5月3日は水口まつりの調査に天理市の和爾町や森本町を流離っていた。
付近は圃場が広がる田園地。
何カ所かに白い幌を被せた苗代田がある。
集落民家に近いところにもある。
念のためにと思って探してみたが、イロバナなどは見られない。
その近くに農小屋があった。
声がするので伺えば、隣の家は苗代を作って、明日にはイロバナを立てるという。
そう話す天理市の中之庄町の男性。
うちは明日に苗代をするという。
しかもだ。
煎った米を蕗の葉にのせて祭るというから色めいた。
中之庄町は京都二条家の荘園だった。
代々が宮家か宮司を務めていた。
昔は伊勢神宮との関係があった。
また、平安神宮の調書に柿本人麻呂の住居があったと記されているという由緒ある旧村。
集落中央に位置する場にある神社は天神社。
そこより東南の集落端にある小社は宇迦内入之大神(稲荷社)。
大和郡山市の稗田町の稗田神社の宮司が出仕されて祭祀を務めているそうだ。
さて、煎った米を蕗の葉にのせてイロバナを添えて奉るという苗代のまつり。
苗代田に水を入れ、逆に流す水口。
水苗代の育苗に必要な水を出し入れする口である。
その水口にイロバナを添えているなら水口まつりと称していいだろう。
予め、家でフライパンに入れた米を煎っておく。
これをイリゴメ(煎り米)と呼ぶ。
予めしておく訳は、苗代作りの作業に長靴を履くことである。
一旦、長靴を履いたら家には戻り難い。
イロバナを立ててイリゴメをするのは苗代作りの最後の工程になる。
いちいち戻ることが難しいので、先に準備しておくということだ。
ちなみにイリゴメの米は粳米でなく、糯米である。
籾種にする糯米をフライパンで煎ると爆ぜる。
爆ぜる米は飛び散る。
ばらばらに飛んでしまわないようにザルを伏せて抑えているそうだ。
弾けるというか、爆ぜる米である。
これを蕗の葉にのせて水口に祭る。
つまり田んぼの神さんに供えるのは糯米であった。
昔は、山に住む人が来た。
その人たちは苗取りをしていた。
その作業から“ナエトリサン”と呼んでいた。
ナエトリさんは束にした苗は水を湛えた田に投げていた。
田植えをしている人の前に投げて手にしやすくしていた。
その時代は直播きだったという。
このような話題を提供してくれたTさん。
中之庄町の集落から西になる旧村は森本町。
そこにある碑文は大峯山に33回も登った先達の記念碑だという。
さて、翌日の4日である。
苗代作りのすべてを終えてから水口まつりになるので昼前になる、と話してくれたが、苗代作りの一部始終を拝見したく朝一番に訪れた。
T家の育苗箱は170枚。
品種は粳米のヒノヒカリに糯米のアサヒモチである。
T家の苗代作りの場から少し離れたところにイロバナがあった。
白い幌を被せて苗代作りを終えた。
そのお家はモチゴメの御供はなかったが、アヤメやシャガ、コデマリなどのお花でイロバナをしていた。
先ずは均しておいた苗床にチョナワを張る。
チョナワは俗称であるが、農家の人はまず間違いなく田植え縄のことをチョナワ(※ミズナワと呼ぶ人もいる)と呼んでいる。
T家のチョナワ張りは苗床の縦に一筋。
苗床の中心ではなく端っこである。
これまで拝見した県内事例ではたいがいが中央であるが、T家のような端っこは事例的に少ないのかもしれない。
次の工程は穴開きシート置きである。
苗床際の側面を一直線に張ったチョナワを基点に穴開きシートを広げていく。
ロール状の穴開きシートを広げるには二人がかり。
腰を屈めて転がしてシートを伸ばす。
泥田の苗床だからぺちゃっ、とくっつく。
そんなことで外れないように端を抑えておく必要性もない。
くるくる回して少しずつ広げていく。
この日の苗代作りに応援する人がいる。
コウノトリが飛ぶ町として名高い兵庫県豊岡から駆け付けた娘婿さん。
孫さんも手伝う家族ならではの苗代作りはどことなく温かくてほのぼのする。
水口まつりはすべての作業を終えてされる豊作願いの行為。
それまでの工程をこうして拝見させていただくことに感謝する。
苗床が調えば農小屋に納めていた苗箱運びである。
何枚か重ねて運ぶ人海戦術もあるが、運ぶ距離が徐々に伸びていくから体力も余計に増えていく。
体力負担を避けるためには運搬機が要る。
その運搬機に運べる苗箱の量はしれている。
段数を数えてみれば3×6枚の18枚だ。
まずは近場から。
運搬車から取り出して抱えた苗箱は奥さんに手渡す。
基点のチョナワの線に沿って、一枚をまず苗床に置く。
次の苗箱も奥さんに手渡す。
奥さんは苗床の向こう側に立つご主人に手渡す。
ご主人はその位置で苗箱を下ろす。
その際、先に置いた苗箱の角を合わせて下ろす。
なるほどである。
こうして作業を繰り返していけば、張ったチョナワ線通りのぶれない苗箱置きができるというわけだ。
ただ、手渡す際に、どうしても中腰にならざるを得ない距離がなんとも辛い。
これまで各地で拝見してきた苗箱置き。
