コメント
知覧
(
にえもん
)
2009-04-05 06:36:52
おはようございます。
知覧特攻平和会館は昔訪ねたことがあります。今後も戦争だけはしてほしくないですね。
今岡山は桜と桃の花が満開です。お蔭様で石橋のほうも予想以上に収穫がありました。
桃太郎に。。
(
momomama
)
2009-04-05 07:19:26
にえもんさん。
おはようございます。
岡山 お疲れ様でした。
UPが楽しみです。。。
桃太郎に会われましたか?
下書きを見ましたが 4月4日の日付しか入っていません。
まさか日帰りじゃないですよねー。
知覧では青空が似合うとにえもんさんが仰ってる石橋
Ⅰ基だけを選びました。。
それだけで十分なほどよかったです。。
いつ見ても
(
どんこ
)
2009-04-05 08:29:52
胸が痛みますね。
若くして散った幾多の命が
雨に打たれた桜花に象徴されているようです。
昨日の防衛庁の誤報もひとたび間違うと戦争を勃発されかねませんよね。
かつての軍部の指導者のお粗末さと繋がっているようで
何だか薄ら寒い気がしています。
為政者には今こそ「聞け わだつみの声」と言いたいです。
咲いた花なら 散るのは覚悟
(
momomama
)
2009-04-05 09:01:44
どんこさん。
おはようございます。
さくらの花は日本人にとって
花の名前以上の響きがありますね。
雨が尚更・・・でした。
マインドコントロールの最たるものですね。
>戦争を勃発されかねませんよね
このところそう思います。
戦闘機よりも もっとお金を使うべき所が
あるのに・・・
おはようさん
(
yama
)
2009-04-05 09:06:31
よく いわれます
一度知覧へっと
私が行ったらたぶん、泣くとおもいます
親の別れも涙ださえなかったのに
わが飼い犬去ったとき涙が出て
最近感傷が一段と・かんじるように
なりましたが
紹介された画像みても、また
石像にきざまれた文面は
胸がいたみます
二度と不幸なことがないように
願いたいもんです。
火の玉
(
縄文人
)
2009-04-05 12:45:24
知覧と言えば特攻隊
特攻隊と言えば片道切符 さくら散る。
知覧という言葉はよく聞く言葉ですが、現地を訪れていないので詳細は知りえていません。
特攻隊の私の知る域のことについて。
どなたかのblogに記したことがありますがモモちゃんではなかったと思います。
教頭先生の弟さんが、特攻隊に出撃することになった。飛行機で故郷う鳥瞰するとの連絡。
生徒全員が学校の校庭に出て迎えることになりました。
定刻通り東の空から飛行機がやってきました。学校の生徒全員が手を振って別れを惜しみました。
飛行機は、
学校の上を一度旋回し、自分の生まれた生家の上を一度旋回してまた来た飛行ルートを帰って行った。
終戦のほんの前だったように記憶しています。
戦争の悲惨さを
(
chiro
)
2009-04-05 12:48:10
知覧の特攻平和会館にも行かれたんですね。
私も何度か行きましたが、満開の桜の時期は行ったことがありません。
桜の時期に行ったら、また感慨もひとしおでしょうね。
特攻隊員の手紙を読むと、戦争というものの悲惨さについて胸を締め付けられ、思わず涙が出てきます。
まだ、二十歳そこそこの若者だったんですね。
修学旅行の生徒もよく訪れるところであり、子供たちに、戦争のことを教えるところだと思います。
近くの、矢櫃橋もいかれましたか。
空
(
頃南
)
2009-04-05 15:20:45
美しき日本の空よこのままに武力で汚れぬ国であれ
知覧と加世田
(
りあら
)
2009-04-05 16:30:59
私は、知覧・加世田ともに見学しました。
灯籠は、ここから飛び立った兵隊一人一人の慰霊の灯籠だそうです・・・。
「戦争を知らない子ども達」どころか、戦争を知らない祖父母の世代になりました。
