コメント
懐かしい風景だね
(
俺だよ
)
2007-10-16 19:58:42
その赤い電車は地方の沿線?
JRには見ない模様だと思うからさ。
でものどかな風景…
九州では普通に見る景色かも知れんけど
安心して居眠りしそうな景色、
俺にも、
母親がいたことを思い出しました。
電車は地方の沿線
(
momomama
)
2007-10-16 20:20:18
あびさん。大牟田行きもありますよ。
ここは鹿児島本線。。。
>安心して居眠りしそうな景色
そう。。そんな なんてことない風景です。
姉妹で歩きながら 私達にもいた母の事を
話します。
母の甘酒を飲みたいなぁと思います。
忘れもの
(
俺だよん
)
2007-10-16 21:06:07
以前に『ファチマの聖母』は、検索したら1930年
だったとかコメントをくれたでしょう?
1930年代ならば違うよね
『ガラバンダル』ってスペインの小さな村に
聖母の降臨がありました。
確かヤシンタ、コンチータ、あとひとりは忘れました。
でもガラバンダルとも違うかも・・・
スペインの小さな村でのことだとは思うのですが。
虹色に回転する太陽、
なんの記事で読んだのだろう?
私は初めて聞いた言葉で
(
momomama
)
2007-10-16 21:22:30
あびさん。
検索して見つけたんです。
http://www2n.biglobe.ne.jp/~jysuzuki/fatima10.htm
聖母降臨
(
ぼくだよーーーん
)
2007-10-16 23:19:29
1961年から1965年にかけてスペインのガラバンダルという小さな村で聖母の御出現があり、驚くべきメッセージがありました。御出現を受けたのは、マリ・クルス(当時11歳)、マリ・ローリ(当時12歳)、ヤシンタ(当時12歳)、コンチータ(当時12歳)の4人。(当時とは、1961年の御出現の時の年齢)4人は、1961年6月18日に天使の御出現を受けた。そして、7月2日に聖母の御出現を初めて受けました。その後1965年まで聖母の御出現が続きました。ここで、聖母マリアのメッセージを紹介していきたいと思います。
(注:なお、ガラバンダルの御出現は、教会に公認されていませんが、そのメッセージが他の御出現と比べて非常に強烈で重要なため、あえて紹介します。)
(B)第1のメッセージ:1961年10月18日付:4名のサイン
(1)たくさんの犠牲と償いをしなければならない。
(2)聖体訪問をもっと度々しなければならない。(御聖体の安置されている聖堂に行き、そこで祈ること。)
(3)しかし、それより先に、非常に善人とならなければならない。
(4)杯は、もう溢れようとしている。もし、改心しないなら、大きな罰がやってくる。(人々があまりにたくさん罪を犯すので神の忍耐は限界が来ている。)
(C)第2のメッセージ:1965年6月18日付:コンチータ
(1)多くの司祭、司教、カルジナル(枢機卿)たちは、亡びの道をあゆんでいて、多くの人の霊魂を共に亡びへと導いています。(地獄に落ちること。)
(2)御聖体は、ますます無視されています。
(3)人類の上に迫っている神のおん憤りを避けるように、大きな努力を払わねばなりません。
(4)もし、素直な心で、許しを願うなら、神はお許しになります。
(5)あなたたちの母である私は、聖ミカエルを通じて、「心を改めなさい。」とすすめます。これは、もはや最後の忠告です。
(6)あなたたちを、これほど愛していればこそ、私は、あなたたちが亡ぶのを望みません。
(7)素直な心で祈りなさい。私は、願いを聞き入れるつもりですから。
(8)あなたたちは、もっと犠牲をささげなければなりません。
(9)特にイエズスのご受難を黙想しなさい。
(D)聖母の忠告:
コンチータは、「聖母の忠告」について次のように説明を書きました。
「それは、罰のようなもので、これによって、よい人をより神に近づけ、他の人に忠告を与えるためです。この忠告が、具体的にどんなものであるかを、私は打ち明けることが出来ません。聖母は、それを打ち明けるようにおっしゃりませんでしたし、また、これ以上は言いませんでしたから。神は、この忠告によって、私たちが心を改めて、もうこれ以上神に対する罪を犯さないように望んでおられます。」
「もし、(「忠告」によって)私たちが死ぬようなことが起きたら、それは忠告そのもののためではなくて、かえって、その忠告を見てうける私たちのショックのためでしょう。」
「もし、この「忠告」の後にくるもう一つの天罰を私が知らなかったら、この「忠告」より大きな罰はないでしょうと言いたいほどです。この忠告が実現するとき全世界は、恐れおののくでしょう。でも、すべてのカトリック者(ここでは、神の恵みのうちにいるカトリック者のこと。)は、他の人よりも、あきらめて、これを堪え忍ぶでしょう。この忠告と呼ばれる天罰は、短い間(これは瞬間的なことではなくて、私たちが、それを神の正義によるものであると悟るだけの充分な時間。)続くだけで終わりましょう。
