コメント
パソコン仲間で行かれたんですね!
(
石橋進です
)
2016-08-25 07:31:35
鹿児島の知覧でも、近くの太刀洗でも、記念館では、胸が詰まりますね
戦争を知らない世代が親になり、戦争を生き抜いた私たちの親の世代は、どんどん少なくなっていきます
戦没者の、慰霊祭でも家族の参加者が妻
子
から、孫へと当事者の少ない時代へと推移してきています
義父が、戦傷者でしたので、語り継いで欲しかったのですが、当時のことは話したくないと
あまり口にすることはありませんでしたが、片腕で、黙々と、彫刻を習ったり、書道に打ち込んだり、と素晴らしい作品が沢山残っています
93の義母が、最近、だれにも話さなかったが、お前にだけは話しておく
と、戦時の聞かされた話を、とつとつと聞かされています
今の豊かな時代では、考えられなかった「生き方』ですが、命を懸けた生き方であり、残された家族もまた「ただひたすらに生きて帰れと祈った』時代で、誰のせいだとか、ではなく、ただひたすらに現状を受け入れた時代だったんだと・・・
長くなってすみません
義母の話で、1冊書けそうな我が家の話で、朝から失礼しました
Unknown
(
どんこ
)
2016-08-25 08:49:50
是非行ってみたいですね。
まだ鹿屋へも行く機会がありません。
戦時中、男の子は
若い血潮の予科練の七つボタンは桜に碇~
に心をときめかせていました。
その年齢が合致していればどんこなどすぐに志願していたでしょうね。
だれでもが軍事教育で洗脳されていましたからね。
大刀洗町の学校はランチルーム(全校児童が一堂に会して給食を食べる部屋)の先進地で
まだ現役の頃、視察に行ったことがあります。
その頃はまだ、平和記念館は建設されていず、
個人の方が施設を建てられたと、いう話をチラと聞いたような記憶があります。
おはようございます
(
yuu
)
2016-08-25 10:48:57
ほんとうに~ほんとうに胸が痛くなりますね
子供を持つ親として15歳で特攻隊員にとられると
気が狂いそう~悲しいですよ。
お国のためとは言えねぇ~
あどけない飛行服の少年の顏とあの実行力は
結び付かないです。
パソコンのお仲間さんたちと良い時間が過ごされて
良かったねえ~
そうそう~お母様は邪魔なんていもいませんよ(*^^)v
今日は良いお天気になりました。
片道切符
(
縄文人
)
2016-08-25 17:10:51
イヤイヤ・・・・!!!
すばらしいところに行ってきました。
前々から行きたいとは思っていましたが、なかなかオイソレ!と行くことはできません。なんせ、九州ですから。
神風特攻隊が乗った飛行機も見られるのは素晴らしいですが
泣かされるのが、隊員の遺書だそうです。
◎帰らぬのに、「お父さんお母さん行って参ります」
◎母上、お許し下さい。さぞ、寂しかったでしょう。
今こそ、大声で呼ばせていただきます。
お母さん、お母さん、お母さん。
検索しました。
読んで涙が止まりません。軍国主義、人間を無視した特攻隊員。
http://matome.naver.jp/odai/2139011002097080301
お義母様のお話し
(
momomama
)
2016-08-25 17:19:13
石橋進さん しっかり聴いて書き留めておいて
家族だけの記録として残せたらいいですね。
私達も親の事をなんでも知っている叔父が亡くなったことを今日知りました。
この歳になると知らないうちに
10人9人8人になって 7人6人・・・・少しずつ減っていきます。
大刀洗 初めてだったけど ホント胸が詰まりました。
私もびっくり
(
chiro
)
2016-08-25 17:23:37
大刀洗平和記念館、知りませんでした。
しかも、知覧は大刀洗陸軍飛行学校の分校の一つだったというのには、私もびっくりです。
知覧の特攻平和会館には、何回か行きました。
特攻隊員の手紙は、涙なしには読めません。
それに、若い人の割に、しっかりした字ばかりです。
今の高校生くらいの人もいたでしょうね。
こういう施設は、多くの人に訪れてほしいですね。
小さくって・・・
(
momomama
)
2016-08-25 17:31:01
どんこさん こんにちは。
戦闘機はホントに小さくて・・・涙が出ました。
よく死刑囚のドラマで 監守の足音に震えてる場面がありますが・・
特攻隊員はマインドコントロールされて
家族を守れるように・・国を守れるようにと
こんな小さなゼロ戦に乗ったんですね。
教育って怖いですね。
煌々の学食で 無邪気な少年たちを見て
よそのお子さんですけど 戦争に行かなくていいように・・・って祈らずにいられませんでした。
母親
(
momomama
)
2016-08-25 18:04:55
yuuさん こんにちは。
展示してある大きな写真で 息子は前に大きく(屋外)
その奥の室内から少し戸を開けて 息子を見ている母親の写真があって
本当に胸を突かれました。
ホント気が狂いそうよね。。。
>お母様は邪魔なんていもいませんよ(*^^)v
そうよね~ 罰が当たるね。 ありがとう。。
遺書は本当に涙なしには見られんよ~
遺書
(
momomama
)
2016-08-25 18:16:57
縄文人さん こんばんは。
写真の遺書
御両親様 鉄三喜びて忠孝の道を致し一足先に旅立候儀
平にお許し下され宅願い上げ候・・
こんなの上官がチェックしたんでしょうね。
鹿児島県には 知覧があって そこは特攻隊が実際に
飛び立っていたから もっともっと色んな資料や展示があります。
http://blog.goo.ne.jp/momo606_2005/e/97fc9de2863c4e33f4b3942415f0336d
こうなったら縄文人さん 九州にいらっしゃいませんか?
