コメント
 
 
 
身につまされました (どんこ)
2007-02-22 17:34:35
淡々と客観的な記述だけに余計リアルティに富んでいます。一編の短編小説を読み終わったような気持ちになりました。

何よりの13年忌の供養になったと思います。浄土からきっとmomoさんたち姉妹に微笑みを送っていらっしゃいますよ。

私は父の50年忌、母の17年忌を先年済ませました。母は心筋梗塞で倒れ、意識があったのは1週間ばかりで、脳梗塞を併発し言葉を残すこともなく逝ってしまいました。
間もなく姉も肺ガンで後を追うように亡くなりました。


 
 
 
どんこさんへ (momomama)
2007-02-22 17:53:34
どんこさん 有難うございます。元気のいい私も
ちょっと色々思い出してしまいました。

今 コカリナで”千の風になって”を習っています。
どんこさんのお父さま お母さま お姉さま
そして私の父も母もモモも みんな 風になって
大空を吹き渡っていたらいいですね。

 
 
 
Unknown (ならやま)
2007-02-22 20:05:08
感慨深いお話です。いつの日にか私にも
やってくることだからでしょうね。
今はまだ、母と言いたいことを言い合っていますが
必ずやってくる日、どんなに愛していても
ついていけない、子供をつれてもいけない
ひとりで未知の世界に旅立っていく時の
恐怖や心細さ、いつか自分もそうなるのですが・・・
その恐怖をやわらげるために、何が出来るのでしょうか。ふと考えさせるmomomamaサンのお話でした。
 
 
 
根無し草になった気が・・・ (momomama)
2007-02-22 21:37:58
「もう血を採らないで下さい。」
「体重はを量るのに体を動かさないで下さい。。。。」って言えば良かった。

「子供の勝手で呼吸器つけて苦しめるのをやめて」
って言えば良かった。

そう思うんです。とても怖いですよ。
根無し草になった気がしました。

 
 
 
思い出しました (りあら)
2007-02-23 09:25:01
10年前、1月に父方の、2月に実家で飼っていた犬、3月に母方の祖母が亡くなりました。

母方の祖母は、よくかわいがってもらっていたので、「もう長くない」と分かっていても、祖母の亡骸を目にしたときは、弟と棺にすがりついて泣きました。

3年前、夫の叔母が、交通事故で亡くなりました。
突然の死は、とてもつらかった・・・。
後に義妹が「叔母が、車に引かれそうと思ったのか、車体には手形が残っていたよ。この瞬間、何を考えていたのかと思うと、胸が詰まる」と。

いずれ「死」はやってくるし、絶対に避けられない。

私は、亡くなった人達に恥じないように、精一杯生きていく・・・それこそ、風になった人達は、見ているだろうから。
 
 
 
申し訳ない (はまちゃん)
2007-02-23 12:00:15
偶然にも2/22は、私も父の命日でした。
40数年前に亡くなり、私は前日まで、蔵王へスキーと樹氷見物に出掛け、それすらも忘れるほど親不孝なドラ息子です。
それに比べれば、momomamaさん姉妹に見守られたお母さんはとっても幸せの日々を過ごされたと思いまよ。
「ただ産んだだけ」ではなく、最も大切なことを教えて、旅立たれことをコメントから感じました。
親に申し訳ない気持で、これからお参りに行って来ます。

 
 
 
じいちゃんばあちゃん (智子)
2007-02-23 15:22:03
には私も特別な思いがあります。何もしてあげれないままお別れになってしまいました。ただただ愛してもらったような気がします。今でもよく夢に出てきてくれます
 
 
 
りあらさんへ (momomama)
2007-02-23 17:13:15
10年前の続けざまのご不幸も
3年前の不慮の事故も切なかったでしょうね。
事故の瞬間・・・本当にお気の毒で言葉がありません。

私は、亡くなった人達に恥じないように、精一杯生きていく・・・法事よりも墓参りよりもきっと1番のご供養ですよ。

それから折にふれて思い出すことも大事ですよね。

 
 
 
はまちゃんへ (momomama)
2007-02-23 17:19:04
親に申し訳ない気持で、これからお参りに行って来ます。
・・・・そう思っていただいて嬉しいです。
お若くて亡くなられたんですね。
私は父が76で、母が74で他界しました。
早すぎると思いましたが。。。。

母は50歳頃に難病(筋ジス)にかかったんですが 受け容れるおおらかさを持っていました。
 
 
 
智子へ (momomama)
2007-02-23 17:27:07
あなたのばあちゃんはこんなふうにして逝きました。
あなたがその前の月に、(H7.1.17)神戸で大震災に罹災したのを知り、お金を渡してっていいました。


あなたが就学前 埼玉に住んでいた時
小包にじいちゃんからも ばあちゃんからも 
こっそり入れて欲しいと100円玉を50個筒にしたのを渡されました。
いったい誰にナイショだったんかな。。。。

今でもきっと風になって守っています。
 
 
 
幸せです (智子)
2007-02-23 18:25:16
  まだ元気な両親、そして大事な大事な叔母であり親友であるmomomamaさん。 私とどちらが先かはわからないけど必ず来る永遠の別れ・・怖くてたまりません。  じいちゃんばあちゃんには今でもしっかり守ってくれているのがはっきりわかります。つらく大変な時に必ず夢に出てきてくれるのです   じいちゃんにひとつ注文!夢の中でたまーに頭に三角の布をつけています。バリバリ生きてるのにですよ?大好きな人だけど少し怖い あれできたら外して会いに来て欲しいなー
 
 
 
大変でしたね (yama)
2007-02-23 18:31:10
yamaです

大変でしたね、最後までつい読ませてもらいました
男性、であろうと女性であろうと母親への思いは
変わりありませんよ。涙、涙でした。

私も母親とのお別れのときは思い出したくも
ありません。涙、涙ですよ!

例の書類は気にしないで下さい。
 そのまま・・・・・

 
 
 
智子へ (momomama)
2007-02-23 18:58:44
智子のじいちゃんが他界したのは 智子が高校入学直後でしたね。(S63)
あの当時は ホントに頭に三角の白布してたから印象に残ったんでしょうね。

決して化けて出ないから 白のバンダナと思ったらかわいいよ。。。。。。という私も
 
 
 
yamaさんへ (momomama)
2007-02-23 19:04:27
だらだらと書いた文章を読んで頂き 
有難うございます。

人間 皆 母親から生まれてますからね。
私はホントのこというと父親の方が相性がよかったんです。
でもやっぱり母は母です。。。。 

今日が会社でしたので 書類はできていません。
でも間に合わせますから ご心配なく・・・・。
 
 
 
Unknown (芳順)
2007-02-24 19:34:20
ときどき考えます。
百歳になったら、もしかすると
「もういつ死んでもいい」
と言える境地に達することができるかも、と。
無理でしょうか。
 
 
 
芳順さんへ (momomama)
2007-02-24 21:34:59
私は死ぬのが怖いです。
だからいつも100歳って言ってます。
少なくとも私はそれでもまだイヤダと言っていそうです。

父は恍惚の世界でしたから、恐れず幸せそうでした。
私が毎日もって行くお菓子を美味しそうに食べていました。
看護婦さんから止められてましたが
いっぱい いっぱい食べさせた事だけ・・・それだけがよかったと思います。

私は生きている今 大事にしたいと思います。

 
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