(1)忠告は神から直接くるもの:忠告は、直接神からくるもので、人々は、どこにいても、全世界の至る所で、それが見えるでしょう。それは、私たち一人一人に、内的に自分の犯した罪が示されるかのように感じます。これを感じるのは信仰のあるなしによらず、また、すべての国民が感じます。その忠告は、奇跡によって行われる清めのようなもので、あるときは、大災害となって訪れ、死んだ人たちのことをうらやましくさえ思わせるのです。つまり、私たちは、忠告のときに生きるよりも、死んでいたほうが良かったと考えるでしょう。
(2)忠告は、とても恐ろしいもの:忠告は、とても恐ろしいものです。地震の千倍も恐ろしいです。火のようなものでしょう。その火は、私たちの肉の体を焼くことはありませんが、私たちは、それを肉体的にも内的にも感じるのです。感じない人は一人もいないので、普段神を信じなかった人も、その時は、神に対する恐怖を感じるでしょう。それを見ないために自分の部屋に閉じこもっても、窓を閉めても、何にもなりません。容赦なく、見せつけられますし、感じさせられます。
とても恐いにちがいありませんが、でも、忠告の後で、あなたは、今までよりもっと深く神様を愛するようになられるでしょう。
(3)いつ来るかわかりません:いつか恐ろしい大災害の日がやってくるでしょう。それは世界中のどこにもです。このために、これを免れ得る人は一人もいません。そのとき善人はいっそう神に近づくようになり、そうでない人は悔い改めるチャンスが与えられます。来るはずのこの忠告は、これを5分間耐えるよりも、死んだ方が良いと思うほどです。(実際は5分よりずっと長いと思われる。)
(4)私たちの罪次第:この忠告は、私たちの罪のためにくる恐ろしいものです。
私たちが、罪でどれほど神を侮辱しているかを考えてみようともしません。聖母はこうおしゃいました。「すべての人が、天国と地獄のあることは知っています。でも、それを考えるのは、神を愛するからではなくて、地獄に落ちるのが恐いという理由のためです。」と。忠告がどんなものになるかは、私たちの罪次第です。私たちは、人が神に加える侮辱を償うために、この忠告を耐えることにしましょう。
(5)マリー・ローリの答え:
私は、その正確な日付を知りません。私が知っているのは、忠告のある年号だけです。
その時になれば、すべてのモーターと、機械が停止するだろうと聖母が預言なさった。
忠告に対する準備は、何よりも、償いをすることです。犠牲をすることです。そして、出来る限り、毎日聖体訪問をし、ロザリオを毎日欠かさずにとなえることです。
(6)ヤシンタの説明:
神は、全ての人の救いをお望みになりますから、この忠告はすべての人のために行われるのです。忠告の目的は、ここにあります。すなわち、私たちを神に近づけ、信仰を深めることです。それで、この目的のためにも準備しなければなりません。それにしても、この忠告を、恐怖の心で待ってはなりません。なぜなら、神はこれを私たちを恐れさせようとしてなさるのではなく、かえって、ご自分の正義と愛を示すためになさるからです。
(E)神の愛の偉大な奇跡:
4人の少女に聖母はこの忠告があってから、まもなく大きな奇跡のあることを知らせました。
(その日付をコンチータに示されましたが、その日付を知らせる許可は、その大奇跡のある8日前です。)
その奇跡が行われる時期は、3月から5月の間で、ある木曜日の午後8時半ごろ。それは、教会のある事件と同じ時にあたり、殉教者である聖人の日にあたる。
それは、神の愛の奇跡でしょう。これによって、神がどれほど人類を愛しておられるかを、誰も疑うことのできないような方法で明らかに示されるでしょう。(その時、病人は癒され、罪人は改心するでしょう。)
(F)忠告に対する準備
(1)悔い改めて、告白(告解)するように。
(2)神の掟を守るように。
(3)毎日15分ほど聖書を読むように。
(4)毎日、ご聖体をいただき、ロザリオを15連唱えるように。そして、ロザリオをいつもポケットに持ち、不思議のメダイ、スカプラリオや十字架などを身につけ、家の中に聖水や聖像を置き、玄関の外に十字架を置くなどする。
あびさんへ。
(
momomama
)
2007-10-17 07:29:22
おはようございます。
私は宗派は別として仏教徒なんですがそれはおいといて。。。
この長いコメントを情熱を持って書いてくださった事に
感謝します。
元・乙女の散歩
(
どんこ
)
2007-10-17 09:11:35
おばさんの散歩などとは思っていても口には出せません(笑)。
いいですね。仲の良い姉妹で、話題も秋の七草等豊かで優雅です。
あの
兄弟とは月とスッポンほどの開きがあります。(比較すること自体失礼とは思いつつ。。)
天然うなぎは美味しいだろうなあ、でも養殖物より高いぞなどと現実的で、無粋な想像力を働かせているどんこです。
月とスッポン
(
momomama
)
2007-10-17 09:32:22
どんこさん。
ヤッター!!
