矢田の村でとんど焼きの取材をしているときだった。
草むらに落ちていたナワを見た地区の人は「これはミチナワや。出棺して墓地に行く辻角にこれを置いて、そこへは行かないという印しや」と話す。
墓地まで向う分岐路に置いて仏さんが迷わないようにしているのがミチナワなのであった。
その件を隣垣内の人に伝えたところ、「墓地にはゾーリ(草履)がある。それを作って六地蔵に置いているのだ」と言う。
前月の18日に地区の人が亡くなった。
その際に行われた葬送の儀礼、いわゆる野辺送りの一例である。
民俗事例における葬送儀礼を調査する機会が与えられたのだと考えて墓地に出向いた。
民俗行事の多くはハレの祭礼。
その多くを取材させていただいているが、中には弔い、供養などもある。
盆の行事で見られる念仏もそれにあたる。
場合によっては新仏の斎壇も拝見することがある。
遺影に手を合わせて取材したこともある。
民俗は日常生活における暮らしの文化。
歳時、風俗、風習、冠婚葬祭、民間信仰、娯楽、演戯、生業、伝統食など古くから伝えられてきたすべてが民俗の対象であろう。
小学生だったか、中学生のときであったか覚えていない本家母屋の葬式は今でも目の中に焼きついている。
50年も前の大阪南河内郡でのことだ。
お棺は丸い樽のような桶だった。
その中に納められた大祖母は座っていた。
座棺であろう桶から覗いたことを覚えている。
棺桶は大学生だった従兄の兄ちゃんが白装束姿になって墓地まで(輿を)担いでいった。
墓地は土葬だった。
そんな大阪南河内の葬送の光景を思い出し、矢田の墓地を目指した。
そこは来光寺と呼ばれる寺があったという。
寺はなくなったが村の墓地。
今でもそこに墓石が並ぶ。
近年にそれぞれの墓を寄せられ整備されたそうだ。
その墓地の入り口にあたる地にローソクを挿した竹が6本立てられている。
それが六地蔵であった。
一本の竹の先にローソクを立てる。
その下には環が見られる。
シワシワになっているがダイコンである。
燭台の替りであろうか。
ローソク立ての下を見れば、それぞれにゾーリ(藁草履)が置かれている。
白い紙で巻かれているのが鼻緒。
草履部分は平たいものではなく一本の縄ぬいをした形は実にシンプルである。
それぞれ2足ずつ置かれている竹ローソクの六地蔵。
中央の一本にはシカバナがある。
半切りにしたダイコンを土台に紙垂れを付けた幣とも思われるものが挿されている。
その右横には一本の串があった。
六地蔵のローソクを教えてくださった村の人によればみたらし団子だったそうだ。
2週間ほどの間に獣か虫に食べられてしまったのだろう。
シカバナを充てる漢字は死花。
冬はダイコンだが夏にはサツマイモかジャガイモにするという。
六地蔵のローソクは墓の仲間入りを願うもので仏さんを土中に納骨する際に拝むそうだ。
そのときに燈す六地蔵のローソク。
かつてはそうだったと話すハカマツリの責任者でもある村の人。
みたらし団子を挿したシカバナは仏さんの前にも供える。
葬儀前日にローソク立て、草履、シカバナを作るのは隣近所の人たち。
葬儀のお手伝いである。
かつては墓の穴も掘った。
納める寝棺は村の大工が作っていたという。
ちなみに墓地までの行程で分岐路ごとに置かれるミチナワは道中によって本数は異なる。
墓地までの道を予め歩いて数えたそうだ。
そのミチナワは左縄で結う。
先のほうはひと丈ほど藁を一本だすという。
葬送の日。
朝6時に1番鉦を打つ。
出棺する1時間前に2番鉦を打つ。
そして出棺のときに3番鉦を打つという。
現在は火葬。
土葬だった時代は寝棺を2本のオーコに跨がせ担いでいった。
それを「コシ(充てる漢字は輿であろう)」と呼んでいた。
オーコは手で持つが、その場所には編んだ堅い縄を括りつけた。
それを両肩にあてがうように担いだ。
前方、後方に2人。
合計4人で担いでいった。
畑の道を通ってアタゴ山の方に向かっていった野辺送り。
その昔は縦形の座棺だったそうだ。
三途の川を渡るときの草履なのか、仏さんが戻って来ないように鼻緒を切るという地域があるが、その風習については聞きそびれた。
