コメント
白蓮の部屋
(
一美
)
2007-10-30 23:20:44
二階に上がる階段の角度、急でした。
私には、二階の部屋が牢のように思えました。
自由に動けず、知らない人ばかり。頼るは旦那さんばかり、でもでも好きではなかった。
窓から見える月を見ては、望郷の思いばかりだったのではと思いました。
春に行った時は、白蓮ゆかりのお雛様を見る事ができました。お雛様の衣装すばらしいものでした。
牢のように思えました
(
momomama
)
2007-10-31 07:10:34
一美さん。
まさしく牢でしょう。。。。
階段の終わりごろ 部屋に掃きだし口じゃない小窓(?)がありましたね。
多分 あそこから物を受け渡しと言うか置いていたのかな。。。
お雛様見たかったな。。今回は 洋服がありました。
長女の蕗子さんから借りたそうです。
先日 来られたそうです。
年月が過ぎ わだかまりなく両家が交流できる...
。。。。。。。。。。
そうです
(
どんこ
)
2007-10-31 07:31:16
白蓮は荒尾に縁のある人です。
荒尾駅から南へ、さほど離れていない所に宮崎兄弟記念館があります。
是非こちらへもおいでになってください。ご案内しますよ。今の館長はうちの近くのYと言う方です。
私の中学時代の英語の先生は宮崎家の縁の方でした。もう故人となられました。
今は取り壊された孫文記念館に住んでおられました。
以前滔天を演じた文学座の公演(北村和夫主演)があった折はご存命でしたが・・・。
炭鉱王
(
縄文人
)
2007-10-31 07:59:03
この写真を見て2つ疑問を抱いた
1、
何故このような大邸宅、何で財を築いたか?
2、
白蓮は何故離縁したのか・・・?
検索した
1は、九州の炭鉱王だったのですか。
豪邸に立派な庭、まだまだ見るべきところが奥深くあるのでしょう。
2は、
伝右衛門は妾(めかけ)を囲い演奏会で音をたて、せんべいをかじるような男。合う訳がない。白蓮は赤銅御殿で短歌に没頭し夫への恨みを詠む。
ライトアップ、御殿が理解できました。
ご案内しますよ
(
momomama
)
2007-10-31 08:05:49
どんこさん。
有難うございます。うれしいなぁ。。
文学おじさん(いい言葉を知りません)の、どんこさんに
案内して頂く...即座に白蓮贔屓に戻りました。
リンクさせている前回の記事にどんこさんから頂いた
コメントにもあって改めて拝見しましたよ。。
>英語の先生は宮崎家の縁の方...やはり荒尾ですね。
行きたいなぁ。。
九州の炭鉱王
(
momomama
)
2007-10-31 08:21:58
縄文人さん。
大昔の話じゃないですからね。
公開離縁状のことはこの辺の人は知ってますね。
小説もありますし私は 三行半ミクダリハン と言う言葉それで覚えましたよ。
>まだまだ見るべきところが
お茶室の水屋 応接間のマントルピースと石炭いれ等
大正時代のものに昭和になってからのものが建て増しされてました。
白蓮
(
鹿児島の自然と食
)
2007-10-31 10:20:13
白蓮のこと、朝日新聞土曜版の愛の旅人で読みました。
炭鉱王に嫁ぎ、東大生の宮崎竜介と駆け落ちし、新聞に絶縁状を掲載した「白蓮事件」。その後、歌人として生きるのですね。
筑豊地方には炭鉱関係の史跡も多いのでしょうね。
筑豊炭鉱といえば「青春の門」ですね。
小説を読み、映画も見ました。
大竹しのぶの体当たりの演技が印象に残っています。
愛の旅人
(
momomama
)
2007-10-31 11:55:57
(鹿児島の自然と食)の管理人さん。
とてもいい言葉ですね。
私は大正時代の我儘でおおらかな女性の小説が
好きでした。退廃的なイメージも好きです。
でも、いつの時代でも、その時々には人の数だけの
違った生き方があったんですね。
炭鉱関係...そうですね。あまりにも好景気だったので
成金に結びつくことがありますが
落盤事故も多かったし、じん肺なども悲惨ですね。
母校が・・・
(
りあら
)
2007-10-31 14:17:40
私の母校(嘉穂東高校)は、伊藤伝右衛門が建設費用及び経費寄付をしたことで有名です。
地元でありながら、なかなか足を運ばないので、なんとか今年中には行ってみたいな・・・と思っています。
この記事の写真、文章と相まって・・。