普通は自分を月の方と思いませんが
と すっぽんは 似てますからね。
妹はスポーツ(観る)全般好きなんですが
その試合の後 主語もなく唐突に話し出します。
昨日も電話で まだ言ってました。
うなぎ獲りは目印のところで舟をぐっと傾けて
仕掛けてあったのを引き上げてました。
半分くらいはかかっていて私が写真を撮っていると
「違う川で獲ったって言って(魚屋さんに)卸すんかも知れん。写真撮るのを見つからんように・・・」
どんこさん 元乙女は どちらも小心者なんですよ。。
縄文の目ーーーー駄洒落
(
縄文人
)
2007-10-17 09:50:38
ワラビ目
鷺目
石橋目
も一つあるよ、縄文の目
散歩とウオーキングの違い
速さから行ったら散歩〔三歩〕<ウオーキング
しばらくいくと線路が有りました。
鉄路は・・つなぎ目
道路は升目が交差点
人生の節目、7・5・3
お祝いの準備でも致しましょう。
散歩とウオーキングの違い
(
momomama
)
2007-10-17 10:08:26
縄文人さん。
たしかに。。。
寄り道したり振り返ったり・・・
立ち止まったり転んだり
まっ! 私の人生 散歩です。
ウオーキングは似合いません。
>お祝いの準備でも・・・
縄文人さん。。。忘れ物です。
これがなくっちゃ。。でしょう?
遠賀川
(
鹿児島の自然と食
)
2007-10-17 12:53:51
遠賀川を拝見しました。
川めぐり、いいですね~。
福岡県は、福岡市、北九州市(門司港、平尾台など)、柳川市に行ったことがありますが、遠賀川は知りません。
私も川や池、滝などを訪ねています。
水のある風景を見るとほっとしますね。
遠賀川は知りません
(
momomama
)
2007-10-17 13:18:25
鹿児島の自然と美の管理人さん。
残念ながら 水澄んで・・には程遠い川です。
でも身近な、校歌に出てくる川です。
源流に行く間に色んな川が合流してきます。
甲突川は(石橋ファンの)私の思いの中に
壊されなくていい橋が壊されたとの思いがあります。
源流への旅、たくさんのお写真を楽しみにしています。
川はいつも厳しさとおおらかさを感じます。
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JRには見ない模様だと思うからさ。
でものどかな風景…
九州では普通に見る景色かも知れんけど
安心して居眠りしそうな景色、
俺にも、
母親がいたことを思い出しました。
ここは鹿児島本線。。。
>安心して居眠りしそうな景色
そう。。そんな なんてことない風景です。
姉妹で歩きながら 私達にもいた母の事を
話します。
母の甘酒を飲みたいなぁと思います。
以前に『ファチマの聖母』は、検索したら1930年
だったとかコメントをくれたでしょう?
1930年代ならば違うよね
『ガラバンダル』ってスペインの小さな村に
聖母の降臨がありました。
確かヤシンタ、コンチータ、あとひとりは忘れました。
でもガラバンダルとも違うかも・・・
スペインの小さな村でのことだとは思うのですが。
虹色に回転する太陽、
なんの記事で読んだのだろう?
