、そのときである。
上から下ってきた乗用車が急ブレーキをかけて車を停めた。
車から降りた黒いスーツ姿の男性に女性が尋ねたことは、この花は何でしょうか、である。
これは田植え初めにおける農家の豊作願い。
「田主はこれをサビラキと呼んでいます」、と代弁したら、つい先ほどまで峠を越えた天理市山田町も田植えをしていたが、このようなモノはなかった、という。
農家さんの田植え作業の取材を終えて事務所に戻るときに見つけた豊作のあり方に興味をもたれた一行。
「どうか、取材をお願いできないでしょうか」、と私に言われてもなんなので、田主のTさんに声をかけて願い人を紹介した。
同じように説明される田主の本音も聞かれたこの人たちは、どこの事務所に所属しているのか。
尋ねてみれば農林水産省近畿農政局奈良支局地方参事官室の3人。
写真を撮らせてもらって近畿農政局のHP掲載許諾もとっていた。
HPの内容は“山田の山間地”の田植え状況。
生産者のTさんの談話も織り込んで紹介してくださった。
こんな機会なんて滅多にあるものではない。
喜んで受けたTさんの姿は、その後に編集されて近畿農政局HPの頁を飾った。
長谷町は28軒の集落である。
今もなおサビラキをしているTさん。
10年前までは村の人もしていたが、今ではたったの一人。
村で唯一だ、という。
T家以外のお家はどうされているのだろうか。
実態は、茗荷町天満神社行事の御田祭で祈祷された松苗に漆棒に挟んだ護符は、いつしか祭る場は神棚に移っていた。
苗代に立てることもなく神棚に供え、翌年の小正月のトンドで燃やす形になったそうだ。
ちなみにT家が属する垣内は、清水垣内。
今では新暦に行われている旧暦閏年の庚申講がある。
かつては9軒の営みであったが、現在は4軒。
4年に一度のオリンピックの年の2月29日に行っている、という。
今も営みを終えた直会にイロゴハンを食べているそうだ。
(H23. 3.27 EOS40D撮影)
(H30. 4.26 EOS7D撮影)
(H30. 4.26 SB932SH撮影)