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我が半生その⑫ 息子は3歳から自分で稼ぐ??

2013年04月19日 | 日記
3歳で障害者手帳を発行して頂き、諸手当等を貰える様になりました。


美濃部都政以降福祉にお金を掛ける様になったおかげで、在宅の障害者等にも手当が多く出るようになりました・・。
子供本人分とその家族への障害手当・福祉手当・育成手当などです。
介護保険(2000年4月1日から実施)適用以前は成人後は子供本人へ支給される手当が約15万円/月程です。
この手当をどう使うかは各家庭で違いましたが、我が家ではそれは子供の為に使う事に決めていました。

海外旅行も息子に親が連れて行って貰う状態で、一緒に楽しんで来ました。
家庭によっては自分達の生活費に繰り込む家が多く有りました(奥さんが働けないので・・)。

先にも言いましたが、子供も母親も有る面で日常の生活に疲れています。
非日常(何処かに出掛ける・美味しい物を食べる)に憧れていますが、家族全員で出掛ける事に抵抗が有るようでした。

我が家では、息子に相談して何処に行きたいのか(国内か海外)? 何がしたいのか?(観劇・演奏会・美術展・サーカス等)
を確認して本人の希望で決めていました。

海外旅行は子供が小さい時に行かないと無理との判断で、息子に話すと納得したようです・・。
この後、経管栄養や酸素吸入になったので、早い時期に行って良かったです。

◆旅行は限られた場所にしか行かない。
大体行く場所が決まってしまうので、高1(1991年・15歳)の頃から全国の県に泊まろうを目標にしました。
どうせ行くのなら、全国の名勝・旧跡等を調べて、なるべくメジャ―な場所を組み込みながらの旅です。
この頃は新宿から板橋に引っ越しています(新宿養護は中学までしか無い)
板橋でも板橋養護学校のバスの順路を調べ、出来るだけ最後の方に乗車する様な場所に引っ越しました。(1988年)
国内の旅行は、車をワンボックスカー(エステマ ルシーダ)を購入し、息子は母親に抱かれて後部座席に、疲れると座席をフラットにして
寝て移動する様になりました・・。  勿論酸素吸入ですから、長旅の時は液体酸素を積んでボンベに小分けにしていました。
経管栄養の時は、移動中にエンシュアを入れてボトルを上部にぶら下げて、寝ながら入れて走行していました。
1回の旅行で3日から10日位の旅が多かったです。
車いすも分解でき、ストレッチャタイプの特製で、車に積んでの移動です。(最初はお手製の車いすから~オーダーメードに・・)
国内旅行は詳しくは又別途記載します。


◆会社の倒産
自分の仕事は1994年(平成6年)まで丸の内の会社に勤務していましたが、この頃はバブルの後で産業界の景気が悪く、自動車関連は
海外に多くの工場を建てるようになり、国内は絶不況の状態で、会社も倒産してしまいました。(国内の空洞化)

失業保険受給期間の間にCADの学校へ行き、CAD製図をマスターしました。
従来のドラフターによる手書きからPCによる図面管理へと急速に移行始める・・。


データを一度作れば手直しで、設計時間が大幅に短縮できる、図面の間違いも少なくなると・・?
実際にはそう簡単にPCによるCAD化は、企業の期待するほど大幅な時間短縮にはならなかった・・。

それでもCADの導入で、打ち合わせ時間が少なくなり、客先とデータのやり取りと電話で打ち合わせが出来る。
機械装置業界では建築で多く使用されていたAUTOCAD 2Dが主流でした。
この時期にCADを学んだお陰で自分の設計屋としての寿命が延びる事になりました・・。


もう毎日、PCの前に座り睨めっこです、一時慣れなくて肩がこり・目は疲れる事も有りました・・。
自分の座る椅子の高さやPCの画面の見る角度などの調整で慣れる事ができました。
1日10時間以上もPCの前に座ってるのですから、腰も悪くなり運動不足になりますが・・?
何とか慣れる事が出来、今が有ります。
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