検索して見つけたんです。
http://www2n.biglobe.ne.jp/~jysuzuki/fatima10.htm
(注:なお、ガラバンダルの御出現は、教会に公認されていませんが、そのメッセージが他の御出現と比べて非常に強烈で重要なため、あえて紹介します。)
(B)第1のメッセージ:1961年10月18日付:4名のサイン
(1)たくさんの犠牲と償いをしなければならない。
(2)聖体訪問をもっと度々しなければならない。(御聖体の安置されている聖堂に行き、そこで祈ること。)
(3)しかし、それより先に、非常に善人とならなければならない。
(4)杯は、もう溢れようとしている。もし、改心しないなら、大きな罰がやってくる。(人々があまりにたくさん罪を犯すので神の忍耐は限界が来ている。)
(C)第2のメッセージ:1965年6月18日付:コンチータ
(1)多くの司祭、司教、カルジナル(枢機卿)たちは、亡びの道をあゆんでいて、多くの人の霊魂を共に亡びへと導いています。(地獄に落ちること。)
(2)御聖体は、ますます無視されています。
(3)人類の上に迫っている神のおん憤りを避けるように、大きな努力を払わねばなりません。
(4)もし、素直な心で、許しを願うなら、神はお許しになります。
(5)あなたたちの母である私は、聖ミカエルを通じて、「心を改めなさい。」とすすめます。これは、もはや最後の忠告です。
(6)あなたたちを、これほど愛していればこそ、私は、あなたたちが亡ぶのを望みません。
(7)素直な心で祈りなさい。私は、願いを聞き入れるつもりですから。
(8)あなたたちは、もっと犠牲をささげなければなりません。
(9)特にイエズスのご受難を黙想しなさい。
(D)聖母の忠告:
コンチータは、「聖母の忠告」について次のように説明を書きました。
「それは、罰のようなもので、これによって、よい人をより神に近づけ、他の人に忠告を与えるためです。この忠告が、具体的にどんなものであるかを、私は打ち明けることが出来ません。聖母は、それを打ち明けるようにおっしゃりませんでしたし、また、これ以上は言いませんでしたから。神は、この忠告によって、私たちが心を改めて、もうこれ以上神に対する罪を犯さないように望んでおられます。」
「もし、(「忠告」によって)私たちが死ぬようなことが起きたら、それは忠告そのもののためではなくて、かえって、その忠告を見てうける私たちのショックのためでしょう。」
「もし、この「忠告」の後にくるもう一つの天罰を私が知らなかったら、この「忠告」より大きな罰はないでしょうと言いたいほどです。この忠告が実現するとき全世界は、恐れおののくでしょう。でも、すべてのカトリック者(ここでは、神の恵みのうちにいるカトリック者のこと。)は、他の人よりも、あきらめて、これを堪え忍ぶでしょう。この忠告と呼ばれる天罰は、短い間(これは瞬間的なことではなくて、私たちが、それを神の正義によるものであると悟るだけの充分な時間。)続くだけで終わりましょう。
(1)忠告は神から直接くるもの:忠告は、直接神からくるもので、人々は、どこにいても、全世界の至る所で、それが見えるでしょう。それは、私たち一人一人に、内的に自分の犯した罪が示されるかのように感じます。これを感じるのは信仰のあるなしによらず、また、すべての国民が感じます。その忠告は、奇跡によって行われる清めのようなもので、あるときは、大災害となって訪れ、死んだ人たちのことをうらやましくさえ思わせるのです。つまり、私たちは、忠告のときに生きるよりも、死んでいたほうが良かったと考えるでしょう。
(2)忠告は、とても恐ろしいもの:忠告は、とても恐ろしいものです。地震の千倍も恐ろしいです。火のようなものでしょう。その火は、私たちの肉の体を焼くことはありませんが、私たちは、それを肉体的にも内的にも感じるのです。感じない人は一人もいないので、普段神を信じなかった人も、その時は、神に対する恐怖を感じるでしょう。それを見ないために自分の部屋に閉じこもっても、窓を閉めても、何にもなりません。容赦なく、見せつけられますし、感じさせられます。
とても恐いにちがいありませんが、でも、忠告の後で、あなたは、今までよりもっと深く神様を愛するようになられるでしょう。
(3)いつ来るかわかりません:いつか恐ろしい大災害の日がやってくるでしょう。それは世界中のどこにもです。このために、これを免れ得る人は一人もいません。そのとき善人はいっそう神に近づくようになり、そうでない人は悔い改めるチャンスが与えられます。来るはずのこの忠告は、これを5分間耐えるよりも、死んだ方が良いと思うほどです。(実際は5分よりずっと長いと思われる。)