(H24. 2. 4 EOS40D撮影)
草むらに落ちていたナワを見た地区の人は「これはミチナワや。出棺して墓地に行く辻角にこれを置いて、そこへは行かないという印しや」と話す。
墓地まで向う分岐路に置いて仏さんが迷わないようにしているのがミチナワなのであった。
その件を隣垣内の人に伝えたところ、「墓地にはゾーリ(草履)がある。それを作って六地蔵に置いているのだ」と言う。
前月の18日に地区の人が亡くなった。
その際に行われた葬送の儀礼、いわゆる野辺送りの一例である。
民俗事例における葬送儀礼を調査する機会が与えられたのだと考えて墓地に出向いた。
民俗行事の多くはハレの祭礼。
その多くを取材させていただいているが、中には弔い、供養などもある。
盆の行事で見られる念仏もそれにあたる。
場合によっては新仏の斎壇も拝見することがある。
遺影に手を合わせて取材したこともある。
民俗は日常生活における暮らしの文化。
歳時、風俗、風習、冠婚葬祭、民間信仰、娯楽、演戯、生業、伝統食など古くから伝えられてきたすべてが民俗の対象であろう。
小学生だったか、中学生のときであったか覚えていない本家母屋の葬式は今でも目の中に焼きついている。
50年も前の大阪南河内郡でのことだ。
お棺は丸い樽のような桶だった。
その中に納められた大祖母は座っていた。
座棺であろう桶から覗いたことを覚えている。
棺桶は大学生だった従兄の兄ちゃんが白装束姿になって墓地まで(輿を)担いでいった。
墓地は土葬だった。
そんな大阪南河内の葬送の光景を思い出し、矢田の墓地を目指した。
そこは来光寺と呼ばれる寺があったという。
寺はなくなったが村の墓地。
今でもそこに墓石が並ぶ。
近年にそれぞれの墓を寄せられ整備されたそうだ。
その墓地の入り口にあたる地にローソクを挿した竹が6本立てられている。
それが六地蔵であった。
一本の竹の先にローソクを立てる。
その下には環が見られる。
シワシワになっているがダイコンである。
燭台の替りであろうか。
ローソク立ての下を見れば、それぞれにゾーリ(藁草履)が置かれている。
白い紙で巻かれているのが鼻緒。
草履部分は平たいものではなく一本の縄ぬいをした形は実にシンプルである。
それぞれ2足ずつ置かれている竹ローソクの六地蔵。
中央の一本にはシカバナがある。
半切りにしたダイコンを土台に紙垂れを付けた幣とも思われるものが挿されている。
その右横には一本の串があった。
六地蔵のローソクを教えてくださった村の人によればみたらし団子だったそうだ。
2週間ほどの間に獣か虫に食べられてしまったのだろう。
シカバナを充てる漢字は死花。
冬はダイコンだが夏にはサツマイモかジャガイモにするという。
六地蔵のローソクは墓の仲間入りを願うもので仏さんを土中に納骨する際に拝むそうだ。
そのときに燈す六地蔵のローソク。
かつてはそうだったと話すハカマツリの責任者でもある村の人。
みたらし団子を挿したシカバナは仏さんの前にも供える。
葬儀前日にローソク立て、草履、シカバナを作るのは隣近所の人たち。
葬儀のお手伝いである。
かつては墓の穴も掘った。
納める寝棺は村の大工が作っていたという。
ちなみに墓地までの行程で分岐路ごとに置かれるミチナワは道中によって本数は異なる。
墓地までの道を予め歩いて数えたそうだ。
そのミチナワは左縄で結う。
先のほうはひと丈ほど藁を一本だすという。
葬送の日。
朝6時に1番鉦を打つ。
出棺する1時間前に2番鉦を打つ。
そして出棺のときに3番鉦を打つという。
現在は火葬。
土葬だった時代は寝棺を2本のオーコに跨がせ担いでいった。
それを「コシ(充てる漢字は輿であろう)」と呼んでいた。
オーコは手で持つが、その場所には編んだ堅い縄を括りつけた。
それを両肩にあてがうように担いだ。
前方、後方に2人。
合計4人で担いでいった。
畑の道を通ってアタゴ山の方に向かっていった野辺送り。
その昔は縦形の座棺だったそうだ。
三途の川を渡るときの草履なのか、仏さんが戻って来ないように鼻緒を切るという地域があるが、その風習については聞きそびれた。
(H24. 2. 4 EOS40D撮影)