とても、物悲しく見えます・・・
時を超え、両家の子孫が手を取り合っている写真を見たときは、じーんときました。
時を超え、両家の子孫が
(
momomama
)
2007-10-31 15:25:08
りあらさん。
蕗子さん(白蓮の長女)からお借りしました。という
後年白蓮が袖を通した洋服が展示してあるのをみてそう思いました。
その服はボディーに掛けてあって部屋や庭園を
見下ろせる感じ。。。
真っ暗だったから行かなかったけど 遠賀川沿いに
歌碑が出来ています。
蕗子さんは2日前にきましたと言ってました。
おはようございます
(
みのり
)
2007-11-01 06:48:35
余談でふれてあった田中角栄さん遺族などの訪問は、中国の指導者の律儀な面を見ますね。
田中さんは後年、ロッキード疑惑で名を馳せたけど中国にとっては友好条約の署名首相ですからね。
律儀な面を見ますね
(
momomama
)
2007-11-01 18:48:44
みのりさん。
こんばんは。
京都の嵐山に行った時
周恩来の詩を刻んだ碑がありました。
雨が似合う と言うような。。
私が行った時雨の日でしたが 雨降りには
中国の方が来られるという事でした。
巨大な国だから 悪い人の数も多いけど
律儀な人も 天才も 優しい人の数も多いんですね。
伝右衛門を擁護します。
(
大好調
)
2008-11-01 10:36:39
この世に生まれて、奮闘努力した結果、社会的に成功し、社会に貢献する。これはなかなか出来ることではなく立派です。ただ少々文化的でなかったようですが、それがいったいどれほどの欠点なのでしょうか。白蓮は寛容ではありませんね。一度離婚して再び戻った挙句に若い大学生と駆け落ちするなんて言語道断です。そのうえ自分が書いた一方的な離縁状を公開するなんて売名行為以外の何ものでもありません。品性の厭らしさを感じます。歌碑の短歌ですが、自分の今までの越し方(過去の人生)を反省しないのですから自分の見えない哀れな人です。伝上門へのすまなかったという気持ちが籠められていたならば良かったと思います。辛口でした。
文化的でなかった
(
momomama
)
2008-11-01 11:54:50
大好調さん。
だんだん。
決して欠点ではないと思います。
お金持ちが長所でないのと同じく。。。
じゃないと私自身も困ります。
それに写真を見たんですが 能をやったり
とっても努力したと思うんです。
ただぽつんとひとりの女性として見た時
哀れです。公開離縁状じゃなく駆け落ちすれば
おかったのに・・・
へえー!
(
柴田かほり
)
2015-03-03 13:41:37
伝右衛門を中に使用人兼愛人と川の字で寝かされりゃ白蓮ならずとも嫌だっただろう。気の弱い人なら死にたくなるかも。しかも母親が側室の立場だから柳原家からの結婚しろとの話には逆らえるわけもない、正室の子でさえNOなんて言えなかった時代だから。彼女のような文化人との交流をしていた人には辟易した筈。35年前に飯塚に嫁いだ方が何年も文化果つる所よ、本屋も少なく頼んでもなかなか読めないの。言葉も荒いしとこぼしておられた所ですから。もう昔語りになりましたが。
柴田かほり様
(
momomama
)
2015-03-03 16:07:14
こんにちは。 コメントありがとうございます。
田舎大好きのおばさんが、その時に思ったことを書いています。
言葉足らずの所があったり 不適切な表現があるかもしれません。
至らぬところは お許しくださいね。
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私には、二階の部屋が牢のように思えました。
自由に動けず、知らない人ばかり。頼るは旦那さんばかり、でもでも好きではなかった。
窓から見える月を見ては、望郷の思いばかりだったのではと思いました。
春に行った時は、白蓮ゆかりのお雛様を見る事ができました。お雛様の衣装すばらしいものでした。
まさしく牢でしょう。。。。
階段の終わりごろ 部屋に掃きだし口じゃない小窓(?)がありましたね。
多分 あそこから物を受け渡しと言うか置いていたのかな。。。
お雛様見たかったな。。今回は 洋服がありました。
長女の蕗子さんから借りたそうです。
先日 来られたそうです。
年月が過ぎ わだかまりなく両家が交流できる...
