MoiMoi。のココデハナイ ドコカ。               

「この世界には私が撮らなければ誰も見たことがないものがあるのだと信じています」by ダイアン・アーバス。   

今までで一番緊張した撮影の一つ。

2023-10-06 |  THAT's 文(雑文)

(写真はカナダグランプリで撮影。アイルトンセナはすでに表紙になっていたので、こーゆーupの写真は撮らなくていいですと言われたので撮ってない)

おそらく今までで一番緊張した撮影の一つは、筑波サーキットでの鈴木亜久里さんの密着かも。

亜久里さんはまだf-1行く前で、グループA(確か)にスカジで参戦。
何で緊張したかと言うと僕はレースカメラマンじゃないのでピットなど入った事なかったからレースカーがどんな感じでピットに戻ってきて、スタートするのか分からない。なのでピットの一番端でずーっと観察。

ロックなどのlive撮影していたので爆音には驚かなかったので、レースカメラマンの人達がしていた耳栓は必要なかったし、逆にしていると怖いかもと思っていた。

とにかくタイヤに水をぶっかけスタートする時、リアタイヤをスピンさせながら出ていくので轢かれたらどーしよーと思っていたので、車がピットに戻ってきたら邪魔にならないよーに端に逃げていたと思うが、この時、亜久里さんが優勝し写真が評価され、これ以降、鈴鹿や富士スピードウェイなどで開催されるF-3000全戦にカーレーサーなど撮影する為、通うよーになった。(当時、キグナスのキャンギャルに、まだ無名の飯島直子さんがいたが、この娘は必ず有名になると思った。理由は他のキャンギャルと違って楽しそーに仕事していたのとオーラを放っていたので)

1年目は毎回取材passをサーキットで申請していたが、2年目はレースに貢献しているのが認められ年間passがもらえたので日本のどこのサーキットにもフリーで入れた。(左上のf-1のpassは別だが)

基本カーレースを知らなかったので面白かったが僕みたいなレース部外者photgrapherは他にいなかったので珍しがられたのかレースカメラマン達から親切にされた。

撮影していて思ったのは、音楽と違って、もしかしたら死んじゃうかもしれないと言う事。
なのでレース場での撮影は常に緊張した。

僕が1年密着撮影する事になってた1人、村松栄紀は、当時一番f-1に近いレーサーとも言われていたが、富士スピードウェイでのタイヤテスト中、激突死。

 

家まで撮影に行き、僕のvolvo240を運転したいと言うので運転してもらいvolovoもよくなってるねと言ってくれた小川等さんもスポット参戦だった鈴鹿でのF3000のレースで事故って亡くなってしまった。

楽しい思い出、辛い思い出色々あったが、カーレース部外者カメラマンの僕を表紙撮影などの為、ベルギー、カナダのF-1まで連れて行ってくれたGPXには貴重な経験させてくれ今でも感謝している。
みんな元気かな?。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。