現在落語論 | |
クリエーター情報なし | |
毎日新聞出版 |
☆☆☆☆
丁度、年末にテレビで二宮さん主演で「赤めだか」がありましたが、
なかなかの出来、本とは違った味で落語ファンも大いに楽しめました。
“談春”さんが主人公なのですが、物語の主役は師匠の“談志”さん。
愛と鞭が入混じった理不尽な育て方、普段は一方的に突き放しているが、
他人からの攻撃には、弟子を心底守り通す。
その一門の“談笑”さんの弟子、
“談志”さんから言えば孫弟子にあたる“吉笑”さんが、
実は、“談志”師匠の名書に「現代落語論」というのがあるのですが、
それをなぞって、その落語のおもしろさ、色あせなく受継いでいく責任を
「現在落語論」として、書いた本。
“談志”が「落語が『能』と同じ道をたどりそうなのは、たしかである」という
一言で締めくくられた前書、このままでは落語は大衆性を失い、
まさに伝統芸能になってしまう日がいずれくるのではないか・・・・・と。
あの1965年から半生記経った今、その可能性は極めて低くなったが、
もう一度「伝統を現代に」という思いをベースに、落語の魅力を伝える。
噺の本質さえ摑めば、“吉笑”さんの師匠の“談笑”さんは、
古典と改作のついて、「例えば仏像やお寺や神社は歴史を感じさせてくれるし、
そういったものの古めかしには心が安らぐこともある。ただそれらが
つくられた当時は、もっとキレイでピッカピカだったことも事実なのだ」と、
まさに、本質、だからこそ「伝統芸能」としての古めかしさを醸し出すことも、
「大衆芸能」としてのピカピカの輝きをも見せることは現代の落語にとっては
等しく大事だと。
いつもは「紺屋高尾」の改作「ジーンズ屋ゆうこりん」を演じる
“談笑”師匠が、あるときの「紺屋高尾」の最後の定番のフレーズで、
「傾城に誠なしとは誰が言うた。『ジーンズ屋ゆうこりん』改め
『紺屋高尾』の一席でお開きでございます」、・・・・・カッコイイ。
あるネタをいったん現代化して、それをまた古典に還元する。
まさに、噺を生きもの、生ものと扱っている証拠ですな・・・。
筆の立つ談志一門、談志、談四楼、談春、志らくに続いて、
本を出せる落語家がまた一名デビューしましたな。
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