きっとどんこさんがご案内なさるでしょう・・
もちろん私も行きますよ~
飛び立つのは・・・
(
momomama
)
2016-08-25 18:23:59
chiroさん こんばんは。
知覧からで 大刀洗は学校だったのかな?
私は知覧にも行きましたが規模が違います。
たった70年くらいなのに なぜこんなことができたんでしょうね。
>それに、若い人の割に、しっかりした字ばかりです。
・・ですよね~
特にすぐそのあとで高校に行ったから
まぶしいような若者を見ながら 心の中で 君たち命を大切に押しなさいよ
そう思いました。
私もまた終戦の日 胎児だったことを思い 親に感謝する日でした。
遺書
(
とん子
)
2016-08-26 16:18:30
書くという事は心にもないことを書かされたのかな~~??
お国のため・・天皇陛下のため・・まだ15歳くらいの子供がそう思えますか??
行きとうなか・・死にとうなか・・が本心だったでしょうね!!
皆の犠牲のもとに今の自由があるんだから戦死された方はお祀りしないといけませんよ‼‼
靖国神社でまた会おう??私もまた父に会いたくなりました
また機会を見て行きます皆さんの御霊にお参りしてきます。
洗脳って怖い・・・
(
momomama
)
2016-08-27 06:18:01
とん子さん おはようございます。
・・ きっと足がすくんで・・・
遺書は 母上様・・ が多いね。
橋台ね親の事を頼んだり・・・きっとお手本があったと思う。
それを書道の練習みたいに書いたんじゃないかな・・・
>皆の犠牲のもとに今の自由があるんだから戦死された方はお祀りしないといけませんよ‼‼
そう思うよ。
町内に戦没者の慰霊等があり 「はねそ盆踊り」は そこであります。
今年もお詣りしたよ。
さぁ 今日もいい日でありますように・・・
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戦争を知らない世代が親になり、戦争を生き抜いた私たちの親の世代は、どんどん少なくなっていきます
戦没者の、慰霊祭でも家族の参加者が妻子から、孫へと当事者の少ない時代へと推移してきています
義父が、戦傷者でしたので、語り継いで欲しかったのですが、当時のことは話したくないと
あまり口にすることはありませんでしたが、片腕で、黙々と、彫刻を習ったり、書道に打ち込んだり、と素晴らしい作品が沢山残っています
93の義母が、最近、だれにも話さなかったが、お前にだけは話しておくと、戦時の聞かされた話を、とつとつと聞かされています
今の豊かな時代では、考えられなかった「生き方』ですが、命を懸けた生き方であり、残された家族もまた「ただひたすらに生きて帰れと祈った』時代で、誰のせいだとか、ではなく、ただひたすらに現状を受け入れた時代だったんだと・・・
長くなってすみません義母の話で、1冊書けそうな我が家の話で、朝から失礼しました
まだ鹿屋へも行く機会がありません。
戦時中、男の子は
若い血潮の予科練の七つボタンは桜に碇~
に心をときめかせていました。
その年齢が合致していればどんこなどすぐに志願していたでしょうね。
だれでもが軍事教育で洗脳されていましたからね。
大刀洗町の学校はランチルーム(全校児童が一堂に会して給食を食べる部屋)の先進地で
まだ現役の頃、視察に行ったことがあります。
その頃はまだ、平和記念館は建設されていず、
個人の方が施設を建てられたと、いう話をチラと聞いたような記憶があります。
子供を持つ親として15歳で特攻隊員にとられると
気が狂いそう~悲しいですよ。
お国のためとは言えねぇ~
あどけない飛行服の少年の顏とあの実行力は
結び付かないです。
パソコンのお仲間さんたちと良い時間が過ごされて
良かったねえ~
そうそう~お母様は邪魔なんていもいませんよ(*^^)v
今日は良いお天気になりました。
イヤイヤ・・・・!!!
