コメント
実にいい雰囲気が漂って
(
縄文人
)
2009-03-05 09:44:05
岡城・・・?・・・?と、ちょいとピンとこなかった。
立派な城跡、佇まい、よき第一印象と首をひねりながら眺めさせてもらいました。
そうだったんですか・・・・!!あの竹田、あの荒城の月、あの滝さん・廉ちゃん・・・いわゆる竹田城でありましたか。
行ったことは有りませんが名前だけは小学校のころから。
荒城の月の詩を片手の持ちながら
語彙の一つ一つを検証するように歩かれたらまた雰囲気もヒートアップすることでしょう。
いま改めて一言一句を詠ませてもらいましたが、この言葉通りの景色や物体が石垣・眺め・登る道すがら・草木・建物・・・・・から詠みとれることしきりでありましょう。
それにしましても栄枯盛衰朽ち果てても
石垣の凛としている威容に感服です。
坂の上の石垣
(
頃南
)
2009-03-05 10:11:54
ずいぶんていねいにご欄になったようです。
滝廉太郎の像がありました?
10年前に一人で行きましたがたいして思い出がありませんorz
しいていえば「荒城の月」の大音声と長い坂道くらいです。
郷愁
(
rumisyann
)
2009-03-05 10:31:24
2,3年前に行きましたので、まだ記憶に新しく
本当に懐かしく思いました。
確か桜の木も沢山有りましたね。
私は秋で、大きな栗の木があり、拾って帰えり
栗ご飯しました。
水琴窟
(
chiro
)
2009-03-05 15:14:48
以前行ったときは、団体で行ったので、こんなに詳しくは見ませんでした。
最初の写真は見覚えがありますが、天井絵などは見ませんでした。
近戸門跡の石垣はすばらしいですね。
西洋のお城を思わせます。
梅と池の組み合わせも素敵です。
天然水琴窟の音、聞いてみたいです。
城を出た道路の脇に、荒城の月の音符があったのを覚えています。
詳しい岡城址の紹介、ありがとうございます。
言葉通りの景色
(
momomama
)
2009-03-06 09:01:05
縄文人さん。
おはようございます。
詩碑は頂上なんですが 歌いましたよ。
天上影は替らねど 栄枯は移る世の姿
写さんとてか今もなおああ 荒城の夜半の月
仰る通り 自分の知っている歳月でも
栄枯盛衰みていますからね。
人が大勢いる所もなんだか安心感があっていいけど
誰もいないところは、又それなりにいいですね。
ずいぶんていねいに
(
momomama
)
2009-03-06 09:27:09
頃南さん。
おはようございます。
全部回ったのは3度目にして初めてでした。
石垣が好きで 石橋よりも前に
お城を回りたいと思ったこともあります。
でも 路銀が
かかりすぎます。
栗ご飯
(
momomama
)
2009-03-06 09:33:09
rumisyan
おはようございます。
まぁ 栗ご飯にするほどあったんですね。
桜の名所ですね。
今年も 何の心配もなく去年のように
歌うように弾んで桜を観られるでしょうか。。rumisyan...
西洋のお城
(
momomama
)
2009-03-06 09:41:10
chiroさん。
鹿児島の史跡でも(chiroさんご紹介の・・)時々
思いましたが、そんな雰囲気もありますね。
私の妄想(?)の中で 西洋のお城では牢屋を
思い出すんですが「牢屋跡」はなかったですね。
>梅と池の組み合わせも・・・
写真の大きさが問題なんですが 実は池じゃなく
岩陰の水溜りなんですよ。畳1畳分くらい。
そこに上のしだなどに溜まっていた雨露が落ちるんです。
水が濁って下が見えないけど 全く水琴窟の音でした。
おととい
(
まじゅ
)
2009-03-06 18:55:57
テレビで岡城址が紹介されました。
滝廉太郎がここを舞台に荒城の月を作曲したとありました。
本当にイメージぴったり。
でもどちらかというとピッタリのイメージは歌詞のほうかな。
ものすごい石垣ですね。
この石垣を手作業で組んだ人の素晴らしいこと。
お城も秀吉に「もっとも堅固な城」と言われたらしいですから、そうとう立派だったのでしょうが。
城跡の石垣
(
大好調
)
2009-03-06 20:14:44
岡城と聞いても分かりませんでしたが、竹田城と言われてもやはり分かりません。
chiroさんが書かれていたように、岡城址を見ているうちに私もフランスのお城を見ているような感覚になりました。
お城がなく石垣だけなので一層そう感じました。この背景があればこそ「荒城の月」の詩が生きてくるのでしょう。
