昭和30年頃、茂平にもっとも人が集まる行事だった。
遊水池(外海に対して内海・うちうみと呼ばれていた)で汽水魚を獲る行事。
主にイナとボラを獲る。ウダと呼ばる釣鐘状の竹籠を使い捕獲していた、。他に投網もあったが入漁料が高額だった。
主催者は漁協であったが、戦後は消防団へ移行した。
当日は茂平の婦人会が売店を出していた。
入漁者は近辺のみならず府中や井原から自転車にウダを積んで毎年来ていた。勤め人が多かった。
よーいドンで、およそ数百人の参加者が一斉に内海に入る様は壮観だった。
毎年9月第一日曜日に開催していた。茂平を挟んだ日曜日、吉浜や野々浜でも開催していたようだが確信はない。
遊水池(外海に対して内海・うちうみと呼ばれていた)で汽水魚を獲る行事。
主にイナとボラを獲る。ウダと呼ばる釣鐘状の竹籠を使い捕獲していた、。他に投網もあったが入漁料が高額だった。
主催者は漁協であったが、戦後は消防団へ移行した。
当日は茂平の婦人会が売店を出していた。
入漁者は近辺のみならず府中や井原から自転車にウダを積んで毎年来ていた。勤め人が多かった。
よーいドンで、およそ数百人の参加者が一斉に内海に入る様は壮観だった。
毎年9月第一日曜日に開催していた。茂平を挟んだ日曜日、吉浜や野々浜でも開催していたようだが確信はない。