ルーツな日記

ルーツっぽい音楽をルーズに語るブログ。
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マーク・リボー無声映画ライヴ「THE KID」@バウスシアター

2014-05-09 10:09:46 | フェス、イベント
これは映画なのか?それともライヴなのか?

5月5日、吉祥寺バウスシアターにて、マーク・リボー無声映画ライヴを観て参りました。こちらは惜しまれつつ閉館を迎えるバウスシアターの、最後の爆音映画祭のプログラムの一つで、ジョセフ・フォン・スタンバーグ「紐育の波止場」と、チャップリンの「キッド」という2つの無声映画に、鬼才マーク・リボーがギターのライヴ演奏を付けるというもの。私が観たのは「キッド」。

映画のバック・ミュージックと言ってしまえばそれまでですが、それがマーク・リボーによる生ギターとなれば、やはりただ事ではないのです。マーク・リボーと言えば、あらゆるアーティストのバック及び自身の作品において、ある種の歪さと繊細さを併せ持った唯一無比のプレイと、その独特な感性でルーツと前衛を横断し、音楽的冒険と探求を続けてきた個性派ギタリスト。その旅路の中には無声映画にインスパイアされ制作された「SILENT MOVIES」(2010年リリース)というアルバムもあり、そこには「The Kid」も収録されていました。

おそらくマーク・リボーの旺盛な好奇心の中でも、近年は無声映画に音楽をつけるという試みが一つのテーマとしてあるのではないでしょうか。アルバムでは4分程度だった「キッド」がいよいよライヴ音楽としておよそ1時間のフルヴァージョンとなる今回の無声映画ライヴは、そういう意味でも大変貴重なステージであり、しかも映画館で、映画の上映と共に行われるというスタイルは、この試みにおける一つの完成形と言えるでしょう。

さて、バウスシアターでの「キッド」。マーク・リボーはスクリーン向かって左側に腰掛ける。照明が落ち、映画のタイトルロールが映し出されるとほぼ同時に、マークの弾くアコースティック・ギターが繊細な音色を紡ぎだす。上映中、マークにスポットが当たることはいっさいありませんし、マークのプレイも、映画に新しい解釈を付け加えるような特別斬新なものではなく、あくまでも「キッド」に寄り添うよなうな佇まい。チャップリン特有のドタバタや、喜劇と悲劇が交差するスピーディーな展開を、マークのギターが鮮やかにそして哀愁たっぷりに描き出す。またそこかしこに散りばめられるマーク・リボーらしい音使いやフレージングも秀逸で、それはまるでチャップリンに内包されるある種の“毒”と共鳴するかの様。

私は最前列に陣取り、暗がりのマーク・リボーを必死に目を凝らして観ようとしていたのですが、始まってすぐに、いやこれは、映画を観なくてはいけないと悟りました。これは映画鑑賞なのか?それともライヴなのか?いや、これは両者が融合した一つのアートなのでしょう。およそ100年前に刻まれたフィルムに、目の前で新たな血を通わせる、静かなるライヴ・アート。それはいにしえの映画が持つ叙情性を見事に現代へ映し出し、そしてそのギターの音色は、我々鑑賞者を映画の世界にトリップさせる魔術のようでした。

終演後、マーク・リボーが中央へ歩み出る。場内は割れんばかりの拍手歓声。マークが舞台から去っても拍手は鳴り止まない。もう一度ステージに戻ってくるマーク。いつも通り、まったく飾り気のない佇まいながら、その拍手を全身で受け止め、応えるような仕草が印象的でした。


閉館間近の映画館バウスシアターで体験する、マークリボー無声映画ライヴ、素晴らしかったです。ちなみに私は、「キッド」という映画自体、今回初めて観ることになったのですが、映画として大変面白い作品でした。他のチャップリン映画も観てみたくなりましたね~。



MARC RIBOT / SILENT MOVIES
「The Kid」他13曲を収録した、ギター1本が奏でる物悲しくも幽玄の世界。イメジネーションを掻き立てられます。