吉良吉影は静かに暮らしたい

植物の心のような人生を・・・・、そんな平穏な生活こそ、わたしの目標なのです。

P.カレル『砂漠のキツネ』⑦(フジ出版社 / 昭和46年4月15日5版発行)

2018-08-02 06:09:42 | 紙の本を読みなよ 槙島聖護

(承前)

【北アフリカ全図】


7.マルサ・マトルーの戦い

 トブルク要塞を陥落させたロンメルは全軍に命令を下す。
 『アフリカ機甲軍の将兵よ!いまや敵を全滅させるべきときである。近日中に本官は、最終目標に達すべくもう一度諸君の努力を要求することになろう

 最終目標!それはナイルだった。

 当初の計画では、機甲軍はエジプト国境で停止し、海空軍戦力の準備が完成して、パラシュート部隊がマルタを占領するのを待つはずだった。ケッセルリングは当初の計画通りマルタ占領を待つべきだと主張したがロンメルがこれに反対(ムソリーニのマルタ攻略はいつ実現するというのか?)し、最後はヒトラーがロンメルを支持してナイル・デルタへの攻撃が決定された。

 ロンメルは焦っていた。 
 『英軍に時を与えたら、わが軍は撃破されよう。ケッセルリングがマルタと英海軍を制圧してくれたおかげで補給は良くなっているが、十分な兵力、ことに重資材はそれほど早く手に入らない・・・つまりわが軍は待ってはならない。つねに英軍の出鼻を挫かなくてはならない』・・・苦しい決断だった。

 しかし、ドイツ・アフリカ軍団の消耗は激しかった。


※マルサ・マトルーの戦いで見せたロンメルの大胆な作戦(1942年6月26日~27日)

 マルサ・マトルーの戦いで、ニュージーランド軍は山刀を振りまわすマオリ兵部隊を投入し凄まじい白兵戦となった。
 ドイツ軍は英軍を包囲しこの戦いに勝利したものの、いかんせんドイツ軍の兵力が少な過ぎたために、イギリス歩兵部隊主力を捕虜にすることはできず、包囲された英軍の大部分が脱出に成功するという結果を招いた。
 脱出した歩兵部隊は再編成され、アレクサンドリアを防衛する英軍最後の防衛線エル・アラメイン戦線に投入されてしまったのだ。

 戦いに勝利したロンメルはすぐさまドイツ軍に前進を命じる。
 『アレクサンドリアに入るまでは停止してはならん
 ドイツの勝利は間違いないもののように思えた。勝利に手が掛かっていたのである。アレクサンドリアとカイロが落ちれば、イギリスは世界帝国の座から滑り落ちる。シリア、イラク、ペルシアはドイツのものとなり、トルコもドイツ側につかざるをえなくなる。トルコが中東方面からのソ連侵攻への拠点となるのだ。
 いよいよカイロを占領し、名だたるシェファード・ホテルのバーで祝杯を挙げる日がきたのだ!


※アフリカ軍団のお荷物と言われたイタリア軍に待望の新型戦車が登場・・・M41型セモヴェンテ(自走砲)



 英軍はすでにナイル・デルタを諦めスーダン、パレスチナおよびイラクへの撤退準備に掛かっていた。
 ドイツ軍はアレクサンドリアまで約85キロの距離にまで迫り、カイロでは『ロンメル門前にあり!』との報が飛び交った。この言葉には、その昔『ハンニバル・アンテ・ポルタス!(ハンニバル門前にあり!)』と叫ばれたと同様の効果があった。
 カイロではアレクサンドリアから難を逃れてきた車で道路はごったがえしていた。
 駅では憲兵隊が拳銃を抜き、難民たちが列車に乗るのを阻止していた。イギリス人を先に逃がすために!

 (つづく)