。。。。。。。。。。
荒尾駅から南へ、さほど離れていない所に宮崎兄弟記念館があります。
是非こちらへもおいでになってください。ご案内しますよ。今の館長はうちの近くのYと言う方です。
私の中学時代の英語の先生は宮崎家の縁の方でした。もう故人となられました。
今は取り壊された孫文記念館に住んでおられました。
以前滔天を演じた文学座の公演(北村和夫主演)があった折はご存命でしたが・・・。
1、
何故このような大邸宅、何で財を築いたか?
2、
白蓮は何故離縁したのか・・・?
検索した
1は、九州の炭鉱王だったのですか。
豪邸に立派な庭、まだまだ見るべきところが奥深くあるのでしょう。
2は、
伝右衛門は妾(めかけ)を囲い演奏会で音をたて、せんべいをかじるような男。合う訳がない。白蓮は赤銅御殿で短歌に没頭し夫への恨みを詠む。
ライトアップ、御殿が理解できました。
有難うございます。うれしいなぁ。。
文学おじさん(いい言葉を知りません)の、どんこさんに
案内して頂く...即座に白蓮贔屓に戻りました。
リンクさせている前回の記事にどんこさんから頂いた
コメントにもあって改めて拝見しましたよ。。
>英語の先生は宮崎家の縁の方...やはり荒尾ですね。
行きたいなぁ。。
大昔の話じゃないですからね。
公開離縁状のことはこの辺の人は知ってますね。
小説もありますし私は 三行半ミクダリハン と言う言葉それで覚えましたよ。
>まだまだ見るべきところが
お茶室の水屋 応接間のマントルピースと石炭いれ等
大正時代のものに昭和になってからのものが建て増しされてました。
炭鉱王に嫁ぎ、東大生の宮崎竜介と駆け落ちし、新聞に絶縁状を掲載した「白蓮事件」。その後、歌人として生きるのですね。
筑豊地方には炭鉱関係の史跡も多いのでしょうね。
筑豊炭鉱といえば「青春の門」ですね。
小説を読み、映画も見ました。
大竹しのぶの体当たりの演技が印象に残っています。
とてもいい言葉ですね。
私は大正時代の我儘でおおらかな女性の小説が
好きでした。退廃的なイメージも好きです。
でも、いつの時代でも、その時々には人の数だけの
違った生き方があったんですね。
炭鉱関係...そうですね。あまりにも好景気だったので
成金に結びつくことがありますが
落盤事故も多かったし、じん肺なども悲惨ですね。
地元でありながら、なかなか足を運ばないので、なんとか今年中には行ってみたいな・・・と思っています。
この記事の写真、文章と相まって・・。
とても、物悲しく見えます・・・
時を超え、両家の子孫が手を取り合っている写真を見たときは、じーんときました。
蕗子さん(白蓮の長女)からお借りしました。という
後年白蓮が袖を通した洋服が展示してあるのをみてそう思いました。
その服はボディーに掛けてあって部屋や庭園を
見下ろせる感じ。。。
真っ暗だったから行かなかったけど 遠賀川沿いに
歌碑が出来ています。
蕗子さんは2日前にきましたと言ってました。
田中さんは後年、ロッキード疑惑で名を馳せたけど中国にとっては友好条約の署名首相ですからね。
こんばんは。
京都の嵐山に行った時
周恩来の詩を刻んだ碑がありました。
雨が似合う と言うような。。
私が行った時雨の日でしたが 雨降りには
中国の方が来られるという事でした。
巨大な国だから 悪い人の数も多いけど
律儀な人も 天才も 優しい人の数も多いんですね。
だんだん。
決して欠点ではないと思います。
お金持ちが長所でないのと同じく。。。
じゃないと私自身も困ります。
それに写真を見たんですが 能をやったり
とっても努力したと思うんです。
ただぽつんとひとりの女性として見た時
哀れです。公開離縁状じゃなく駆け落ちすれば
おかったのに・・・
田舎大好きのおばさんが、その時に思ったことを書いています。
言葉足らずの所があったり 不適切な表現があるかもしれません。
至らぬところは お許しくださいね。