中腰が一番辛い。
腰を痛めていたご主人は、これがなんとも耐えられない作業だった。
運搬車のプレートに「Robin」の文字がある。
型番はEH12番。
型番はロビンエンジンであったが、キャタピラ駆動の運搬車はどこの製造会社だろうか。
名称もわからないので、
ロビンEH12エンジン搭載キャタピラ駆動運搬車と呼んでおこう。
徐々に運ぶ距離が伸びていく。
積みだし作業に運搬作業。
その間は腰かけて身体を休めるご主人。
そうしないとますます腰を痛めることになるから少しでも休憩しながらの作業である。
置き場に到着した苗箱はこれまでと同じように、一枚、一枚の手渡しでおいていく。
この日は青空が一面に広がる快晴日。
真っ青な空に白い雲がふわふわ移動する。
次の工程は風除け、鳥除けのトンネル覆い。
白い幌を被せるが、その前にしておきたいぐにゃっと曲がるポール立て。
一方を苗床すれすれの泥土に差し込む。
もう一方は曲げて同じように差し込む。
差し込みが浅いと外れる場合もあるから深く、ぐいと押し込むように挿す。
ご主人に、このポールの名前を尋ねたら、特に名称はなく、グラスファイバー製だという。
ただ、新品のグラスファイバーであれば、なんともないが、長年使って、古くなったポールは経年劣化に、ピッ、ピッと毛が立つ。
細かい毛がいっぱいあるから素手で掴んだら怪我をする。
棘が刺さったとなればたいへんなことだ。
そういうポールであるから取り扱い注意。
写真でもわかるように軍手ではなく、厚めのゴム手袋に履き替えて作業をしていた。
ポール立て作業にもう一つの道具が登場する。
写真でわかるようにポールを立てる位置に定規を充てて距離を一律にとっている。
定規は幅が同じ長さの板である。
ざっくりとした距離でなく正確に間隔をとりたいということである。
すべてのポール立てをし終えたころ。
向こうのハウスからトコトコ歩いてくる婦人がいた。
朝に出かけた婦人の畑。
農作業をしてちょっとした収穫野菜を持ち帰っていた婦人。
畑作業をするのもそうだが、こうして毎日動いているのがイチバンだと笑っていた。
T家のすぐ近くに住んでいると話していたご高齢の婦人。
昔はうちでもしていたが・・と。
そのころに娘さんがやってきた。
今から水口に立てるお花を採りにいくというからついていく。
実はイロバナにツツジの花を用意していたが、茎が短くて水を吸い上げることができなくて、花が萎れてしまった。
仕方ないからお花の採取にもう一度ということである。
ここ苗代の場からちょっと歩いて県営圃場整備事業竣工に合わせて造った農道にまで行く。
そこにあったT家の畑。
稲作は苗代の地でするが、野菜やお花などはここで栽培している。
向こうの山々は奈良市・旧五ケ谷村になる。
気持ちが良い天気の日の花摘みは矢車草に大きなボタンの花。
抱えるようにして戻ってきた。
その間にも作業は進展する。
先ほど立てたポールの上からゴツ目生地の白い幌を被せていく。
この日は無風状態。
風があれば幌の下に空気が入って幌は煽られる。
強風であればなんとも作業し難い状況であるが、本日は風がまったくない。
幌の縁を折りたたんだところに抑えのポールを立てる。
ぐいと押し込んで、それこそ抜けないように強く挿しこむ。
こうなると孫さんの出番がなくなる。
暇を持て余してスコップで掘り起こし作業。
さて、何をしているのだろうか。
幌のすべてを被せて、また風で飛ばされないように裾部分をしっかり押さえる。
抑えに使う道具は鉄棒。
それが見えないように幌の端に置いて、くるくる巻いた。
合計で170枚のヒノヒカリとアサヒモチのすべてを並べ終えた。
娘婿、孫にも手伝ってもらった苗代作りは目途がたった。
そろそろ始めますと云ってくれた奥さんの声に慌てて動く。
お家で煎ってきたモチゴメを蕗の葉にパラパラと落とす。
煎ったお米の形はまるでまるでポップコーン。
蕗の葉を優しく手で包んだ漏斗状態。
毀れないようにそこにパラパラ落とした。
粳米なら煎ってもここまで爆ぜない。
その点、糯米はフライパンで煎るだけでこのように爆ぜてくれる、という。
できあがった水苗代の水口に持っていく。
そこに娘さんが採ってきた矢車草とボタンの花を立てる。
爆ぜコメをのせた
蕗の葉を広げた。
これまで見てきたイロバナの中では一番豪勢なボタンの花が見事である。
水口まつりをする前から風が吹き始めていた。
立てたイロバナは風に煽られないが、軽い蕗の葉はすぐにめくれ上がる。
風がおさまったときの一瞬にシャッターを押す。
その様子を上空から見つめているカラスがいた。
人がいなくなれば降りて来て爆ぜたお米を喰うらしい。
その場を離れたら、すぐに飛んできてかっさらっていくから、この一瞬しか撮れない。
朝一番に撮っておいた隣の苗代。
お花だけになっていた理由はカラスの仕業であったろう。
(H29. 5. 4 EOS40D撮影)