(横浜港の沖仲仕をかっこよく演じたトニー・赤木圭一郎の「錆びた鎖」)
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陸でも海でも、荷積・荷降・集荷等の作業は21世紀の今でさえ、人の手で大半が行われている。
海の貨物船の場合は、
陸揚げのためには、艀(はしけ)を利用しないと積荷が陸に上がらなかった。
貨物船と艀の荷積・荷降をする仕事が”沖仲仕”。
船と陸の荷積・荷降をするのが”仲仕”。
それに加えて”浜仲仕”がいた。
たぶん、浜仲仕とは、沖仲仕と仲仕を兼ねた仕事だったのだろう。
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浜仲仕
笠岡市郷土館 県指定・有形民俗文化財・笠岡港の力石
(笠岡市郷土館の力石)
江戸時代から昭和初期にかけて、笠岡港は瀬戸内海における海運の重要な拠点として栄えていた。
港で物資を船に積み込んだり、荷揚げしたりする者は浜中仕と呼ばれ、
かなりの人数が笠岡港で働いていた。
彼らは東浜組と西浜組の二つのグループに分かれており、
最盛期には
東浜組が36人、
西浜組が20人くらいはいたようで、
それぞれ力自慢の者がそろっていた。
昭和58年8月4日指定 笠岡市教育委員会
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昭和の消えた仕事図鑑」 澤宮優 原書房 2016年発行
沖仲仕
貨物船と港の間で荷物の揚げ下ろし、運送する人。
昭和期の貨物船は荷物の揚げ下ろしに多くの肉体労働者を必要とした。
北九州市では「ゴンゾ」と呼ぶ。
船が港の近くに泊まると、船の倉庫から荷物を揚げて、艀(はしけ)と呼ばれる小船に乗せて陸に運んだ。
この作業を沖仲仕が行った。
陸上で荷物を待ち、艀から荷物を取り上げるのを陸仲仕と言った。
※浜仲仕とも
沖仲仕の特徴は、
問屋の主人と親方、子方など独特な関係で結ばれていた点である。
十数人で集団を組む。
大親分から小親分までピラミッド構造で、多くの下請けが作られていた。
沖仲仕の仕事は肉体的にも過酷で、しかも海上で行うため、危険を伴う。
高賃金ではあるが、明日の保障はない。
昭和40年代までは人による肉体労働が中心だったが、
港湾が整備され、大型コンテナ船が増えてくると、大型クレーンなど機械を操作する仕事に変わった。
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(火野葦平の「花と龍」)
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