暑い日が続きます*(晴れ)*
でも、ぼくもぼくのおかあさんも食欲は無くならない方でむしろ”夏太り”の傾向があります。
人間に命令されて「おすわり」させられるのは好きなおやつのときはしょうがないけれど、ドライのドッグフードでなんかそんなことしたくないぼく*(クール)*
からっぽになったお皿をこちょこちょすると、おかあさんはご飯をいれてくれます。でも、ぼくはすぐにはとんでいかないで、そばに誰もいなくなってから気ままに食べます。
こうあるべきだ、ということにかなりこだわって生きてきた(必ずしも、”こう”であったわけでは決してない)おかあさんですが、だんだん年をとるにつれ、めんどうくさくなってきたのかもしれません。
「一日に一回は何か良いことを考えよう」とか、そんな殊勝なこころがけも持ち合わせてはいないのに、最近、ふとしたことで「しあわせだな」と感じていることに気付いています。
それを「そうあるべき」と思っているわけでなく、自然と感じることになんともふしぎなありがたさを感じるのです*(青ハート)*
同じ種の悩みを抱えてのたうちまわっている人を見ると「まぁ、まぁ、人生、それほど捨てたものでもないわよ」と声をかけたくなります。
自分とは別の種類の困難や哀しさに立ち向かっている人を見ると、すごいなぁ、と尊敬の気持ちがわいてきます。
みんな、だれもがしあわせになってほしいと思います。そう思えることがとてもしあわせなことだと感じるのです。
卵の黄身と白身を分けて、無意識のうちに黄身をゴミ箱へぽいと捨ててしまったり、洗い物をしていて手が滑り、可愛い花柄のお皿の上に何かのおまけでついていた安物のガラスコップを落として、お皿のほうが割れてしまったり、体力の衰えを気にして、片足立ちのままストッキングをはいて、やはりつんのめって、ストッキングを破いてしまったり、落雷のあと、スイッチオフのはずのパソコンの画面に”NO SIGNAL”と出てあわててしまったり・・・
それもこれも、すべてしあわせなことなのかもしれない、なーんて*(ウインク)*
ぼくはクーラーのきいた部屋でおかあさんの足元で寝そべっています*(ラブリー)*
でも、ぼくもぼくのおかあさんも食欲は無くならない方でむしろ”夏太り”の傾向があります。
人間に命令されて「おすわり」させられるのは好きなおやつのときはしょうがないけれど、ドライのドッグフードでなんかそんなことしたくないぼく*(クール)*
からっぽになったお皿をこちょこちょすると、おかあさんはご飯をいれてくれます。でも、ぼくはすぐにはとんでいかないで、そばに誰もいなくなってから気ままに食べます。
こうあるべきだ、ということにかなりこだわって生きてきた(必ずしも、”こう”であったわけでは決してない)おかあさんですが、だんだん年をとるにつれ、めんどうくさくなってきたのかもしれません。
「一日に一回は何か良いことを考えよう」とか、そんな殊勝なこころがけも持ち合わせてはいないのに、最近、ふとしたことで「しあわせだな」と感じていることに気付いています。
それを「そうあるべき」と思っているわけでなく、自然と感じることになんともふしぎなありがたさを感じるのです*(青ハート)*
同じ種の悩みを抱えてのたうちまわっている人を見ると「まぁ、まぁ、人生、それほど捨てたものでもないわよ」と声をかけたくなります。
自分とは別の種類の困難や哀しさに立ち向かっている人を見ると、すごいなぁ、と尊敬の気持ちがわいてきます。
みんな、だれもがしあわせになってほしいと思います。そう思えることがとてもしあわせなことだと感じるのです。
卵の黄身と白身を分けて、無意識のうちに黄身をゴミ箱へぽいと捨ててしまったり、洗い物をしていて手が滑り、可愛い花柄のお皿の上に何かのおまけでついていた安物のガラスコップを落として、お皿のほうが割れてしまったり、体力の衰えを気にして、片足立ちのままストッキングをはいて、やはりつんのめって、ストッキングを破いてしまったり、落雷のあと、スイッチオフのはずのパソコンの画面に”NO SIGNAL”と出てあわててしまったり・・・
それもこれも、すべてしあわせなことなのかもしれない、なーんて*(ウインク)*
ぼくはクーラーのきいた部屋でおかあさんの足元で寝そべっています*(ラブリー)*