ももすけの日記

きゃあと言ふ声あちこちで穴まどひ
ああ面白かったと言って死ねたらいいな

知らなかった事

2005年10月11日 16時42分00秒 | 日記
また雨が降ってきました*(雨)*

暑い日には早く涼しくなるといいのにと思っていたのですが、秋になるとどうしてこう物悲しいのでしょう*(紅葉)*

夜が長くなってみんなが寝静まってから長湯をするのがおかあさんの楽しみです*(温泉)*

が、昨夜は沖縄戦争秘話・読谷村を見ていて、また、ショックを受けたのでした。

漠然と沖縄が日本本土の盾にされていたということは知っていました。


終戦後、読谷村の人たちは米軍上陸を控えてやんばるという森に逃亡するよう命じられます。

何十日も食べ物に苦労して、その間に栄養失調でたくさんの人が亡くなりました。

しかし、結果としては米軍に捕らえられ保護。
”鬼畜”と教えられてきた敵から食料を与えられるのです。

メリケン粉などを配っていた村の人々を隠れていた日本軍が襲ってきました。
われわれはお国のために食うものも無く戦っているのに、お前らはこんなにいいものを食っているのか、と。

スパイ容疑という名目で何本ものナイフで首を刺されて柱に吊られ、膝を日の丸だと刳り貫かれていた。。。

ぼくは、こう書くことさえ心が疼いてきます。

女子供は海辺に集められ手榴弾を投げつけられ、たくさん亡くなりました。
体中に弾を浴び、なんとか助かった4歳の女の子と8歳の男の子とお母さん。

夫の殺され様を見て、気がふれてしまった母親。そしてまもなく死んでしまいます。
4歳の妹は何も覚えていませんが、彼女が20歳になったとき兄は事の一部始終を話します。
たまっていたものがどっとあふれ、行き場がなくなってしまったのか、兄はその直後に心の病に。。

その兄は以来、ずっと施設に入っているそうです。
お母さんが精神に失調をきたした事や、体中に傷を負った醜さのために、幼い兄妹はいじめられるのでした。

なんで*(はてな)*同じ苦しみを味わってきた周りの人たちまでいじめたり偏見を持つのか、とこういうことにいつもぼくは不思議に思います。

もっと、もっと知らない事はいっぱいあるでしょう。
知ったからといっても、ぼくにはどうする力もありません*(涙)*

でも、もう、もう、戦争はおしまいにしてほしい*(びっくり2)*

世界中の人がみんなそう思っていても、ひとりひとりが、そう思っていても、どうして戦争を仕掛ける政治家がいるのだろう。。。