銀河後悔日誌、つぶやき

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わたしは生きていますか

2010-08-03 21:15:06 | 常用平易な日々
 一人暮らしの人間が、誰にも発見されずに亡くなっていたとしても、まあ、それは同居人がいないから致し方ないと考える。これは大物・小物(小物ってのもやな表現だが、大物じゃないとすればこうなる)問わず、一人で暮らしていれば、どの道避けられないことかも知れぬ。

 家族と同居しているご長寿の方が、実は何十年も前に亡くなっていたという。これを受けて、「長寿とされているが、実は直接確認していない」というケースが続々出て来た。


 さて、わたしたちは死んだらどうなるのだろう。一人暮らしで死んでいるのを発見された場合は、親族に知らされ、親族が諸手続きを行なうことになる。戸籍には「親族○○届出」と記載されることになるのだろう。事実、わたしは祖父の死亡届を出しに行ったが、祖父の戸籍に載っている人間ではないので、「親族」と書かれているはずだ。
 親族がいない場合は、誰かが代行することになるのだろう。身元が分かっているなら、その人間が死んだことは確認できる。仮令骨になっていたとしても、何らかの方法で特定されるだろう。
 もっとも悲惨なのは、誰か特定されない場合。身分を示すものが見当たらなければ、照合のしようがない。なので、「無縁仏」となってしまう。


 前に戸籍に関する仕事をしたことがある。そこには、生年月日が江戸時代の人がいた。生きていれば百数十歳になるはずで、当然生きているわけがない。しかし、明治に入って全ての日本人の戸籍が作られ、戦後民法が変わって夫婦とその子供から成る戸籍に作り変えられ、その段階でも生きていたかどうかは分からないが、死亡が届けられずにそのまま戸籍は“生きて”いて、今日(といっても数年前だが)まで残っている。
 今の世の中に残っているのは明らかに不自然だから、今は除籍の手続きが取られているのだろう。そういう機会でもない限り、なかなか戸籍を抹消する手続きは取りづらい。


 今回の事件(?)は、死んでいる家族の死亡を届け出なかったことから始まる。死んでいなければ年金が支給され続け、配偶者が亡くなれば遺族年金が支給され、百歳は今はまだそれほどいないので各市町村はお祝いをし、段々と先輩が減って行って、いつの間にか自治体一のご長寿となっていく。今回発覚しなければ、“長寿日本一。ただし本人の意向で氏名非公開”などとなっていたのだろう。
 そういえば、前に長寿のリストで匿名があった。<やましいことがなければ公開できるはず>と思っていたが、そういう理由があったのか。


 今回は長寿者について、である。しかし、ご老人でなくても、実際にその人間が生きているのかどうか、本人なのかどうか。それは分からない。親しい友人が本人なのか、名前を騙っているのかどうか。いや、わたしがわたし自身である保証はない。物心付く前に別の人間と入れ替わっていたとしても、わたしが覚えていなければ、確認のしようがないではないか。


 まあ、とりあえず、今のところわたしはわたしということにしておきたい。

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