きな臭い世の中ですが、私たちが次世代にも「命の尊さ」「平和の大切さ」は、ずっと伝えていかなくては・・・そう思います。
桜の時期の鹿児島もいいですね。
いつも鹿児島旅行は夏なモンで・・・
世界のあちこちで
(
momomama
)
2009-04-05 18:19:29
yamaさん。
今現在戦争が当り
戦争の芽(?)が出たりしているのは
悲しいことですね。
争って得られるものは何もないのに。。。
愚かなことだと思います。
さくらの時期だけになおさら感じました。。
教頭先生の弟さん
(
momomama
)
2009-04-05 18:28:32
縄文人さん。
コメント返しで拝見した記憶があります。
胸が痛くなりますね。
どんな気持ちで故郷の上を
飛んだでしょう。。
昔 上司(昭和2年生まれ)予科練にいた方がいました。
後1年終戦が伸びていたら特攻隊に入っていたと言ってました。
50第半ばで病死しましたが
ご家族に恵まれ よかったと思います。。
さくら ちる 九州弁では 散らないを散らん っていいます。
知覧 の地名も そうしてみると
散りたくなかった人たちの叫びのようです。。
桜の時期に行ったら
(
momomama
)
2009-04-05 18:32:26
chiroさん。
雨に濡れて泣いているようでした。。
コメント欄で色々な思いを書いて頂こうと
記事は淡々と書きました。。
平和を考えてみるいい機会になったと思います。
>近くの、矢櫃橋もいかれましたか。
はい。行きました。。雨が降っていたから写真はいまいちですが
またUPしますね。
日本の空
(
momomama
)
2009-04-05 18:35:19
頃南さん。
そうですね。
世界のどこかで芽生えている戦争の芽が
育たないようにいのります。。
ご訪問有難うございました。
鹿児島旅行は夏なモンで
(
momomama
)
2009-04-05 18:38:55
りあらさん。
去年もこの時季でした。。
私は逆に りあらさんのように
夏に行って シロクマ君に会いたいです。
今年も行きますか?夏休みしか・・・仕方ないですよね。
加世田も行きたかったけど
今回は行かれませんでした。。。
悲しいね・・
(
yuu
)
2009-04-06 15:16:26
momomamaさん
この場所に立つと何か胸が締め付けられる
思いがしますね
何時だったかテレビのドキュメントで
当時の特攻隊員が
飛び立つはずだったのにお天気が悪く
飛び立てなく、涙ながらに語っていました。
何十年経っても心の中では戦争は
終わっていないと言われていましたが、
気の毒で私も
いつまでも平和な桜が見たいですね。。
平和な桜
(
momomama
)
2009-04-06 17:06:39
yuuさん。
こんにちは。
本当にそう思いますね。
色んな桜を見ていて 切実に・・・・
私は父が満開の桜の頃に亡くなり
結構 切ない思い出があるんです。。。
今日もそんな切ない思い出の日です。。
でも長い年月を越え 石橋探訪が出来るだけの
体力と心の余裕ができ
楽しい桜を いっぱいみて
心の中に上書き保存出来ました。。
平和な桜が日本にも世界中にもありますように。。
アリランの句
(
大好調
)
2009-04-06 20:52:09
私はアリランの歌に目が留まりました。母の国朝鮮のためではなく、日本のために特攻にいったわけですから、その気持ちを想像して悲しく思いました。
アリランの歌
(
momomama
)
2009-04-06 21:37:51
大好調さん。
私はここの説明を読んで本当に涙しました。
何故 特攻隊に入隊したんでしょう。。
マインドコントロールされて
桜と散る 本心でそうなりたい日本人がいたとして
この隊員たちはどうだったでしょう。。
最後の心の叫びはどういう言葉だったでしょう。。
知覧
(
まじゅ
)
2009-04-07 07:07:41
