モーリの切り絵を楽しむ!!

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我が半生その⑪ 出来る時に海外旅行へ!!

2013年04月17日 | 旅行
◆本業の機械装置に復帰(1984年.昭和59年)
住宅販売では自分の時間が取れない(息子との時間が取れない)ので、本業の機械装置メーカーに転職する。
東京丸の内にある、N自動車の部品組み立てなどの装置を製作納入しています。

こちらでは見積り・受注承認図面のやり取り・製作・立会・据え付け納入など全てをします。
機械は外注さんにお願いし、社内では電装のハードとソフト・組付け調整(デバッグ)を行います。

機械装置は受注してから納入まで3~6ヶ月掛ります。
自分はその納期管理・部品手配・電装のハード&ソフト・デバッグ・据え付け調整納入を担当します。

図面を出図するとある程度の時間が取れます。
そこで息子との関わりを深めようと親子3人で旅に出掛ける事に・・。

◆小さい時こそ外国に行こう!!
息子は脳性小児まひの後遺症で首も座らず、寝返りも出来ず・食べる事や喋る事もできません。
この頃は10歳ごろ16Kg位の小4年位ですが、新宿養護学校に通い・神楽坂に住んでいました。
学校の送迎バスの一番最後に乗る為、コースを調べて神楽坂に住みました(駅より徒歩1分・賃貸2DK)

息子が小さいので母親におぶわれて(負ぶり紐も手作り)出掛けました。
この時期に外国に行けるなら行こうと・・、息子は非日常が嬉しいと手足バタバタと大喜びします。
父親は普段仕事をしていると、家に戻ってせいぜいお風呂に入れる事や添い寝をして寝かせる位しか出来ない。

●1984年(昭和59年) グアムへ家族旅行!
 息子には初めての国外旅行!  1ドルが250円

●1985年(昭和60年) オーストラリア&ニュージランド   1ドルが210円
 オーストラリアでコアラを抱こう!  ニュージランドでは氷河の上を歩こう!!
 残念ながらコアラを抱く時は疲れて寝ていました、カンガルーを見に夜のツアーなどを楽しむ。




シドニー・メルボルンが綺麗な街で住みたいと思い移住条件を調べましたが、希望職種が無く断念。
フィリップ島でペンギンのパレードを見学する。
ニュージランドではマウンテンクック国立公園・クライストチャーチを見学する。

●1985年(昭和60年) シンガポール・マレーシア
マーライオンや植物園のランなどと食事を楽しむ・・。

●1986年(昭和61年) ナイアガラ瀑布とカナダ大陸横断鉄道  1ドル170円
ナイアガラまでの直行便も無く、乗り換えなどして26時間かかってやっとナイアガラへ・・。
ナイアガラ滝の後方の洞窟から物凄い量の水音に圧倒される。(ナイアガラのカナダ側に泊まる)
ナイアガラ瀑布葉アメリカからカナダへ流れ落ちるのでカナダ側から見るのが美しい。
大陸横断鉄道のコンパーメントは数が少ないので大人気、皆さんに譲ってもらい自分達親子が乗れました。
カナデアンロッキーをゆったりと進む横断鉄道はまるでノロノロと止ってる様、遠くに鹿などの動物と雄大なロッキー山脈を見ながら・・・。
バンフー国立公園の中を走り、バンクバーを目指す。
ビクトリアのブッチャードガーデンへは水上飛行機を初体験する。
バンクーバーで食べて寿司(サーモン)が一番の美味しかった?

●1987年(昭和62年) タイ・バンコックへ  1ドル130円
5月でしたが物凄く蒸し暑い街です・・。 36℃湿度70%と立ってるだけでも疲れます。
王宮やエメラルド寺院・チャイナタウン・ローズガーデン・水上マーケットなどを楽しみましたが、水の汚さにはビックリ。

●1987年(昭和62年) 香港・マカオ 
"北京ダッグ・100万ドルの夜景・黄大仙寺院・しんせんからマカオへ
"

●1987年(昭和62年) 台湾 
故宮博物館が見たくて台湾へ・・。  団体客が通り過ぎるのを待ってじっくりと見る事ができました。

●1988年(昭和63年) 中国へ  1ドル125円
西安シルクロード・兵馬俑・歴史博物館・華清池・広州・桂林(水墨画の世界)・上海・北京・紫禁城・故宮博物館などを訪ねる。
万里の長城を亥見たときには人間業とは思えない歴史の重みを肌で感じました。

息子も13歳と少しづつ大きくなり、背負っての移動も無理になりました。
中国への旅行が最後の海外旅行となりました。
4年間の間に12ケ国回る事ができました。
羽田では特別扱いで、バギーと身障者手帳1種1級で他の方々より先に飛行機に乗るため、リフト付きの特別車で案内される。
息子がこれが気に入り大喜び・・、益々海外旅行が好きになったようです。

海外ではその地の料理が出るので、母親が噛んで食べさせていましたが、母親も疲れてダウンする事も・・。
それでも旅を続けられたのはやはり母親の強さだと感心します。

仕事をしながら、これだけの海外旅行が出来た事は、会社や同僚さん達の手助けが有ったから・・と深謝です。
もう古い話しですから前後おかしな部分が有るやもしれませんがご容赦ください。
亡き息子のお陰でお天気神様が味方して、全行程雨にあう事は有りませんでした!
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