すばらしいところに行ってきました。
前々から行きたいとは思っていましたが、なかなかオイソレ!と行くことはできません。なんせ、九州ですから。
神風特攻隊が乗った飛行機も見られるのは素晴らしいですが
泣かされるのが、隊員の遺書だそうです。
◎帰らぬのに、「お父さんお母さん行って参ります」
◎母上、お許し下さい。さぞ、寂しかったでしょう。
今こそ、大声で呼ばせていただきます。
お母さん、お母さん、お母さん。
検索しました。
読んで涙が止まりません。軍国主義、人間を無視した特攻隊員。
http://matome.naver.jp/odai/2139011002097080301
家族だけの記録として残せたらいいですね。
私達も親の事をなんでも知っている叔父が亡くなったことを今日知りました。
この歳になると知らないうちに
10人9人8人になって 7人6人・・・・少しずつ減っていきます。
大刀洗 初めてだったけど ホント胸が詰まりました。
しかも、知覧は大刀洗陸軍飛行学校の分校の一つだったというのには、私もびっくりです。
知覧の特攻平和会館には、何回か行きました。
特攻隊員の手紙は、涙なしには読めません。
それに、若い人の割に、しっかりした字ばかりです。
今の高校生くらいの人もいたでしょうね。
こういう施設は、多くの人に訪れてほしいですね。
戦闘機はホントに小さくて・・・涙が出ました。
よく死刑囚のドラマで 監守の足音に震えてる場面がありますが・・
特攻隊員はマインドコントロールされて
家族を守れるように・・国を守れるようにと
こんな小さなゼロ戦に乗ったんですね。
教育って怖いですね。
煌々の学食で 無邪気な少年たちを見て
よそのお子さんですけど 戦争に行かなくていいように・・・って祈らずにいられませんでした。
展示してある大きな写真で 息子は前に大きく(屋外)
その奥の室内から少し戸を開けて 息子を見ている母親の写真があって
本当に胸を突かれました。
ホント気が狂いそうよね。。。
>お母様は邪魔なんていもいませんよ(*^^)v
そうよね~ 罰が当たるね。 ありがとう。。
遺書は本当に涙なしには見られんよ~
写真の遺書
御両親様 鉄三喜びて忠孝の道を致し一足先に旅立候儀
平にお許し下され宅願い上げ候・・
こんなの上官がチェックしたんでしょうね。
鹿児島県には 知覧があって そこは特攻隊が実際に
飛び立っていたから もっともっと色んな資料や展示があります。
http://blog.goo.ne.jp/momo606_2005/e/97fc9de2863c4e33f4b3942415f0336d
こうなったら縄文人さん 九州にいらっしゃいませんか?
きっとどんこさんがご案内なさるでしょう・・
もちろん私も行きますよ~
知覧からで 大刀洗は学校だったのかな?
私は知覧にも行きましたが規模が違います。
たった70年くらいなのに なぜこんなことができたんでしょうね。
>それに、若い人の割に、しっかりした字ばかりです。
・・ですよね~
特にすぐそのあとで高校に行ったから
まぶしいような若者を見ながら 心の中で 君たち命を大切に押しなさいよ
そう思いました。
私もまた終戦の日 胎児だったことを思い 親に感謝する日でした。
お国のため・・天皇陛下のため・・まだ15歳くらいの子供がそう思えますか??
行きとうなか・・死にとうなか・・が本心だったでしょうね!!
皆の犠牲のもとに今の自由があるんだから戦死された方はお祀りしないといけませんよ‼‼
靖国神社でまた会おう??私もまた父に会いたくなりました
また機会を見て行きます皆さんの御霊にお参りしてきます。
・・ きっと足がすくんで・・・
遺書は 母上様・・ が多いね。
橋台ね親の事を頼んだり・・・きっとお手本があったと思う。
それを書道の練習みたいに書いたんじゃないかな・・・
>皆の犠牲のもとに今の自由があるんだから戦死された方はお祀りしないといけませんよ‼‼
そう思うよ。
町内に戦没者の慰霊等があり 「はねそ盆踊り」は そこであります。
今年もお詣りしたよ。
さぁ 今日もいい日でありますように・・・