この日は3月3日の雛祭り。
かつてお家で祭っていた雛壇飾りを町おこしに開放、見学できる地区イベントが多くなった。
不要になったコイノボリを纏めて揚げるのもその一つの好事例。
処分されることなく、再び日の目を見るイベント見たさに観光客が殺到するところも増えている。
その雛祭りに欠かせないのが御供のヒシモチである。
お家でなく神社行事にヒシモチを供えるところは多くない。
現状ではそうであるが、かつては三月節句に供えていたという証言もある。
今もこうした行事をしているところはないのか探してみる。
これまで拝見した奈良県内地域の数か所に、今もなお行事にヒシモチ御供をしている在所があった。
一つは宇陀市大宇陀野依の上巳の節句。
二つ目は山添村切幡の桃の節句。
三つ目に旧都祁村になる奈良市南之庄町の節句。
四つ目は桜井市瀧倉の節句である。
また、奈良県外になるが、京都府相楽郡笠置町切山の節句にも継承されていた。
他所でもありそうにも思えるのだが、神社の年中行事に節句そのもの行事名が見当たらない。
そこで探してみる節句のヒシモチ。
人から聞いたのか、それとも報告資料で知ったのかわからないが、宇陀市大宇陀の大字平尾の水分神社で行われているというメモがあった。
もしかとして3月3日。
世間が賑わいをみせる雛祭りの節句の日に訪れた水分神社。
境内は綺麗に掃除をされていたが、人の気配は感じない。
そうであれば度々訪れては行事、風習、訛り詞などを教えてくださるI家を訪ねるしかない。
そう思って進行の向きを替えた。
ご自宅前まで来たら、一輪車に採取した野菜を載せて運んでいる婦人が見えた。
手を振ったら気づかれた。
節句につきもののヒシモチの件を尋ねてみれば、今日は何もしていないという。
自転車に乗って一緒に戻ってきた孫娘を祝う雛壇飾りがある。
立ち寄ったのだから見て、と云われて座敷に上がらせてもらう。
玄関土間に飾ってあったミニの雛壇はチョコレート会社製。
この年の1月に発売されたばかりの飾れるチョコレートだそうだ。
座敷奥にあるのが本物の七段飾り。
ヒシモチは手間がかかるので、今年はしていないと申し訳なさそうに云われる。
また雛寿司に“かきまぜ“もしてたんやけど、今年は・・・。
“かきまぜ“って何、である。
婦人のS子さんが云うには“かきまぜ“は、ここらへんの訛り詞。
“五目ご飯”とか、“五目メシ”と呼ぶこともある“かきまぜ“は、ちらし寿司のことだった。
こういうお話をしてくださるのも嬉しい民俗語彙。
ありがたいことに、今年のトウヤに電話をしてくださる。
不在で確認はとれなかったが、トウヤさんは「4月になったらヒシモチをしようか」と云っていたそうだ。
Ⅰ家がトウヤを務める場合もヒシモチを作って神社に供えている、という。
そのヒシモチの形は2段。
土台のヒシモチはヨモギを混ぜて搗く。
ヒシモチは一段で、その上に丸い白餅をのせる。
トウヤでなくとも毎年の桃の節句に作って供えていたそうだが、今年はお菓子の雛霰。
高齢になれば少しずつ簡略化しているようだ。
ちなみに今年のトウヤさんは6月のチマキも供えるはずだと話してくれた。
これまではチマキも手造りであったが、今は和菓子屋が販売するチマキになるかもしれないが、トウヤが供えるだけなので、行事日は固定でなく、トウヤ都合の日にしているという。
供えるところを見たいと話したら、そのお願いをトウヤに連絡しておくから・・と。
平尾の集落戸数は30軒。
マツリに出仕される関係家は14軒に減ったという。
大トウ、小トウの二人が年中行事を支えるから、廻りは7年に一度になる。
(H30. 3. 3 SB932SH撮影)
(H30. 3. 3 EOS40D撮影)