残念ながら・・・
(
momomama
)
2009-03-06 21:36:32
まじゅさん。
テレビ知りませんでした。。
雨上がりの石垣は それは美しく
“石垣日和”でしたよ。
本丸跡 とか西の丸跡 とか書いてあって
どんなお姫様がいたかなぁなど想像しました。
家老 とか 普請方 とか 賄い所も出てきましたよ。
月の出るころ行きたいなぁ~。。
「荒城の月」
(
momomama
)
2009-03-06 21:43:29
大好調さん。
何にもない 人影もまばらな(会った人5人といない)道を歩きながら
石碑を見るたびに想像しました。
野鳥の声が聞こえるくらいで静かです。
白梅 紅梅 山椿の花が咲いていました。
桜の頃に行ったことがないけど
季節はずれのほうが しっとりしてよかったです。
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立派な城跡、佇まい、よき第一印象と首をひねりながら眺めさせてもらいました。
そうだったんですか・・・・!!あの竹田、あの荒城の月、あの滝さん・廉ちゃん・・・いわゆる竹田城でありましたか。
行ったことは有りませんが名前だけは小学校のころから。
荒城の月の詩を片手の持ちながら
語彙の一つ一つを検証するように歩かれたらまた雰囲気もヒートアップすることでしょう。
いま改めて一言一句を詠ませてもらいましたが、この言葉通りの景色や物体が石垣・眺め・登る道すがら・草木・建物・・・・・から詠みとれることしきりでありましょう。
それにしましても栄枯盛衰朽ち果てても
石垣の凛としている威容に感服です。
滝廉太郎の像がありました?
10年前に一人で行きましたがたいして思い出がありませんorz
しいていえば「荒城の月」の大音声と長い坂道くらいです。
本当に懐かしく思いました。
確か桜の木も沢山有りましたね。
私は秋で、大きな栗の木があり、拾って帰えり
栗ご飯しました。
最初の写真は見覚えがありますが、天井絵などは見ませんでした。
近戸門跡の石垣はすばらしいですね。
西洋のお城を思わせます。
梅と池の組み合わせも素敵です。
天然水琴窟の音、聞いてみたいです。
城を出た道路の脇に、荒城の月の音符があったのを覚えています。
詳しい岡城址の紹介、ありがとうございます。
おはようございます。
詩碑は頂上なんですが 歌いましたよ。
天上影は替らねど 栄枯は移る世の姿
写さんとてか今もなおああ 荒城の夜半の月
仰る通り 自分の知っている歳月でも
栄枯盛衰みていますからね。
人が大勢いる所もなんだか安心感があっていいけど
誰もいないところは、又それなりにいいですね。
おはようございます。
全部回ったのは3度目にして初めてでした。
石垣が好きで 石橋よりも前に
お城を回りたいと思ったこともあります。
でも 路銀がかかりすぎます。
おはようございます。
まぁ 栗ご飯にするほどあったんですね。
桜の名所ですね。
今年も 何の心配もなく去年のように
歌うように弾んで桜を観られるでしょうか。。rumisyan...
鹿児島の史跡でも(chiroさんご紹介の・・)時々
思いましたが、そんな雰囲気もありますね。
私の妄想(?)の中で 西洋のお城では牢屋を
思い出すんですが「牢屋跡」はなかったですね。
>梅と池の組み合わせも・・・
写真の大きさが問題なんですが 実は池じゃなく
岩陰の水溜りなんですよ。畳1畳分くらい。
そこに上のしだなどに溜まっていた雨露が落ちるんです。
水が濁って下が見えないけど 全く水琴窟の音でした。
滝廉太郎がここを舞台に荒城の月を作曲したとありました。
本当にイメージぴったり。
でもどちらかというとピッタリのイメージは歌詞のほうかな。
ものすごい石垣ですね。
この石垣を手作業で組んだ人の素晴らしいこと。
お城も秀吉に「もっとも堅固な城」と言われたらしいですから、そうとう立派だったのでしょうが。
テレビ知りませんでした。。
雨上がりの石垣は それは美しく
“石垣日和”でしたよ。
本丸跡 とか西の丸跡 とか書いてあって
どんなお姫様がいたかなぁなど想像しました。
家老 とか 普請方 とか 賄い所も出てきましたよ。
月の出るころ行きたいなぁ~。。
何にもない 人影もまばらな(会った人5人といない)道を歩きながら
石碑を見るたびに想像しました。
野鳥の声が聞こえるくらいで静かです。
白梅 紅梅 山椿の花が咲いていました。
桜の頃に行ったことがないけど
季節はずれのほうが しっとりしてよかったです。