我が家の菩提寺である浄教寺さんで「フェノロサと明治の日本」という講演を聞きました。
帝塚山大学の先生で西山厚さんとおっしゃる先生。4年前まで奈良国立博物館の学芸部長をされていたそうです。帝塚山も、西山も私にとっては馴染み深く、なになに、とまず、そこから興味がありました。
フェノロサは薬師寺の東塔を「凍れる音楽」と評し、岡倉天心は法隆寺夢殿の救世観音をぐるぐる巻きの布から見つけた、と、その程度の知識の私。
講演が始まる前に食事をと、餅飯殿を通り抜けて”ビフカツ”の看板をみつけ、そこで、たらふくのお昼ごはんのあとは眠気が心配でした。
しかし、西山先生のユーモアと皮肉たっぷりのお話で、まったく眠気を催すこともなく、あっという間に2時間が過ぎてしまいました。
お話の中で、一番感動したのは、「お雇い外国人」として若いフェノロサが奈良で仏像に出会い、『世界で最も価値のあるものが奈良にある』と言ったということでした。元奈良県人として、仏像大好き人間として、これほどうれしいことはありません。
二番目、廃仏毀釈は奈良ではほとんど無かったということ。先日、NHKのテレビで、仏教と神道が仲良くやってこられた日本の番組を見たばかりだし、同じような本の広告も目にしていました。
明治維新、尊王のために神道を重要視しなければいけない、ということで神社に「神仏判然令」というのが神社に通達。①神社に仏像や僧侶がいてはならない②神を仏教用語で呼んではならない③仏像を神体にしてはいけない、と。それまで、いかに、神と仏が同居していたか、ということです。ここのところは、とても面白くて、たとえば、、興福寺のお坊さんは約1000人いたが、すべて春日大社の神官にさっさと転身したのです。新政府は寺ではなく、これからは神社を大切にするようだから、ぼやぼやしてはいられないと身代わりの早いこと!天理の永久寺の僧は石上神社へ。でも、それらの寺にあった仏像はちゃんと残っているのです。
三番目に感動したのは、130年前の今日、明治21年6月5日にフェノロサが『世界で最も価値のあるものが奈良にある』と講演したのが、この浄教寺であった、ということです。通訳は岡倉天心。130年前の人たちがどんな風な感想を持ったのか、知りたく思います。
九鬼隆一という人の奥さんと岡倉天心の恋愛の話、その後、天心もフェノロサも仏教に帰依して最後は不遇でもあったという話、興味はつきませんでした。
そして、ますます、奈良が好きになりました。仏像のこと、もっともっと知りたいと思います。
モモさんは奈良がお好きで仏像がお好きですから、この難しいお話に興味を持ち把握されて。
お坊さんが1000人も転職されたのは面白いですね。
今はこの町の春日神社でさえ誰も居ません何かあるときにお頼みします。
賽銭だけでは生活できませんから。
外国の方に価値を教えていただく話は以前も聞きました、
日本人はすぐに海外に目を向けて日本の良さを知りませんね。
篠山の方も篠山の良さを解らない方がいます。
こんな授業を受けられる学生は楽しいだろうな、と想像しました。
篠山の良さはふくちゃんが一番感じてらっしゃる⁉︎
地元の人たちより‼︎
ほんとうに良いところですものね♡
読み通すには一頑張りが必要かも。
読めば日本史の盲点に気付くでしょう。
ネット小説も面白いです。
北円堂にはすばらしい仏様がいらっしゃいますが、普段は非公開ですね。
秘密、って大化の改新でしたっけ?
いえいえ、私は歴史のこと何も知らないですので、是非、読ませていただきます。
ようこそお越しくださいました。