かつてお家で祭っていた雛壇飾りを町おこしに開放、見学できる地区イベントが多くなった。
不要になったコイノボリを纏めて揚げるのもその一つの好事例。
処分されることなく、再び日の目を見るイベント見たさに観光客が殺到するところも増えている。
その雛祭りに欠かせないのが御供のヒシモチである。
お家でなく神社行事にヒシモチを供えるところは多くない。
現状ではそうであるが、かつては三月節句に供えていたという証言もある。
今もこうした行事をしているところはないのか探してみる。
これまで拝見した奈良県内地域の数か所に、今もなお行事にヒシモチ御供をしている在所があった。
一つは宇陀市大宇陀野依の上巳の節句。
二つ目は山添村切幡の桃の節句。
三つ目に旧都祁村になる奈良市南之庄町の節句。
四つ目は桜井市瀧倉の節句である。
また、奈良県外になるが、京都府相楽郡笠置町切山の節句にも継承されていた。
他所でもありそうにも思えるのだが、神社の年中行事に節句そのもの行事名が見当たらない。
そこで探してみる節句のヒシモチ。
人から聞いたのか、それとも報告資料で知ったのかわからないが、宇陀市大宇陀の大字平尾の水分神社で行われているというメモがあった。
もしかとして3月3日。
世間が賑わいをみせる雛祭りの節句の日に訪れた水分神社。
境内は綺麗に掃除をされていたが、人の気配は感じない。
そうであれば度々訪れては行事、風習、訛り詞などを教えてくださるI家を訪ねるしかない。
そう思って進行の向きを替えた。
ご自宅前まで来たら、一輪車に採取した野菜を載せて運んでいる婦人が見えた。
手を振ったら気づかれた。
節句につきもののヒシモチの件を尋ねてみれば、今日は何もしていないという。
自転車に乗って一緒に戻ってきた孫娘を祝う雛壇飾りがある。
立ち寄ったのだから見て、と云われて座敷に上がらせてもらう。
玄関土間に飾ってあったミニの雛壇はチョコレート会社製。
この年の1月に発売されたばかりの飾れるチョコレートだそうだ。
座敷奥にあるのが本物の七段飾り。
ヒシモチは手間がかかるので、今年はしていないと申し訳なさそうに云われる。
また雛寿司に“かきまぜ“もしてたんやけど、今年は・・・。
“かきまぜ“って何、である。
婦人のS子さんが云うには“かきまぜ“は、ここらへんの訛り詞。
“五目ご飯”とか、“五目メシ”と呼ぶこともある“かきまぜ“は、ちらし寿司のことだった。
こういうお話をしてくださるのも嬉しい民俗語彙。
ありがたいことに、今年のトウヤに電話をしてくださる。
不在で確認はとれなかったが、トウヤさんは「4月になったらヒシモチをしようか」と云っていたそうだ。
Ⅰ家がトウヤを務める場合もヒシモチを作って神社に供えている、という。
そのヒシモチの形は2段。
土台のヒシモチはヨモギを混ぜて搗く。
ヒシモチは一段で、その上に丸い白餅をのせる。
トウヤでなくとも毎年の桃の節句に作って供えていたそうだが、今年はお菓子の雛霰。
高齢になれば少しずつ簡略化しているようだ。
ちなみに今年のトウヤさんは6月のチマキも供えるはずだと話してくれた。
これまではチマキも手造りであったが、今は和菓子屋が販売するチマキになるかもしれないが、トウヤが供えるだけなので、行事日は固定でなく、トウヤ都合の日にしているという。
供えるところを見たいと話したら、そのお願いをトウヤに連絡しておくから・・と。
平尾の集落戸数は30軒。
マツリに出仕される関係家は14軒に減ったという。
大トウ、小トウの二人が年中行事を支えるから、廻りは7年に一度になる。
(H30. 3. 3 SB932SH撮影)
(H30. 3. 3 EOS40D撮影)