「岩波講座・日本歴史22」 岩波書店 1977年発行
皇族内閣の使命
昭和20年8月15日、天皇は東久邇宮稔彦王に組閣を命じた。
この非常時に際して首相たりうるのは天皇の名代として軍と国民に臨みうる人物でなくてはならなかった。
明治天皇の皇女を妃とし、現天皇の長女が配偶者の陸軍大将稔彦王はその最適任者だった。
彼は反東条和平論者であり、近衛文麿と気脈を通じ、かねてこの日のあることを期していた。
8月14日夜の陸軍省一部将校の宮城占拠事件はじめ横浜・水戸・厚木などで不穏な動きがあった。
いずれも占領軍上陸までには鎮静に帰した。
しかし膨大な軍需物資が秘密のうちに緊急処分され、当時の国家財政の1/4にあたる物資が闇に消えた。
「秩序の維持」にも内閣は成功した。
支配層のもっとも恐れた革命運動は気配さえもなかった。
GHQの最大の関心は当面軍事的武装解除にあり、ワシントンからの示達も遅れた。
9月15日と29日、マっカーサーは首相を引見して内閣信任の意思を表示し、27日には天皇の訪問を許した。
天皇がGHQに従属していること、その限りで存在が認められていることを内外に示した。
戦前の政党政治への復帰をもくろむ東久邇宮内閣は,GHQの民主化政策に耐えれずに10月5日総辞職した。
新首相には米英に信用の厚い幣原喜重郎が任命された。
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