何かと誤変換の多いMS-IMEですが、知覧だけは一発で正しく変換してくれます。
それだけ有名な地名なんだと思っていましたが、こんな歴史があったんですね。
はじめて特攻隊のことを知ったのは小学生のころ、「少年マガジン」の漫画で読んだのでした。
人間魚雷回天とか特攻隊とか戦争で両手両足をなくした人の話とかが、特に笑いを取るわけでもなく、真剣に漫画化されていました。
今なら残酷と発売禁止になってしまうような衝撃的なものもありました。
何でも隠せばいいというのではなく、きちんと受け止める覚悟をして知らせることも必要だと、今朝momomamaさんの記事を読んで、あらためて思いました。
光栄です。
(
momomama
)
2009-04-07 07:43:59
まじゅさん。
おはようございます。
>きちんと受け止める覚悟をして知らせること
ここでお会いする皆さんが
それぞれに感じて下さったなら・・・
その上 こんな風に思って頂くきっかけになったなら
光栄です。
ありがとうございます。
漫画 私は はだしのゲン で広島のことを
他の本よりも詳しく知りました。
じゅうぶん大人でしたが・・・・
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知覧特攻平和会館は昔訪ねたことがあります。今後も戦争だけはしてほしくないですね。
今岡山は桜と桃の花が満開です。お蔭様で石橋のほうも予想以上に収穫がありました。
おはようございます。
岡山 お疲れ様でした。
UPが楽しみです。。。
桃太郎に会われましたか?
下書きを見ましたが 4月4日の日付しか入っていません。
まさか日帰りじゃないですよねー。
知覧では青空が似合うとにえもんさんが仰ってる石橋
Ⅰ基だけを選びました。。
それだけで十分なほどよかったです。。
若くして散った幾多の命が
雨に打たれた桜花に象徴されているようです。
昨日の防衛庁の誤報もひとたび間違うと戦争を勃発されかねませんよね。
かつての軍部の指導者のお粗末さと繋がっているようで
何だか薄ら寒い気がしています。
為政者には今こそ「聞け わだつみの声」と言いたいです。
おはようございます。
さくらの花は日本人にとって
花の名前以上の響きがありますね。
雨が尚更・・・でした。
マインドコントロールの最たるものですね。
>戦争を勃発されかねませんよね
このところそう思います。
戦闘機よりも もっとお金を使うべき所が
あるのに・・・
一度知覧へっと
私が行ったらたぶん、泣くとおもいます
親の別れも涙ださえなかったのに
わが飼い犬去ったとき涙が出て
最近感傷が一段と・かんじるように
なりましたが
紹介された画像みても、また
石像にきざまれた文面は
胸がいたみます
二度と不幸なことがないように
願いたいもんです。
特攻隊と言えば片道切符 さくら散る。
知覧という言葉はよく聞く言葉ですが、現地を訪れていないので詳細は知りえていません。
特攻隊の私の知る域のことについて。
どなたかのblogに記したことがありますがモモちゃんではなかったと思います。
教頭先生の弟さんが、特攻隊に出撃することになった。飛行機で故郷う鳥瞰するとの連絡。
生徒全員が学校の校庭に出て迎えることになりました。
定刻通り東の空から飛行機がやってきました。学校の生徒全員が手を振って別れを惜しみました。
飛行機は、
学校の上を一度旋回し、自分の生まれた生家の上を一度旋回してまた来た飛行ルートを帰って行った。
終戦のほんの前だったように記憶しています。
私も何度か行きましたが、満開の桜の時期は行ったことがありません。
桜の時期に行ったら、また感慨もひとしおでしょうね。
特攻隊員の手紙を読むと、戦争というものの悲惨さについて胸を締め付けられ、思わず涙が出てきます。
まだ、二十歳そこそこの若者だったんですね。
修学旅行の生徒もよく訪れるところであり、子供たちに、戦争のことを教えるところだと思います。
