見慣れない本ですが、これは古今の『戦争』について、兵站(へいたん)の側面から分析した本です。
兵站とは聞きなれない言葉ですが、英語でなら最近よく使われています。それが『ロジスティクス(一般には「物流」と訳されることが多いです)』という言葉です。
以前から私は疑問を抱いていました。軍隊の大きさについてよく『総勢30万の大軍勢』とか表現しますが『このヒトたちいったい何を食べていたンだろう?』って!
これはその疑問に答える本なのです!
※マーチン・ファン・クレフェルト『補給戦』中公文庫
1.戦争を変えた天才ナポレオン
近代化される前の軍隊は今のように糧食(レーション)を携行していませんでした。
食糧は専ら現地調達、すなわち『徴発』と呼ばれる略奪に頼っていました。
いってみれば巨大な野盗の群れのようなもので、進軍する地域の食糧を奪い、根こそぎ食い尽くしては次の土地へと進軍するのです。一定の土地に留まることはできず(食糧はスグに底を尽いてしまいます)進軍ルートはしばしば『どこに食糧があるのか』に左右されました。その結果『フラフラと本来の目的地ではない方向へと彷徨い歩く軍勢』が出来上がります。『食糧のない地域には基本的には進軍できない』のですから仕方がありません。
実際の戦闘はさておき『敵国に侵入して食糧を食い尽くし、敵の領土を疲弊させる』ことが戦争の最大の効果だった、というのです(そのため『自国から糧食を持って行く』という考えそのものが『ありえなかった』と)。
まるで飛蝗の群れのようではありませんか。
※作物を喰い荒らす飛蝗の群れ
16~17世紀においては城塞都市に対する包囲戦が主だったため、長引くと包囲している側が食糧不足になって撤退する例も多かったようです。
根本的な改革が行われたのはナポレオンの時代で、これ以降軍隊はビスケット口糧を携帯し、輜重隊が組織され、徴発は組織的に行われるようになったのです。敗戦とナポレオンの失脚によって文字通り反故になってしまったとはいうものの、徴発に対しては『領収証』が発行され、後に占領が進んだ場合には何らかの形で支払われる仕組みが成立したのもこの時代です。
ナポレオンによる改革は戦争の形態を包囲戦から会戦へと変化させ、これ以降、大軍勢が次々と進軍するスタイルが定着していきます。
ロシア遠征敗北の要因は『フランス軍が撤退するロシア軍を捕捉できず道路事情の極端に悪いロシアの奥地へと進軍してしまったことにある』とこの本では分析しています。
※アドルフ・ノーザン「ナポレオンのモスクワからの退却」
馬車は泥濘に嵌って動かず、たった1本の道を全軍が縦隊で進まなけらばならないようなロシアの奥地では徴発が繰り返され、後から進む部隊が通過する頃には『草も生えていない』状況になったというのです。
そして、この時代には(船を使うことができない地域では)馬車が主要な輸送手段であったことを忘れてはなりません。軍団は食糧よりも真っ先に『かいば』の不足に苦しんだのでした。
この問題の解決には鉄道という新しい交通手段の登場を待たねばならなかったのです。
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栓をしてから熱処理するのがポイントです。
(だが、缶切りを作るのは忘れたらしいw、別の記事では、例えば開拓民は、斧や銃で開けたと書いてあった)
http://sittoku-zatsugaku.com/bottled-and-canned/
缶詰の前の、瓶詰での実験は、なんかパスツールの白鳥型(首)フラスコの実験を思い出してしまった。
酸素を絶てば、中のスープが腐らないという。(ボツリヌス菌がいなくて幸い。)
次に期待。