(4)私たちの罪次第:この忠告は、私たちの罪のためにくる恐ろしいものです。
私たちが、罪でどれほど神を侮辱しているかを考えてみようともしません。聖母はこうおしゃいました。「すべての人が、天国と地獄のあることは知っています。でも、それを考えるのは、神を愛するからではなくて、地獄に落ちるのが恐いという理由のためです。」と。忠告がどんなものになるかは、私たちの罪次第です。私たちは、人が神に加える侮辱を償うために、この忠告を耐えることにしましょう。
(5)マリー・ローリの答え:
私は、その正確な日付を知りません。私が知っているのは、忠告のある年号だけです。
その時になれば、すべてのモーターと、機械が停止するだろうと聖母が預言なさった。
忠告に対する準備は、何よりも、償いをすることです。犠牲をすることです。そして、出来る限り、毎日聖体訪問をし、ロザリオを毎日欠かさずにとなえることです。
(6)ヤシンタの説明:
神は、全ての人の救いをお望みになりますから、この忠告はすべての人のために行われるのです。忠告の目的は、ここにあります。すなわち、私たちを神に近づけ、信仰を深めることです。それで、この目的のためにも準備しなければなりません。それにしても、この忠告を、恐怖の心で待ってはなりません。なぜなら、神はこれを私たちを恐れさせようとしてなさるのではなく、かえって、ご自分の正義と愛を示すためになさるからです。
(E)神の愛の偉大な奇跡:
4人の少女に聖母はこの忠告があってから、まもなく大きな奇跡のあることを知らせました。
(その日付をコンチータに示されましたが、その日付を知らせる許可は、その大奇跡のある8日前です。)
その奇跡が行われる時期は、3月から5月の間で、ある木曜日の午後8時半ごろ。それは、教会のある事件と同じ時にあたり、殉教者である聖人の日にあたる。
それは、神の愛の奇跡でしょう。これによって、神がどれほど人類を愛しておられるかを、誰も疑うことのできないような方法で明らかに示されるでしょう。(その時、病人は癒され、罪人は改心するでしょう。)
(F)忠告に対する準備
(1)悔い改めて、告白(告解)するように。
(2)神の掟を守るように。
(3)毎日15分ほど聖書を読むように。
(4)毎日、ご聖体をいただき、ロザリオを15連唱えるように。そして、ロザリオをいつもポケットに持ち、不思議のメダイ、スカプラリオや十字架などを身につけ、家の中に聖水や聖像を置き、玄関の外に十字架を置くなどする。
私は宗派は別として仏教徒なんですがそれはおいといて。。。
この長いコメントを情熱を持って書いてくださった事に
感謝します。
いいですね。仲の良い姉妹で、話題も秋の七草等豊かで優雅です。
あの兄弟とは月とスッポンほどの開きがあります。(比較すること自体失礼とは思いつつ。。)
天然うなぎは美味しいだろうなあ、でも養殖物より高いぞなどと現実的で、無粋な想像力を働かせているどんこです。
ヤッター!!
普通は自分を月の方と思いませんが
と すっぽんは 似てますからね。
妹はスポーツ(観る)全般好きなんですが
その試合の後 主語もなく唐突に話し出します。
昨日も電話で まだ言ってました。
うなぎ獲りは目印のところで舟をぐっと傾けて
仕掛けてあったのを引き上げてました。
半分くらいはかかっていて私が写真を撮っていると
「違う川で獲ったって言って(魚屋さんに)卸すんかも知れん。写真撮るのを見つからんように・・・」
どんこさん 元乙女は どちらも小心者なんですよ。。
鷺目
石橋目
も一つあるよ、縄文の目
散歩とウオーキングの違い
速さから行ったら散歩〔三歩〕<ウオーキング
しばらくいくと線路が有りました。
鉄路は・・つなぎ目
道路は升目が交差点
人生の節目、7・5・3
お祝いの準備でも致しましょう。
たしかに。。。
寄り道したり振り返ったり・・・
立ち止まったり転んだり
まっ! 私の人生 散歩です。
ウオーキングは似合いません。
>お祝いの準備でも・・・
縄文人さん。。。忘れ物です。
これがなくっちゃ。。でしょう?
川めぐり、いいですね~。
福岡県は、福岡市、北九州市(門司港、平尾台など)、柳川市に行ったことがありますが、遠賀川は知りません。
私も川や池、滝などを訪ねています。
水のある風景を見るとほっとしますね。
残念ながら 水澄んで・・には程遠い川です。
でも身近な、校歌に出てくる川です。
源流に行く間に色んな川が合流してきます。
甲突川は(石橋ファンの)私の思いの中に
壊されなくていい橋が壊されたとの思いがあります。
源流への旅、たくさんのお写真を楽しみにしています。
川はいつも厳しさとおおらかさを感じます。