近くの、矢櫃橋もいかれましたか。
灯籠は、ここから飛び立った兵隊一人一人の慰霊の灯籠だそうです・・・。
「戦争を知らない子ども達」どころか、戦争を知らない祖父母の世代になりました。
きな臭い世の中ですが、私たちが次世代にも「命の尊さ」「平和の大切さ」は、ずっと伝えていかなくては・・・そう思います。
桜の時期の鹿児島もいいですね。
いつも鹿児島旅行は夏なモンで・・・
今現在戦争が当り
戦争の芽(?)が出たりしているのは
悲しいことですね。
争って得られるものは何もないのに。。。
愚かなことだと思います。
さくらの時期だけになおさら感じました。。
コメント返しで拝見した記憶があります。
胸が痛くなりますね。
どんな気持ちで故郷の上を
飛んだでしょう。。
昔 上司(昭和2年生まれ)予科練にいた方がいました。
後1年終戦が伸びていたら特攻隊に入っていたと言ってました。
50第半ばで病死しましたが
ご家族に恵まれ よかったと思います。。
さくら ちる 九州弁では 散らないを散らん っていいます。
知覧 の地名も そうしてみると
散りたくなかった人たちの叫びのようです。。
雨に濡れて泣いているようでした。。
コメント欄で色々な思いを書いて頂こうと
記事は淡々と書きました。。
平和を考えてみるいい機会になったと思います。
>近くの、矢櫃橋もいかれましたか。
はい。行きました。。雨が降っていたから写真はいまいちですが
またUPしますね。
そうですね。
世界のどこかで芽生えている戦争の芽が
育たないようにいのります。。
ご訪問有難うございました。
去年もこの時季でした。。
私は逆に りあらさんのように
夏に行って シロクマ君に会いたいです。
今年も行きますか?夏休みしか・・・仕方ないですよね。
加世田も行きたかったけど
今回は行かれませんでした。。。
この場所に立つと何か胸が締め付けられる
思いがしますね
何時だったかテレビのドキュメントで
当時の特攻隊員が
飛び立つはずだったのにお天気が悪く
飛び立てなく、涙ながらに語っていました。
何十年経っても心の中では戦争は
終わっていないと言われていましたが、
気の毒で私も
いつまでも平和な桜が見たいですね。。
こんにちは。
本当にそう思いますね。
色んな桜を見ていて 切実に・・・・
私は父が満開の桜の頃に亡くなり
結構 切ない思い出があるんです。。。
今日もそんな切ない思い出の日です。。
でも長い年月を越え 石橋探訪が出来るだけの
体力と心の余裕ができ
楽しい桜を いっぱいみて
心の中に上書き保存出来ました。。
平和な桜が日本にも世界中にもありますように。。
私はここの説明を読んで本当に涙しました。
何故 特攻隊に入隊したんでしょう。。
マインドコントロールされて
桜と散る 本心でそうなりたい日本人がいたとして
この隊員たちはどうだったでしょう。。
最後の心の叫びはどういう言葉だったでしょう。。
それだけ有名な地名なんだと思っていましたが、こんな歴史があったんですね。
はじめて特攻隊のことを知ったのは小学生のころ、「少年マガジン」の漫画で読んだのでした。
人間魚雷回天とか特攻隊とか戦争で両手両足をなくした人の話とかが、特に笑いを取るわけでもなく、真剣に漫画化されていました。
今なら残酷と発売禁止になってしまうような衝撃的なものもありました。
何でも隠せばいいというのではなく、きちんと受け止める覚悟をして知らせることも必要だと、今朝momomamaさんの記事を読んで、あらためて思いました。
おはようございます。
>きちんと受け止める覚悟をして知らせること
ここでお会いする皆さんが
それぞれに感じて下さったなら・・・
その上 こんな風に思って頂くきっかけになったなら
光栄です。
ありがとうございます。
漫画 私は はだしのゲン で広島のことを
他の本よりも詳しく知りました。
じゅうぶん大人でしたが・・・・